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                         − ブレイカー・イシス! −


  黒いスーツに白いシャツ、赤い蝶ネクタイといった身なりの、頭に白が混じった男が恭しく頭を下げてきた。
「ようこそいらっしゃいました」
 暗闇から急に明るいところに入ったせいで、目が少しくらんでいたが、男が非常に場違いであることだけは、よーく分かった。
(んー……さすがに台所じゃねぇ)
 どうも、と曖昧な笑顔で返しながら、彼女は心の中で苦笑した。
 男は、依頼人の執事。きちんとした訓練を受けているのか、姿勢や言葉遣いは役柄に恥じない、立派なものだ。恐らくは成人男性の半数以上を見おろせるであろう身長なのに、見くだされている感じがないのは、彼が放つ柔和な雰囲気のおかげだろうか。
 しかし、そんな立派な彼も、勝手口で頭を下げていては様にならないというものだ。
 しかも、その相手が、まだ一五歳くらいの少女ではなおさらである。
「かような場所から申し訳ありません。最近は世間も物騒な様子、旦那様は夜に門を開けたくないと申されまして。本来であれば、昼間にお招きしなければならないのですが、領主というお立場故に、どうかご容赦を」
「いえいえ、気にしないで下さい。依頼人の指定した時間と場所を守るのは当然ですよ」
 にっこりと笑いながら、少女は手にした無骨な鈍色のハンマーを抱えなおした。身長に近い柄の先に巨大な水色のリボンを巻き、ハンマー部は顔をすっぽりと隠す直径、そして、その側面には、どういう冗談なのか、『100t』と白字で書かれている。
 あまりにアンバランスなハンマーを、しかし、少女は紙細工でできているように軽々と持っている。
 もちろん、その少女は女性独特の丸みを帯びた体つきをしており、決して筋肉質というわけではない。少々、色気という面では不足しているが、人なつっこい表情と整った顔つきは、人々を魅了してやまないだろう。
 どう考えても、本当にこのハンマーが100tの重さを持っているとは思えない。
 そこで、ふと執事は一つの疑念にかられた。噂には聞いていたが、ひょっとして全て冗談ではないだろうか? と。
「お荷物をお持ちいたします」
 彼は、あくまで内心を押し隠し、執事としてそう申し出た。
「ああ、お構いなく。自分で持ってますよ」
 嫌みの欠片もなく、むしろそれこそが誇りであるという風に、少女は笑みをこぼした。
「そうですか。それでは、こちらへどうぞ」
 疑念を振り払う事はできなかったが、彼は自らの役目を忠実に果たそうと、先導して歩き始めた。その後に付いていく少女。
 その様は、まるで父親の後を追う子どもにも見える。実際、少女と執事は、身長だけなら、親子にも見えた。もっとも、年齢的にもそれくらい離れているだろうが。
 一メートルごとに美術品が置かれている、足首まで埋まりそうな絨毯をしばらく進むと、ひときわ大きな扉の前に出た。
「旦那様。イシス様がお見えになりました」
 ノックの後にそう告げると、中から鷹揚な声で、入ってこい、という返事がきた。扉を開け、執事は中へと少女――イシスを促す。
 イシスは、執事に会釈をしてから、部屋の中へと足を踏み入れ……その瞬間、ひくり、と口元を引きつらせた。
(……なんて趣味が悪いんだ)
 例えるなら、混沌。とにかく金のかかるもんを集めました、と言わんばかりに、物、物、物、と乱雑に雑多に隙間無く置かれている。
 趣味をどうこうというよりも、まずはその物の多さに表現する言葉を失ってしまった。
「よく来てくれたな」
 そして、その中央、ソファーに沈んでふんぞり返っている四〇代半ばで目のギラついた男が、今回の依頼主、この地方の領主である。
(……あーなんか、ロクでもなさそー)
 長年というほどではないが、それなりに名の通った冒険者の勘が、そう告げていた。
「ご指名いただき、ありがとうございます。イシス・フォシリスです」
 しかし、そんな内面はおくびにも出さず、営業スマイルで頭を下げる。
 領主の依頼と言えば、大口も大口、滅多にない高額報酬の仕事になる。趣味が悪いとか、感覚がズレてるとか、そんな理由で話も聞かずに帰るのは、あまりに愚かというものだ。
「それで、どんなご用件でしょうか?」
「ただいまお茶をお持ちいたしますので、どうぞおかけになってくださいませ」
 とっとと話を聞いてしまおうと機先を制したが、横から執事が茶々を入れてきた。
「あ、お構いなく」
 立ったままは失礼だったかな、と思いながら向かいに腰掛けようと踏み出した瞬間、
「お荷物をお預かりいたします」
 執事がハンマーに手を伸ばしてきた。
「え? わ、あぶな……」
 言い終わる前に、するりとハンマーが手から放れる。
 ズドォーン!
 足が浮かび上がるくらいに、屋敷が揺れた。
 見れば、ハンマーが倒れ、完全に床に埋没して鋳型のようになっていた。
「あー……だから、自分で持ってるって言ったのに」
 ため息をつきながら、イリスはひょいとハンマーを持ち上げて肩に担ぎなおした。
「あ、驚かせちゃいました?」
 ソファーから転がり落ちる寸前で固まっている領主と、手を突きだしたまま固まっている執事を見て、イシスは気まずそうに苦笑した。
「えーっと、それで、領主様、一体、どんなご用件でしょうか?」
 領主の向かいに座ったイリスは、改めてそう切り出した。

□     □     □

 ズドン、という聞き慣れた音と同時に、バギャン、という耳障りな音が鳴る。
「ふぅ……三十三、と」
 額に浮かぶ汗を拭い、イシスは小さく息を吐いた。
「しっかし、ずいぶんとガーディアンが多いなぁ。聞いてた話と違うし……危険手当、もっともらわないと割に合わないよ、まったく」
 周囲を見渡して、唇を尖らせるイシス。ガーディアンがいることは聞いていたが、数がここまで多いとは思わなかった。まだ遺跡に足を踏み入れたばかりでこれなのだから、この先にどれだけガーディアンがいるのか、考えただけで頭が痛い。
 まぁ、ガーディアンを沈黙させるのが依頼なわけだから、ぼやいていても仕方がないのだが。
「しっかし、ほんとにいいのかなぁ。ここの中枢部壊しちゃって」
 ほぼ原型を留めて維持されている遺跡とそのガーディアン。本来ならば、研究のために使われたり、重要な資料として残しておくのが普通だ。
 しかし、依頼主である領主は、ここの機能を停止させるために、中枢部を壊してきて欲しいと言う。
 確かにガーディアンは、配備されている施設から動かして使うことができないという不便さがあり、兵器への転用もできない。研究素材としてはもう十分な数が出回っているし、部品の流用というなら、完全体である必要性はない。
 そういう意味では、遺跡本体がただの居住施設だと確認がとれている以上、残しておいても邪魔なだけだ。とっとと解体して売り払い、それを元手にもっと別のことに利用した方が賢明だろう。
 しかし、少なからず歴史に興味のある人間としては、残念という気持ちを抱かずにはいられない。
 予想と一桁違う報酬に、思わず勢いで引き受けてしまったが、もう少し詳しい話を聞くべきだったかもしれない。
「……ま、しょうがないか。契約だし」
 と、あきらめのため息をつき、だだっ広い共同玄関らしき空間を後にする。
 中枢を破壊したら、見学くらいはさせてもらおう――そう心に決めて。


 数時間後。
 イシスは、見るからに頑丈そうな扉の前で、肩を上下させていた。
「……やっと着いた…………」
 かじった程度の古代語の、かすれた案内板に惑わされて道に迷うこと五回、その間にガーディアンに遭遇したこと十回、のべ三十体を破壊して、ようやく中枢部と思しき扉の前へたどり着いた。
 だが、目的地間近の扉を前にして、イシスは思わず考え込んでしまった。
「……これ、どうやって壊そう」
 感触としては、金属らしい冷たさと硬さ。だが、叩いた手応えからすると、相当な厚さがあると思われる。恐らく、役割を考えるに、隔壁以上の厚さだろう。
 制御系はすでに沈黙しているのか、あるいは起動そのものに鍵が必要なのか、操作盤を弄くってみても反応はない。
 まぁ、考えてみれば、ガーディアンの制御や施設の環境維持を行う場所なのだから、簡単に侵入できるようでは話にならない。
 となれば、壊す以外にないのだが……
「参ったなぁ……手持ちじゃ破れそうにないや」
 爆薬も持ってはいるが、隔壁をどうこうできるような代物ではない。だからと言って、専門的な破壊道具を持ってくる余裕などない。なにせ、今日中に終わらせることが条件なのだ。下手をすれば、資材の手配だけで数日かかってしまう可能性すらある。この隔壁は、破壊専門の道具が必要になるほど頑強なものだというのは、恐らく間違いない。
 別ルートを探すか、あるいは、領主に期間延長を頼んで道具を確保するしかないだろう。どちらにしても、一刻も早くここから立ち去るべきだ。
 だが、イシスは未だ何事か思案している。しばらく唸っていたかと思うと、仕方がない、とばかりにため息をついた。
「ま、もうこの向こうだし」
 自分を納得させるようにそうつぶやくと、左右の扉の継ぎ目の辺りへ、ハンマーを当てた。ぴったりと扉とハンマーをくっつけ、左手を添える。
 目をつぶり、大きく息を吸う。
「ハッ!!」
 声と同時に、ハンマーの周囲からもやのようなものが立ち上ったかと思った次の瞬間、接触部からの轟音が耳を叩いた。
 反響する音が鳴りを潜めた頃になって、イシスはようやくハンマーをどかした。
 すると、つい先ほどまで糸を通す隙間すらなかった扉が大きく形を歪め、人が通れるくらいの口をあけていた。
 その真ん中辺りには、何か重い物を叩きつけたような丸いくぼみができている。ちょうど、ハンマーと同じ大きさの。
「……うっ」
 めまいを覚えたようにふらついたイシスが、壁にもたれかかった。こめかみに手を当て、眉を寄せて苦悶の表情で唸っている。
「う〜……やっぱり辛いなぁ、これ。無理矢理にねじ曲げたんだから仕方がないけど……うぅ、ほんと、重力って不便だよ……。大体、あの領主様の要求が……」
 まるでそうすることで苦痛を忘れようとしているのか、イシスはぶつぶつと独り言をこぼしている。
 重力制御。それが、イシスを冒険者たらしめている特殊な能力の名だ。自分と、自分が接触しているものの重力を自在に操ることができる。
 先ほどの事もその能力によるもので、必要とあらばその方向性すら操ることができる。
 もっとも、重力は下へ向かう力。上下の垂直方向ならばまだしも、別方向にねじ曲げれば、その代償は桁違いの疲労度となって返ってくる。あまり乱用できるものではない。
 イシスは、この能力を使って、正真正銘100tのハンマーの重力を横方向に操り、その打撃力で扉をこじ開けたのだ。
 乱暴極まりないが、迂回も交渉もいらない、最速の方法であることに違いはない。
「うあ……頭痛が残りそ……」
 ガンガンと響く頭を抑えながら、それでも扉を越えるイシス。しばし休憩、としたいところではあるが、もたもたしていると、ガーディアンがかぎつけてくるかもしれない。それはそれで非常に面倒だ。とっとと動きを止めてしまいたい。
 もう中枢部なのだ。あと少し我慢すれば、後は帰るだけ。それを頼みに、中枢部に足を踏み入れた。
 中枢部は、それなりの広さがあった。左右の壁に一人ずつ、真ん中の壁に二人が座るようになっていて、それぞれにモニターと操作盤がある。
 そして、それらの線が結ぶ場所に、『それ』はあった。腰くらいまである台座にしつらえられた、赤紫の光を発する半球状の水晶体。
「これが……」
 中枢核。この施設の維持から、ガーディアンの統率までを、無人となった今でも行っている装置だ。
 これを壊せば、依頼は完了する。だが、その水晶体の周囲は、透明なケースのようなものが囲っており、直接に手を出せないようになっている。
「ふーむ……」
 ケースや台座を調べてみるが、スイッチのようなものは見つからない。操作盤もほとんど機能しておらず、どうやら無傷に止めることはできなさそうだ。
「んじゃ、さくっと壊そっか」
 一度諦めたことだ。いつまでも未練たらしく引きずっているわけにもいかない。
 イシスは、ハンマーを水晶体の上のケースに置いた。そして、手を離す。
 次の瞬間、イシスの能力の制御を離れたハンマーが、台座までをも巻き込んで水晶体を完全に押しつぶした。
「よし、完了」
 ハンマーを担ぎなおし、水晶の原型が残っていないことを確認したイシスは、満足そうな笑みを浮かべた。
 と、突如、視界が赤く明滅した。
「なっ……警告灯!?」
 数秒遅れて鳴り響いた警報に、イシスの表情が凍り付いた。続いて、無機質な女性の声。
『警告します。中枢核の破壊により、当施設は放棄されます。繰り返します。中枢核の破壊により、当施設は放棄されます』
「ちょ、放棄って……!? ここ、民間施設じゃ……」
 狼狽しきったイシスの疑問は、すぐに半分だけ明らかになった。足下から、間隔の狭い振動が伝わってくるのだ。
「これは……やばい、よね」
 駆け出すイシス。この手のパターンは決まっている。崩落か、爆発か――恐らく、このどちらかだろう。
(まさか、最初からこのつもりだった……?)
 いくら古代の文明が、拡大しすぎた戦争で滅んだと言われていても、民間施設、それもただの居住施設に自爆装置を組み込むほどの狂気に陥っていたとは思えない。
 となれば、居住施設ではなく、何かもっと別の――例えば、軍事基地や兵器施設などの可能性が高い。規模から考えるに、恐らくは後者。あるいは、軍事基地の機能も兼ねていたのかもしれない。居住施設の面影は、兵舎と考えることができる。
 そして、その中身は、敵に奪われるわけにはいかない、何か重要な兵器類と考えるのが妥当だろう。
 だとすれば、領主がそれを知らないというのもおかしい。調査は念入りに行っているだろうし、中枢核がダミーでなかった以上、フェイクを掴まされることもないはずだ。
 知っていて、その事実を黙っていた……そう、口封じのために。
「これは……ますます死ぬわけにはいかないね」
 なぜ、この施設を破壊したいのか、その理由までは分からない。
 だが、破壊したかった施設は破壊され、その事実を知っている人間もいないとなれば、領主の思う壺だ。そんなのは断固として許せない。なにがなんでも生きて帰って、報酬をふんだくってやらなければ気が済まないというものだ。
 だが、そんなイシスの決意とは裏腹に、足下からの振動は、容赦なく建物全体を揺らすまでになってきた。
 もうあまり時間はない。そう思った矢先だった。
「そんな……!」
 目の前に、堅牢な扉が現れた。先ほどの隔壁よりも丈夫そうだ。恐らく、中枢を破壊した者が、情報を持ち出せないように閉じこめる扉だろう。
「まったく……手が込んで……うわっ!」
 天井の一部が落下して破片をまき散らした。まるで、それが合図になったかのように、あちこちから崩落の序曲が聞こえてくる。
「これは……かなりまずい……」
 そうつぶやいたイシスを、噴煙が隠していった。

□     □     □

「……そろそろ、だな」
 ソファーでワインを傾けながら、彼――領主は、唇に笑みを刻んだ。
 遺跡が崩落したと報告を受けたのが、空が黒に染まった頃。そして、もうすぐ日付が変わる。日付さえ変わってしまえば、契約は元々無かったことになる。崩落は、あの冒険者が独断でやったということになるだろう。
 もっとも、それも生きていればの話だが。この時間までやってこないということは、崩落に巻き込まれて死んでしまったに違いない。そう、計画通りに。
 中枢核の破壊で、全ての出入り口と、途中にある隔壁が閉まるのは、調査で分かっている。いくら何でも、崩壊するまでの短時間でそれらを突破するのは無理だ。
 これで、後顧の憂いはなくなった。あとは、徐々に勢力を伸ばしていけばいい。もう探られる腹はないのだ。
 さすがにあの施設に関する資料を発見した時は、焦りを隠せなかった。これから中央に進出していこうという大事な時に、先代の暗部とも言えるものが出てきてしまったのだ。
 その処理は、早急に、そして秘密裏に行わなければならなかった。
 この街に、かの『ブレイカー・イシス』がいてくれたのは、幸運としか言いようがない。そして、唯一の証人も、もうこの世にいない。
「これでいい……これで、な」
 自然に笑いが零れてしまう。気分もいいし、ワインもいつも以上に美味い。まったくもって、最高の夜だ。
「だ、旦那様!」
 だが、そんな至福の時間を、執事は台無しにしてくれた。
「何事だ!」
 怒鳴って叱りつけるも、執事は慌てた様子を露わにしたままだ。この執事にしては珍しい。
「そ、それが……」
「はいはい、案内ご苦労様ー。とっととどいてねー」
 突き飛ばされた執事の後に続いて入ってきた姿に、領主は言葉を失ってしまった。
「いい月夜ですね。さぞやワインがおいしいことだと思います。すみませんね、お邪魔してしまって」
 そう言って、唇の片方だけで笑ったのは、ハンマーを持ち、あちこちに包帯を巻いている女……
「な、なぜ貴様がいるんだ!?」
 そう、イシスだった。包帯を多数巻いた姿ではあったが、背筋を伸ばし、自分の両足でしっかりと立っている。それは、領主から見れば、考えられないことだった。
 領主のあわてふためく姿を見て、イシスはイタズラが成功した子どものような笑みを浮かべてみせる。
「なぜって……そりゃぁ、依頼の完了を依頼主に伝えるためですよ。まだ日付は変わっていませんから、条件はクリアですよね」
「ぐっ……。……おい、報酬を用意しろ」
 苦虫をかみつぶしたような表情とは、今の領主のような表情を言うのだろう。怒りを発散するわけにもいかず、かと言って揚げ足を取るわけにもいかない。この状況では、言い逃れる術はない。
「ところで、領主様」
 執事が退室したのを見計らって、イシスは切り出した。
「な、なんだ?」
「領主様、あそこは居住施設だって仰いましたよね?」
「ああ」
 躊躇いもなく頷く領主。どうやらもう平静に戻ったらしく、ふてぶてしさが溢れてきていた。
「ところが、妙なんですよね。あの施設……どう考えても、居住施設とは思えないんです」
「ほう……?」
「ひょっとしたらもう知ってるかもしれませんが、あの施設、崩壊したんですよ。中枢核を破壊した直後に」
「崩壊の報告は受けている」
「妙だと思いませんか? たかだ居住施設に、自爆装置が付いてるなんて」
「さてな。古代人の考えなど、私の知ったところではない」
「まぁ、そうですよね。ボクだって分かりませんし」
 追随するように頷き、しかし、イシスはそこで言葉をやめたりはしなかった。
「けど、少なくとも、今までに居住施設に自爆装置を仕掛けたという記録はないんですよ。だからこそ、調査するべきだと思いませんか? 専門家なら、瓦礫からでも、そういった特殊な思想があったかどうか分かるでしょう。そうなれば、今まで発見された遺跡の調査は一からやり直し、根本的に別の角度から検証し直すことになります。大発見ですよ」
 言葉の最中から、領主の表情が目に見えて凍り付いている。当然、気づいたのだろう、イシスの意図に。
「お待たせいたしました」
 そこへ、執事が布の袋を持って戻ってきた。先ほどの場所から動いていないイシスへと、その袋を渡す。
「……なるほど」
 重さを確かめ、頷いてみせるイシス。だが、それは決して納得したという頷きではない。こんなもんですか、と目が語っていた。
「文句があるのか……?」
「ちょーっと大変でしたから、期待はしてましたよ?」
「貴様……何が言いたい?」
「いいえ、別に。規定通りの額ですから、ボクからは、何もありませんよ。ただ、この時点で契約が終了した、それだけのことです」
「……」
 歯がみする領主。イシスが生きて帰ってきた時点で、すでに負けは確定していたのだ。
(こんな小娘に……!)
 射殺さんばかりの視線を向けても、イシスは不敵に笑っているだけだ。もう要求を飲むしかない。
 領主は、顎で執事に指示を飛ばす。執事は、慌てて戸棚に駆け寄った。
「おい、貴様、確かこう言ってたな。モットーは、契約の遵守だと」
「ええ。依頼主が裏切らない限りは、契約を違えない、ってのがボクのウリですから」
「良いだろう。今回の件、何事もなく中枢核を破壊した、私はそういう報告を、今、ここで受けた」
 執事が、先ほどよりも小さい袋を、イシスの手に握らせた。
「ええ、確かに、ボクはそう報告しました」
 にっこりと、イシスはそう『契約』した。

□     □     □

 場末の酒場。そのテーブル席の一つに、場違いな姿があった。
 ハンマーを肩で支えるように座る、まだ成熟しきっていない少女。だが、路地裏を一人でうろついていようものなら、間違いなく邪な視線に晒されるであろう少女。まっとうでない人間が集まるこんな酒場にいるべき人間ではない。
 しかし、黙ってグラスを傾けている姿からは、怯えも警戒も感じ取れない。
 そして、そんな彼女に、誰も興味を持った素振りはない。いや、興味がないわけではない。新たに入ってきた客が、冗談混じりに声をかけていくことはある。悪意が彼女に向かわないのだ。
 『ブレイカー・イシス』の名は、滞在四日目にして、この界隈で知らぬ者はいないほどに高まっていた。まぁ、ちょっかいを出してきた荒れくれ者を片っ端からブチのめしていれば、それも無理からぬことだろう。
 そんなイシスは、今、遺跡の解体作業に携わっている。調査が終わり、崩壊の危険性があるため、冒険者や解体業者などが共同で行っている作業だ。それも、明後日には終わる。
(次はどこへ行こうかな……?)
 前回の領主からもらった報酬と今回の報酬で、しばらくは働かなくても困らない。物見遊山というのも、悪くないかもしれない。
 ちょうど、ここから北にある街は、観光地として有名だ。古代の品々を集めた博物館などもあるということだし、じっくりと見て回るのもおもしろそうだ。
 と、立て付けの悪いドアが、耳障りな音を発した。
 雰囲気そのものは、この手の酒場にしては悪くないのだが、客が出入りする度に鳴る、この耳障りな音だけはどうにかならないかと思う。
「ブレイカー・イシス!」
 突然、声高に呼ばれて、イシスは顔を上げた。
 入り口のすぐ側に立っていたのは、これまたこんな酒場には不釣り合いな男達だった。
 一人は、顔を怒りに歪めた、身なりのいい男。恐らく、中の上あたりの階級だろう。
 そして、もう一人は、辺りに油断無く注意を配る長身の執事。なるほど、こんな場末の酒場まで来られたのは、その執事の警戒があってこそだろう。
「そんなに大声出さなくても、聞こえてますよ」
 ゆっくりと立ち上がるイシス。ハンマーを担ぎ直し、その男の方へと歩いていく。
「何かご用でしょうか? 申し訳ないんですけど、今は別件の依頼を受けている最中なので、仕事は受けられないんですが……」
 男の前まで来た瞬間、いきなり胸元をねじり上げてきた。
「ちょ、ちょ、いきなり何をするんですか?」
「貴様、よくもぬけぬけと……!」
 極度の興奮状態にあるらしい男は、ギリギリと胸元を締め付けてくる。
「だ、だから何なんですか! いきなり掴みかかられる覚えなんてありませんよ!」
「忘れたとは言わせんぞ! この私を!」
 そう言われ、どこかで会ったかと思って相手の顔をよくよく見てみれば……
「ああ、あのときの領主様じゃないですか」
 服装が違っているのと、領地から離れている街なので、とっさには分からなかった。確かに領主の顔だし、執事もあのときの執事だ。
「思い出したか! 貴様、契約を反故にしたな!? 何が契約の遵守がモットーだ、すっかり騙されたぞ! おかげで、私は領地を没収されてしまったんだ!!」
 わめき散らす元・領主。だが、イシスには状況がさっぱり飲み込めない。
「状況の説明をお願いしていいですか?」
 完全にプッツンきてる元領主じゃ埒があかないので、執事に説明を求めてみる。
 執事は、分かりました、と丁寧な口調で説明をはじめる。
「あなたが立ち去った二日後、警察の方が来られまして。あの崩落した遺跡の調査結果から、十年前の大臣暗殺事件との関連が考えられるので、詳しい話を聞きたいと言われたのです。あなたを使って証拠隠滅を計ったのではないか……そう推測していた様子でした」
「あーそれで」
 納得できた。要するに、事前・事後処理などは完璧だったのに、イシスが生きていることで、すべてが狂ってしまった……更に突き詰めると、情報を垂れ流したのではないか、そう言っているわけだ。
「分かったか! この女狐め!」
「酷いなぁ。それは言いがかりですって。この商売って、信用第一なんですよ? ボクはあの件に関して、あれ以後、何もしていません。もちろん、類推されるようなことを含めて、です」
 自信を持って断言できる。契約に反する行動はしてない、と。
「貴様以外に考えられんだろうが!!」
 再び掴みかかってくる元・領主をするりと避ける。
 近くにあったテーブルを巻き込んだ派手な音が、店内に響く。
「だから言いがかりですって。契約の内容に反してはいませんよ。けど、言いましたよね。ボクが契約を守るのは、依頼主が裏切らない限りだ、って」
 転がっている領主の背中に、冷たい言葉を浴びせかけるイシス。
「あなたは、一度、ボクを裏切った。そして、あの場で契約したのは……口外しない、そういうこと。それ以前の行動について、何一つ制限はないんです。そう……例えば、包帯まみれの姿で大通りから領主様の屋敷に向かってみる、とかね」
「き……さま……」
 ぶるぶると背中を震わせている領主だが、イシスはどこ吹く風だ。
「裏切られてまで、秘密裏に行動する義務はないよ。そこを恨むのは筋違い。まぁ、あそこで謝罪の一つでもあれば、きちんと言ったけどね。分かっていれば、隠蔽工作もできただろうに。あなたは、少し他人を慮るってことを覚えた方がいいよ」
「おい! こいつの口を黙らせろ!!」
 立ち上がった元・領主は、憤怒の形相でイシスを指さす。構えをとる執事。
「別にいいけど……今は、あなたを殴れるってこと、分かってる? ついでに言うなら、命の保証、しないよ。ここにいるのは、冒険者の中でも特に気の荒い連中だからね。周りを見てご覧。どう考えても、この店の雰囲気は、ボクの味方でしょ?」
 言われて辺りを見回す元・領主の顔が、引きつったものに変わった。
 にやにやとした笑みを浮かべて見つめているものが大半だが、向けられる視線に友好的な色はない。
「ぐ……う……」
「あなたの敗因は、たかが冒険者と見下したことだね。ちょっと高くついたかもしれないけど、勉強になったんじゃない?」
 勝ち誇って言うイシスに、ますます元・領主の顔が怒りに染まっていく。
「さて、お帰りはあちら。帰らないなら、正当防衛ってことで、先に仕掛けるけど? 執事さん、相当の手練れでしょ。凶器向けられてるのと変わらないんだけどな」
「ぐっ…………くそっ!!」
 最大級に罵りの声をあげ、すれ違いざまには、呪い殺さんばかりの視線を投げつけてきた。
 だが、結局、元・領主は執事と一緒に、すごすごと酒場を後にしたのだった。
「やれやれ……興が削がれちゃったね。今日はボクのおごりだ。みんな、お詫びと思って、遠慮なくやっていいよ」
 苦笑混じりにイシスが宣言すると、店内が一瞬にして歓声の渦に飲み込まれた。

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