「庫裡 正器(くり まさき)君、庫裡 正器君。王立悠久学院高等部の大城様がお見えです。正門までお越し下さい。繰り返します。庫裡 正器君、庫裡 正器君。王立悠久学園高等部の大城様がお見えです。正門までお越し下さい」

「……あん?」

 唐揚げを箸に摘んだまま、思わず黒板の上へきつめの視線を流してしまう。

「……お兄ちゃん、そんなガラ悪げに伝達板睨まなくてもいいんじゃない?」

 庫裡 春菜(くり はるな)は、ぱくりと卵焼きを口に放り込んだ。そして、無意味に幸せそうな表情を浮かべて咀嚼を始める。

 ごくり、と飲み込んだところで、春菜は「あれ?」と首を傾げた。

「悠久学院と大城? って、え? 大城 雅也(おおしろ まさや)君?」

「……ああ、そうだな」

 反応が鈍いんだよ、と内心だけでツッコミを入れつつ、正器は唐揚げを弁当箱にしまいながら呟くように言った。音も立てずに立ち上がると、ちらりと春菜を一瞥、釘を差す。

「行ってくる。春菜、俺の弁当、取るなよ」

「そ、そんなことしないよっ!!」

だったらその引っ込んだ手はなんなんだよ――。

そう突っ込みたかったが、めんどうなのでやめておくことにした。







「へぇ、そうなんだ? ふんふん、へー。あーじゃぁ、今度案内してよ。え? まさかぁ、ナンパじゃないって。特定の人を追いかけるのはナンパじゃないっしょ? そうそう一目惚れ」

 正門の近くまで来ると、若い男の上機嫌な声が聞こえてきた。

(……ほんとだったのか)

 軽く目を見開く正器。多少低くなっているようだが、その声には確かに聞き覚えがあった。……だが、実際に聞くと、信じられないという思いが湧いてくる。

 とは言え、聞こえてくる会話、声、可能性……偽物とは考えにくい。

 だとしたら……なんの用件だろうか。

(復讐? 再会?)

 ぱっと思い浮かんだのはこの二つだった。

 どちらにしてもロクなことじゃないな。

 正器は胸中でため息をついた。

「大城」

 門の脇で捕まえたらしき女子生徒と話している整った顔立ちの長身。引き締まった精悍な顔立ちは野性味を帯びており、物怖じなどするようには見えない。だからこそ初対面でも誰彼構わず話しかけられるのだろうし、そういうところが彼がもてる要因でもあった。

「お。よう、庫裡。久しぶりだな」

 近づいてくる正器に気づいた大城 雅也は、気さくに……当時のままの様子で手を挙げた。

「つーことで、待ち人来たり。悪いね、今日はここまでだ」

 言葉だけは柔らかく……しかし、その視線はまっすぐ正器だけを見ていた。

「そう。じゃぁね」

 視線を交わし合う二人の間に漂う、奇妙なさぐり合いの雰囲気を察したらしい女子生徒は居心地悪そうに去っていく。

「……何をしにきた?」

 女子生徒が完全に遠ざかったのを気配で感じてから、正器は厳かに問いかけた。

 驚いたようなショックを受けたような表情を浮かべた雅也だったが、すぐさま視線を和らげ、肩をすくめた。

「おいおい、久しぶりに会った友人に対する第一声がそれか?」

「……」

「だから睨むなって。俺の実家、こっちの方なんだよ。ちょっと離れてっけどな。で、ようやくもらった休暇なんで帰ってきたわけだが……まぁ、懐かしい顔がいるって話だし、どうせだから顔見てみようと思ったわけだ。……そんなに不審か?」

 正器は答えない。ただきつい視線を向けているだけだ。さすがにため息をつく雅也。

「まぁ、裏探りたくなるのは分かるけどな。ただよ……俺達はあのことだけで終わっちまうのか? その程度だったのか?」

 問いかける雅也の声音は、静かに怒っているようでもあり、心の底で泣いているようでもあり……また、言外に責めているようでもあった。

 以前は近かったお互いだが、門を挟んで対峙する今の距離は、声を交わせ、表情を読め――同時に、どんな動きにも反応できる距離。

 二人にとって、今、間に横たわる空間はただの隔たりではない。心の隔たりをも意味していた。

「……」

「そこまでおまえは引きずってんのか?」

 なおも無言でいる正器に、雅也は少し険を含めて問いかける。

「そんなに弱いのか? あいつも、俺も」

 雅也は眉根を寄せて、一つ足を踏み出した。

「……ふざけんなよ? 俺達はおまえが哀れまなきゃなんねぇほど、あいつに依存してたってのか?」

「別にそんなことは思ってない」

「だったらなんで平然としてない?」

「……」

 痛いところをつかれた。正器の表情が微妙に歪む。

「もっと平然としてられるはずだ、おまえなら。どうして今のおまえはそうじゃない?」

「……」

 言葉を返すことができない。そんな正器が、さらにいらだたせるのか。雅也の視線はどんどん険を増していく。

「ずいぶんと大人しくなったもんだな、ええ、おい? やっぱ……逃げただけか?」

 雅也の挑発的な物言いが終わるかどうかの瞬間。正器は、その一瞬で接近、雅也に風を切るような拳を放った。

 雅也の眼前で拳が止められても、正器は表情一つ崩さない。ただ、その声に怒りを込める。

「言葉を選べ。死から逃げる――それは死者への冒涜だ。俺は、それだけは絶対にしない」

「言うじゃねぇか。んじゃ、放課後つきあえ」

 どう猛な笑みを浮かべ、雅也は放り投げるように正器の拳を外す。

「見せてもらおうじゃねぇか。おまえがこの一年強でどれだけのことをやってきたのか」

 挑みかかるように雅也の眼を直視していた正器は、小さく首肯するときびすを返した。

 怒りのオーラを漂わせ、握った拳とともに立ち去る正器の背中を見送りながら、

「やれやれ……死ぬかと思った」

 雅也は顎に滴る汗を拭った。緊張感から解放され、どっと疲れが押し寄せてくる。

「ま、これでなんとかってやつか……」

 小さく息を吐き、雅也もまた、立ち去っていった。


*  *  *


 教室に戻った正器は、いつものメンツが揃っている自分の机の周囲を見て、大きくため息をついた。

 正直、今はあまり人と関わりになりたくなかった。しかし、向こうはすでに気づいているのだから、今更引き返すわけにもいかない。何より、弁当は机の上なのだ。

「あ、お兄ちゃん……ごめん」

 近づくと、まず最初に春菜が心底からすまなそうに謝ってきた。

「はぁ?」

 一体何が――と問いかけようとした瞬間、

「正器、呼び出しの相手、前の学校の友達らしいけど、なんの用で来たん?」

 ずいっと倉品 ほたる(くらしな ほたる)が身を乗り出してきた。

(そういうことか……)

 春菜の謝罪に合点が言った。とどのつまり、放送を聞いたほたるに詰め寄られてしゃべってしまった、ということだろう。

「別にかまわん」

 素っ気なくそれだけ言うと、机の上に出しっぱなしだった弁当箱をひっつかむ。

「ちょいまち」

 そのまま立ち去ろうとしたところを、ほたるに制服を掴まれる。

「人の質問答えていかんかい」

「答える必要はない」

 無表情に見下ろし言い捨てる正器だったが、ほたるは制服をぐっと掴んで離さない。

「なんでそんなにピリピリしとるねん。おかしいで。そいつ、ほんまにダチなんか?」

「答える必要はない」

 能面のように表情を固めて繰り返す正器。……いや、その声には、ほたるに向けた確かな怒りがあった。

「うっ……」

 圧倒されるような怒り。明確な怒りを顕わしているわけではないのに、一度それを認識してしまうと、まるで正器の体から怒りのオーラが立ち上っているような錯覚を覚えてしまう。

「あ……」
 手がゆるんだところを見逃さず、正器はするりと手から抜け出してしまった。そして、振り返ることもせず、足早に教室を出ていった。
「ほ、ほたる……?」

 がっくりとうなだれるほたるに、春菜がおそるおそるといった感じで声をかける。

 が、

「……ひっ」

 伸ばしかけた手を、春菜は思わず引っ込めてしまった。ほたるが、うつむいたまま肩を震わせているのだ。

 泣いて……いるわけではないだろう。悲壮感や哀愁といった雰囲気はない。その代わり、ほたるの全身からは何か邪悪な気配が漏れ出ている。

「くっくっく……正器、この程度で引き下がる思うたら大間違いやで? この倉品 ほたるをなめたらどうなるか、よう見とき……」

「ほ、ほたるが壊れた……」

 びくびくの春菜は、ほたるからちょうど机一個分の距離をとっていた。その隣、のほほんと弁当箱を手に立つ七海 紗夜香(ななみ さやか)はマイペースに弁当をつついている。

「いつものことじゃない。ほたるって意外に執念深いしね。それに……否定されればされるほど燃えるから。今のほたる、ある意味で絶好調よ?」

「あんた、なんで楽しげ……いや、嬉しげなのよ? それにつき合わされるの、わたしたちなんだけど?」

「……嬉しそうな顔、してた? 私」

 紗夜香は軽く意外そうに春菜を見た。春菜は「何を言ってんの?」という顔で見返す。

 「んー」とうなりながら、紗夜香は天井へと視線を巡らせる。

「うん、確かにそうかも。なんだかんだで、ほたるが自分のために一生懸命になれることが見つかったわけだし」

「紗夜香。あんた、頭大丈夫? どう考えてもほたるって我が道を行くのわがまま娘じゃない。そのせいでどれだけわたしが迷惑被ってるか……」

「でも、本当の意味での拒絶をする相手には近づかないから。それでもかじりつこうとするのは、私が知ってる中では初めてよ」

 まぶしいものを見ているかのような紗夜香の言葉に、春菜は「……確かに」と多少の引っかかりを覚えながらも納得した。

 うっとうしいと感じたことは間違いなくあったし、今も迷惑は多分に被っている。それだけは誰がなんと言おうと譲れない一線だ。

 けれど、それを除けば、感謝している部分も……まぁ、ないわけではない、と思う、たぶん。

「とは言え……もう少し手段がまっとうじゃないとと思うんだけどなぁ」

「そこはほら、ほたるの性格だしね」

「……結局、それが結論なわけね。タダじゃ得はさせない、か」

 苦笑混じりの紗夜香の声につられて春菜の口から出たのは、そんな達観めいた言葉とため息だった。

「違うかな」

「え?」

「得をさせた分以上に、自分に戻すのよ、ほたるは」

 だからなんで楽しそうにそういうことが言えるのよ――。

 禍々しいオーラを放つほたるを微笑で見守る紗夜香にそう言い返したかったが、なにやらどっと疲れがのしかかってきて言葉にはなってくれなかった。


*  *  *


 ふと、前を歩く雅也が足を止めた。

 どうやら、ここが目的地らしい。学園近くの山の麓。標高はそんなに無いが、鬱蒼と木々が群生し、どんよりと暗く、雰囲気に深い奥行きを感じさせる山だ。

「ここは……」

 だが、そんな不気味な雰囲気よりも正器が引っかかったのは、山そのものだった。

「中央が管理している山だ。……ここには、いくつかの魔物が住み着いている。……いや、住まわされている」

 悠然と振り返った雅也は、正器を視界に収め、唇の端をつり上げる。

「今はちょうど魔物の繁殖期だ。狩りにはうってつけだと思わないか?」

「……入れるんだろうな?」

 返す正器の声には、拒否も怯えも虚勢もない。超然としながら不敵な態度を崩さず、ただまっすぐと雅也の挑発的な瞳を見据えている。

「心配ない。ここから先には何もないからな。さっきの門が最終ラインだ」

「ああ……」

 えらくごっつい門が七分くらい後方にあったな、と正器は今更ながらに思い出した。

 ほとんど顔パス状態で通り抜けた(雅也が門番と二言くらい話しただけで通れた)ため、まだ先に門か何かがあるものとばかり思っていたのだ。

「で、どうするんだ?」

「もう少し上の方に行ってから話すさ。とりあえずは走ろうぜ」

 言うなり、雅也はきびすを返して地面を蹴った。下半身のバネを最大限に活かした跳ねるような疾走は、ぐんぐんと正器との距離を開けていく。

「まずは肩慣らしに着いてこい……か?」

 最後の言葉を言い終わると同時、正器が一陣の風になった。ふっと、かき消えるように今いた場所から消える。

 一瞬で最高速に乗った正器は、滑るような走りで先行する雅也を追っていた。







 来るのも突然。誘うのも突然。歩くのも突然。止まるのも突然。走るのも突然。

 そして、また止まるのも突然だった。

(こんなマイペースだったか……?)

 雅也から十歩程度引いた場所で足を止め、正器は内心で首を傾げた。木々が若干だが薄くなっている、見ようによっては広場に見えなくもない場所に止まっても、雅也は正器に背中を向けたまま。

 はっきり言って、妙だ。大城 雅也という人間は、独走のきらいはあるが決して自分勝手なヤツではなかった。自分一人でならバカみたいに突っ込んでも、誰かと共にいるときに無謀な行動はしない。……そのはずだった。

 だが、雅也の一連の行動、特にこの山に入ってからの先導の仕方は、あまりに乱暴だった。こちらの話など一切聞かず、緩急をつけてペースを振り回しながら走っていた。見失うならそれまで――まるで背中がそう語っているかのように、ただひたすらに雅也は走り続け、そして突然に止まったのだ。

「ずいぶんと長い準備運動だったな?」

 いったい、何体の魔物をすれ違いざまに倒しただろうか。狩りをするつもりならば、もう十分すぎるほどにしたと言ってもいい。

 長いというよりはハードすぎる準備運動。しかし、ハードという言葉を使う気にはなれず、あえて皮肉げに正器は言った。

「そうだな。準備のための運動はこれくらいでいい」

 背中越しに投げかけられる言葉に、正器は不可解そうな表情を浮かべた。

 そんな正器の表情を読んだようなタイミングで、雅也は振り返った。

「ワケわかんねぇってツラしてんな。けど、そろそろ気づいてんじゃねーか? 俺の行動のおかしさに、よ」

 片眉と唇を跳ね上げた雅也の表情は、自嘲、挑発、軽視……様々な感情の糸がよじれ絡まったようだった。

(そうだ、こいつの行動は明らかにおかしい……)

 その原因は、行動ではない。行動はあくまで結果だ。だとしたら、行動を起こすための主原動力――感情がいつもと違うのだろう。

 だが、刹那とて同一のパターンを刻まない感情は、しかしながら人格という枠の中で整合性を保っている。いくら完全に人を理解することができないとは言え、そうそう不可解な行動を取ることはない。

 ならば、それをうち破り、なおかつ行動に結びつくほどの感情があるということになる。

(まてよ? 強い感情と不可解な行動だと……?)

 二つのキーワードが、脳裏で同列に固定された。

 瞬間、イコールで結ばれるが如く、一つの記憶が想起される。キーワードと記憶によるロジック――論理――の展開。

「どうやら……分かったようだな」

 雅也が、正器の表情の変化を見やって言葉を投げる。まるで、それくらいは当然だと言わんばかりの声音で。

「久しぶり、正器」

 舞台袖からタイミングを見計らっていたかのか。そう邪推したくなるほどに小憎たらしいタイミングで、背後から声が流れてきた。

 背後を取られたこと、今まで気づかなかったこと――それらが、一瞬、些細なことに思えた。

 ハスキーながら明瞭な意志を持った声。正器にはとても聞き慣れた声。

 鼓動が、刹那だけ止まった。

 ことさらにゆっくりとした動作で、正器は振り返る。

 まるで、心臓が鷲掴みされたようなショックを和らげるためか、夢が覚めるまでの間を稼いでいるようにも見える。

 振り返った先に立つのは顔なじみの少女。成長はしているし多少の外見違いはあるが、そのていどで見間違えるはずがない。

「大宮 朝恵(おおみや あさえ)……」

 懐かしい顔……そのはずなのに……正器は負の感情から、名前を呼ぶことしかできなかった。

 呆然と立ちすくむ正器には目もくれず、風が通りすぎるように雅也が脇を抜ける。

「そっちの首尾はどうだ?」

 そして、狩りの成果を聞く口調で朝恵に問いかけた。

「二匹。まぁこんなもんだろ? 歯ごたえはなかったが、多くても困るしな」

 ぶっきらぼうでどっちかというと男っぽい言葉を使う朝恵は、ごくつまらなそうに肩をすくめた。

 そして、ぐいっと左手を引っ張った。

「ふぁんっ」

「ほふっ」

 すると、それに引きずられて木の影から二つのくぐもった声が聞こえ、続いてどさりと地面の上に投げ出された。

「なっ……!?」

 なんとかポーカーフェイスを保とうとしていた正器も、それを見た途端に仮面が剥がれ落ちた。

 地面に投げ出された、朝恵曰く二匹とは……拘束され、猿ぐつわを噛まされたほたると春菜だったのだ。

「どういうことだ! 倉品と春菜をどうするつもりだ!?」

 声を荒らげ、木々がざわめくような怒気を叩きつける。だが、雅也も朝恵も微塵たりとも動揺しなかった。

「俺の俺らしからぬ行動は、全部ここに帰着している。そう、最初の呼び出しから、な」

「!?」

 しまった、と正器は直感的に全てを悟った。

 もっと深く考えるべきだった。推理は進むだけではなく、戻らなければならない。久々にあった旧友が奇妙な行動をとっていたために平静な思考を失ってしまっていた。

 ……いや、正確には違う。失わされたのだ、雅也に。

「んーんんーん、んんー!!」

 朝恵の足下でほたるがしきりにわめいているが、言葉の中身は読みとれない。

 ただ……罵詈雑言であることだけは確かだ。こめかみに血管がモロに浮き出している。

「まさかとは思うが……人質のつもりか?」

 捕まっていてもいつもと変わらないほたるを見て、なぜか平静を取り戻した正器は静かに問う。

「あたしと戦ってもらう。そのための布石だ」

 直接に向けられるほたるの悪意を完全に無視し、朝恵は二人をまたいで前に出る。障害物をよけただけ。そんな態度が如実に浮き彫りになる。

「んーんんーんんんんーんんーんーーーーッッ!!」

 あまりといえばあまりの態度に、ほたるはさらに烈火の如く罵詈雑言を浴びせかける。

 だが、残念なことにそんなくぐもって明確にならない罵詈雑言に構うような、慈悲に溢れた精神の人間はここにはいなかった。

「逃げるなってことか。やっぱり人質だな」

「どうとろうとあんたの勝手だ。あんたにどう思われようと関係ない。姉さんを見殺しにしたあんたになんてな!」

 突如、怒りの感情を火山の爆発に似た勢いで噴出させる朝恵。いや、それは怒りなどという生やさしいものではない。憎悪にすら発展した、どす黒い殺意だ。

「確かに……俺はあいつを、夕奈を見殺しにしたも同然だ。そう言われても仕方がない、か」

 誰にも聞こえないつぶやきで自嘲する正器。

 しかし、それも一瞬のことだ。次に顔を上げた正器は、いつもの無愛想でどこか達観したような表情ではなく、鋭く険しい表情を浮かべていた。

「だが、殺されるわけにはいかん。俺がおまえに与えられる死を受け入れたら――あいつの死が無駄だったということになる」

「うるさい! 一人で功を焦って突っ走って挙げ句にチームを窮地に追いやっておいて……姉さんを犠牲にしておいて……それのどこに意味があるんだ!? あたしだけじゃない、みんなが反対したのにあんたは突っ込んだ。姉さんはそんな馬鹿なあんたをかばって死んだんだぞ!?」

 向けられる殺意を、正器は一身に受けていた。

 全てが事実だ。否定などできようもない。焼き印のように刻み込まれたもっとも苦い記憶なのだから。

「……」

 ちらりと雅也を見る。雅也は、足下に転がるほたると春菜の監視をしながら、じっとこちらの動向を探っている。

 何を言うのか――これからの言葉を、一言一句を逃すまいとしていた。

(やっぱりか。……まぁ、仕方がないな)

 思った通り、朝恵は事実の全てを知ってはいない。もっとも、それも致し方ないことだろう。そうでなければ、天涯孤独となった朝恵は精神の均衡を保てなかっただろうから。それだけ、朝恵の精神は極限の状態にあった。そして、それは今もだった。

 少しでも朝恵のためになればと、憎しみがいずれ風化するようにと……正器は誰にも何も言わずに姿を消した。

 恐らく、誰もが考えただろう。正器は逃げた、と。

 それは正器の思惑通りだ。そう思われるような状況を作り、事実を誰にも話さず、ひっそりと去ったのだから。

 そして、間違いなくその思惑は成功している。雅也も計画の一端を担っているという現状が、その証拠だ。

 事の真相を知っているのは、当時チームの班長だった夕奈と副班長だった正器、そして当時の教官だけで、その片割れはもうこの世にいないし教官には軍属士官の両親に口を添えてもらって厳重に口止めしてある。どこかから漏れることはないだろう。昔も今もこれからも、雅也、朝恵、他のチームメンバーだった人間……全てが表層しか知らない。

(だが、それでいい……)

 どう取り繕おうと、夕奈が死んだことは事実だから。功を焦ったことも事実だから。

 時に真実は事実よりも軽くなる。正器が知る限り、夕奈の件はまさにその典型だった。

「一つ、いいか?」

 もはや戦闘は避けられない。戦うことを覚悟し、それでも確認しておきたいことがあった。

 数秒の沈黙をはさみ、無言で顎をしゃくる朝恵。

「俺は逃げない。たとえ殺されてもだ。だから、事が終わってからでいい。そいつらには手を出さないで解放してくれ」

「……あんたの態度次第だな」

 鼻で笑う朝恵だったが、正器は「それでいい」と頷いた。

 そんな正器の態度が余裕ぶったように見えたのか、朝恵は不機嫌そうに顔を歪め舌打ち一つ。

 同時に地を蹴った。

「はっ!」

 気合い一閃、風を切る拳が正器の顔を狙う。正器は膝を沈めて拳をやり過ごし、同時に足払いをかけた。

 だが、朝恵はその場で軽く跳ねて足払いをかわし、着地と同時に軽くバックステップ。

「『ストーンブラスト』!」

 地に足が着いた瞬間、人差し指を正器に向けて突き出して魔法発動。直後、足を振り抜いて無防備な正器の足下から、十数個の石弾が跳ね上がった。

「ちっ……!」

 残っていた足のバネを最大限に使い、正器は横へと転がる。間一髪で石弾をよけきった正器は、そのままの勢いで起きあがり、低
姿勢で前方へと――朝恵とは逆の方向へ脱兎の如く駆けた。

「なに!? くっ、『ストーンブラスト』!」

 一瞬、面食らった朝恵だったが、すぐに正器の背中へと魔法を放つ。

 だが、魔法が到達するよりも早く、正器は大樹の陰に回り込んでいた。標的を失った魔法が、それでも前方へ飛翔、正器の盾となる大樹へと突き刺さり弾痕を穿った。

「それで隠れたつもりか!? 『アースニードル』!」

 続いて放たれた魔法は、大樹の手前の地面から突き出た。地面から射出された鋭い円錐が大樹めがけて伸びていき、あっさりと大樹を貫通した。

「『エアウォールクラッシュ』!」

 だが、次の瞬間、正器の声が響くと同時、風の壁が轟音とともに木々や草花を蹴散らしながら、同心円状に広がっていった。

 円錐も風の壁に押し返され、縦に回転しながら朝恵へと迫る。

「くっ……!?」

 進路上から体をずらし円錐をやり過ごす……が、次の瞬間、朝恵は思いっきり目をむいた。

 朝恵の視界に飛び込んできたのは、四人の正器が手を胸の前で向かい合わせながら一斉に駆けてくる光景。

(幻か……!)

 だが、実戦慣れしている朝恵はすぐさま平静を取り戻し、対抗策に出た。

(全部叩きつぶす!!)

「『ストーンブラスト』!」

 猛烈な意志を込め、石弾を数十発放つ。その全てがまるで吸い込まれるように四人の正器へと飛翔し……そしてなんの抵抗もなくあっさりと通り抜けた。

「なっ!?」

 あまりのことに硬直する朝恵。そして叩きつけられる正器の声。

「『シャドウランサー』!」

「!!」

 頭上から降ってくる気配が四つ。朝恵は迷うことなく前に飛び出した。背中越しに、地面に何かが突き刺さる音が三つと降り立つ音が一つ聞こえてきた。

(木に隠れたのは足場のためか……!)

 幻覚も魔法もフェイク。本命は上空からの魔法と自身の落下。

 だが、少しばかりこちらの身体能力を甘く見過ぎていた。

 魔法を放つタイミングが早すぎる。策を見破った確信とともに、地面に半円を描く要領で振り返る朝恵。

 視界に飛び込んできたのは、駆け出そうと足を踏み出した正器。

(ここだ!)

 絶好のタイミング。朝恵はタイミングあわせに一瞬タメを持つと、確信と共に渾身の左ストレートを放った。

「がっ……!」

 だが、相手にヒットしたのは拳ではなく、足だった。そして、苦痛の声を漏らしたのは正器ではなく、朝恵。正器の体を通り抜けた朝恵の拳の代わりに、正器の蹴りが脇腹にめり込んでいたのだ。

 カウンターのつもりが逆にカウンターを仕掛けられ、朝恵は軽く宙を舞った。

「げほっ……」

 かろうじて地面に足から着地するも、こらえきれずに膝をついてむせこんでしまう。

「まさか……ここまで一瞬で組み立てたのか?」

 肩で荒い呼吸をしながらも、朝恵は懸命に立ち上がった。一瞬たりとも長く正器の前で膝をついていたくはない、という意地の籠もった動作だ。

「全部が、最後の蹴りへの布石だったのか?」

「……それもあるな。だが、最大の狙いはそれじゃない」

 蹴りを放った位置から全く動かずに、朝恵を見据える正器。朝恵は、正器の言葉に眉をひそめる。

 だが、朝恵の疑問はすぐに解決された。……朝恵の、全く予期せぬ方向で。

「お兄ちゃん、こっちはオッケーよ」

 縛られて口をふさがれているはずの春菜の声が正器の背中にかかった。それなのに、正器は驚いた風でもなく、

「ああ」

 と返す。

 逆に驚いた表情なのは……朝恵と、春菜に腕を固められている雅也だった。

「正器。おまえ、最初からここまで計算してたのか? 妹が魔法で強化された縄を引きちぎれると分かってて……」

「確証はなかった。だが、春菜なら十分可能だとは思ってた」

「それで自分の戦いそのものをフェイクにしたわけか……。妹は妹でわざわざ逃げ出さずにチャンスをうかがってやがった……完全にしてやられたな」

 言う割に雅也に悔しそうな感じは見られない。どちらかと言えば、ほっとしたような声音だ。

「だからどうした?」

 朝恵が、一歩足を踏み出した。呼吸は完全に元に戻っており、痛みを感じている素振りもない。どうやら、会話の間に完全回復したようだ。

「確かにあんたはこっちよりも一枚上手だった。だが、まだ戦いは終わっちゃいない。あんたは逃げない。あたしも逃げない。どちらかが倒れるまでは終わらないんだよ!」

 自らの健常さと決意を咆哮にしてあげる。まるで物理的な力を持っているかのように広がる声の波紋は、その場にいた全員を総毛立たせた。

「……約束だったしな。春菜、別に離してもいいぞ。あと……邪魔だけはさせるなよ」

 確固たる意志をもって応じる正器。二人の間に、強烈な緊張が生じた。葉擦れの音さえも止んでしまうほどの異空間が形成されている。

 緊張で汗も噴き出してこない。呼吸、心音さえ邪魔に思えるほどの極限の舞台。

 互いの強さはいやというほど分かった。もうお互いに手加減する理由もない。……いや、していられない。

(……ん?)

 ふと、正器は鋭敏化した感覚の隅に奇妙な感覚――淀みを捉えた。漂うような白いものが、視界に引っかかっている。

(……なんだ?)

 わずか一呼吸で、その漂う白いものは濃さを増した。

 それはまるで霧のようであり……明らかに霧とは違う。冬の霧が生む、独特のまとわりつくような冷たさがない。

「おい、なんだこりゃ……?」

 周囲一帯を薄く覆うように広がった霧らしきものに、雅也達も気づいた。だが、誰もが初めての事態らしく、困惑の表情を浮かべている。

 そんな困惑する一同の耳に、


ザッ――。


 と草を踏む音がやけに明瞭に届いた。

 導かれるように視線が音の方へと集まる。そんな一同の視線が結ばれる薄い霧の向こうから、一人の女性が現れた。

「あ……」

「なに……?」

「ば、馬鹿な……」

 途端、朝恵と正器と雅也が、思い思いに驚愕を表した。しかし、あまりに強すぎた驚きは、感覚を麻痺させその表出を小さなものにしていた。

 女性が、一歩前に出る。幻か――という共通の思いを、さくり、と草を踏む音がうち砕く。

「ゆ、夕奈……?」

 困惑、恐怖、焦り……諸々の感情から、嫌な汗が吹き出してきた。

 正器は、夢の中にでも放り込まれたのかと思った。夢の中でも、音は再現されるという。強烈な催眠術そのものは確かに存在するし、使う魔物もいる。だから、事実、知らない内に一瞬で夢の中に入り込むというのも不可能ではない。

 しかし……鋭敏化したままの感覚は、確かにマナの動きを感じ取っていた。

(この霧そのものが、なんからの魔法的作用を持っている……)

 意識そのものが外界との接触を断っていれば、「マナを感じているということを認識できない」のだ。すなわち、これは夢ではない。

(幻覚か? だとしたら……そうか、記憶の投影だな)

 死んだはずの夕奈がいて魔法的要素が動いているのならば、この線で間違いない。

「趣味が悪いな……」

 そうと分かった途端、頭にふつふつと血が登り始めた。こういうのは好きじゃない。いや、正直言えば大嫌いだった。

「……らむの? あ……も……たす……なかった……ない」

「……?」

 夕奈もどきが口をわずかに動かすと、細切れの声が漏れてきた。何を言っているかは分からない。

「あ……ああ……ああ……」

 だが、朝恵は違っていた。極寒の最中にいるように身体をかき抱き、わななく唇からはは意味のない言葉を吐き出している。

(恐れている……?)

 朝恵の反応は間違いなく恐怖だ。

「なん……器を……むの? あなたも……けてくれなか……じゃない」

 夕奈もどきが近づいてくるにつれて、紡がれる言葉が明瞭になっていく。どうやら、同じ言葉を繰り返しているようだ。さっきと似通った部分が多数ある。

「あ、あ、あ……」

 朝恵の恐怖は夕奈もどきの一歩一歩で増大しているらしく、ついには後ずさり始めた。

「なんで正器を恨むの? あなたも助けてくれなかったじゃない」

「あ、ああああああああああああああああ!!」

 ついに全ての言葉が明らかになった。と同時、朝恵は喉が張り裂けるような悲鳴をあげ、絶えきれなくなったように頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。

(精神攻撃……?)

 唖然となりながらも、朝恵の様子を見て無意識に思いついたのはそれだった。だが、次の瞬間、その発想がさらに繋がった。

「俺の記憶じゃないのか!?」

 事態の中心である自分の記憶が反映されたのだとばかり思っていた正器は、思わず声を跳ね上げてしまった。

「まさか……ここまで精神の均衡を崩してたのか……」

 目を見開きながら、雅也がぎりり、と奥歯をかみしめた。

「なるほどな……。朝恵」

 しゃがみ込んで震えている朝恵に、正器はぶっきらぼうな声をかける。朝恵はなんの反応も示さない。正器は構わず続ける。

「あれは、ただの幻だ。お前が自分を責める必要はない。夕奈が死んだのは俺の責任だ。夕奈は、決してお前を責めはしない。ただ一人の愛すべき妹を、あいつは責めて苦しめたりはしない」

 正器は、決して視線を朝恵に向けようとはしない。優しい声をかけもしない。ただ、自分の感じる、思う事実のみをぶっきらぼうな口調で告げるだけだ。

「なんで正器を恨むの? あなたも助けてくれなかったじゃない」

「煩いな……」

 ぼそりと、いらだちを多分に含んだ口調で唾棄する正器。と、正器の姿がふっとかき消えた。

 次の瞬間、正器は夕奈もどきの土手っ腹に思いっきり蹴りをたたき込んでいた。吹き飛ぶほどの蹴りをたたき込まれても苦痛を感じないのか、夕奈もどきは危なげなく地面に降り立つ。

「なんで正器を恨むの? あなたも助けてくれなかったじゃない」

 そして、機械的にまた同じ言葉を繰り返した。

「煩いんだよ……。死者を……夕奈を……侮辱するんじゃないッ!!」

 ごうっ、と風をかき分け、正器は接敵。

「『シャドウブレード』!」

 手に漆黒の刃が出現し、正器はためらわず夕奈もどきの首をはねとばした。
「死者の姿形を真似ること、それは死者への冒涜だ。俺は許さない。器を壊すのに……死者の尊厳を護るのに、俺は惑わされない、ためらわない。それが俺の生き方だ」

 それが信条。たとえ何があっても、これだけは変えるわけにはいかない。胸を張って生きるために、何があっても自分を誇れるように……生き方だけは頑なに護ってきた。そして、護っていく。

 夕奈もどきが、景色と一体化するように透過していく。存在そのものが希薄になっていき、やがて消失。後には、首を飛ばされた三つ尾を持つ狐がうち捨てられていた。

 薄く漂っていた霧も晴れ始め、正器はくるりときびすを返した。もう魔法的要素はない。

「ま……さき……」

「俺は、夕奈の死を忘れない。他人のせいにもしない。二度と繰り返さないように、自分を変えていくだけだ」

 悠久学園での事件を契機に、正器は自分のスタイルを変えた。いくら戦闘力を上げても、結局は一人でしかない。やれることには限界がある。限界の先にあるのは……間違いなく同じ過ちだ。

だから、敵を自ら討ち滅ぼすことではなく、仲間を手助けすることで二度と過ちを繰り返すまい――そう決意し、持っていた技術と才能を全てサポート用のスタイルへと変更した。無茶だとは分かっていたが、できないことはない、それを実践するのが夕奈への手向けだと思ったのだ。

 恨まれようとも罵られようとも、自分の思いを遂げるためにはどんな苦労も厭わない。それが、庫裏 正器という人間だった。

 だから、言い訳も釈明もしない。正器はそんな想いを胸に、朝恵の横を素通りした。そして、無言のまま雅也達の前で足を止める。

「正器……」

「声をかけるのは、お前の役目だろ?」

「……」

 一瞬、気恥ずかしさと困惑が混じり合ったような表情を浮かべ、雅也は無言を選んで駆けだした。

「悪いな、変なことに巻き込んで」

 残された春菜とほたるに、まず謝罪する。自分の態度も問題だった、と今なら反省できるから。

「それと、介入してこなかったことには感謝してる」

 続けて、こらえてくれた二人に礼を言う。無関係の人間に横から割り込まれていたら、たぶん余計にこじれてしまっただろうから。

「ま、ええやん?」

「いい経験になったよ」

 何も言わず笑う二人。学園で色々とアレな目に遭っているせいか、なかなか剛胆だった。

 正器は、我知らずに苦笑を漏らした。詮索もない、慰めもない――ただ、戻ってきたことを受け入れてくれることが、こんなにも心安らぐものだとは思わなかった。

「じゃ、帰ろっか。そろそろ夕ご飯の時間だし」

 言って、春菜は先頭に立って山を下り始めた。ほたるがそれに続きながら、顔をにやけさせる。

「あんた、ほんまに飯の時間だけは正確やなぁ」

「う、うるさいな、しょうがないじゃない」

 顔を真っ赤にし、ぷいっと膨れる春菜。ほたるは、なおもそんな春菜をからかう。正器はそんな二人の背中を見ながら後に続く。

「正器!」

 と、いきなり背後から鋭く呼びかけられた。反射的に振り返った正器の目に、投球のポーズを取る朝恵の姿が目に入った。

 と思った瞬間、ほとんど一条の光となって何かが顔面めがけて飛んできた。

「!!」

 左手を眼前にかざして受け止める。かろうじて間に合った。もう少しで顔面激突というところだった。

「これは……!?」

 文句を言おうとした瞬間、手の中のものに正器は驚きをあらわにし、はっと朝恵を見た。

 手の中にあるのは、5つの指輪をつなげたデザインの銀ネックレス。指輪にはそれぞれチームメンバーのイニシャルが刻まれており、持ち主の指輪は中央に来るように造られている。

 今、正器が手にしているのは……悠久学院を去るときに置いてきた、中央に「M.K.」と刻まれたものだった。

「それは姉さんがそれぞれのために作ったものだ。捨てようがないものを、勝手に置いてくんじゃない」

 そっぽを向いたまま、朝恵は器用にぶっきらぼうな声を張り上げた。

「いいのか……?」

 チームメンバーとして互いを信頼していたからこそ、このネックレスは全員が受け取り、常に身につけていた――まさしくチームの絆ともいうべき品だ。

 どのような事情があれ、チームを離れた自分にはこれを持つ資格はない……正器はそう思って悠久学院に置いてきたのだ。

「勝手にしろ! それと、あたしはもう二度とあんたとなんて組まないからな!!」

 そっぽを向いたまま、朝恵はびしりと正器に指を突きつけてほえた。

「分かった」

 無機質にそう言って、正器は軽く握った左手を掲げた。その言葉だけで、本当にもう、十分だったから。

 雅也と春菜とほたるが、ほぼ同時に不器用な二人に肩をすくめた。

 不器用な二人は、それ以上なんの言葉もなく、ただ別れて互いの道へと戻っていった。



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