「ねぇ、知ってる?」

「ふえ?」

同じ魔法医療研究部に所属する井之川 涼子(いのかわ りょうこ)が、突然そんな風に言ってきたものだから、思わず庫裡 春菜(くり はるな)は手元を狂わせてしまった。

一滴でいいはずの薬品が、どぼりと不吉な音を立てて別の薬品が入った試験管へとなだれ込む。

「げっ……」

「わ……」

喉元で固まる悲鳴。


ボン!


小さな破裂音と同時に、緑だか青だか分からない煙が、冗談のように現れ……なぜか、その場にふわふわと停滞した。

「……」

「……」

しーんとなる部室。部員全員の目が、雲のような煙に釘付けになっている。

そして、煙は一カ所から引っ張られるように細長くなりながら地面へと落ちていき、やがて床に吸い込まれるように消えてなくなった。

「……なに? 今の」

「さぁ……?」

そろって首を傾げる春菜と涼子。

「大丈夫……かな?」

「たぶん……」

しばらくしてもとりたてて問題は起こらない。二人がそう確認しあうと、注がれていた部員の視線ははずれ、再びおしゃべりと実験の音が部室内を飛び交い始めた。

「で、結局、知ってるの?」

「何を?」

「だからぁ……寮の幽霊騒ぎだってば」

「……」

「ちょっと春菜、なんで人の目の前で手のひら振ってんの?」

じとりとした視線を向けられる春菜。しかし、春菜はそんなことにはお構いなしに、

「これ、何本?」

と指を二本たててみせた。涼子は、にっこりと笑顔を刻み……

「それはなに? あたしがおかしいって言いたいのかな? ん?」

口調だけは優しく、手では春菜の両頬をぐりーんと引っ張った。

「い、いひゃいいひゃい〜はらひて〜」

じたばたとする春菜をしばし鑑賞した後、涼子は最後に思いっきり引っ張ってから手を離し、「さて」としきり直した。

「春菜、この噂、知ってる?」

「全然」

打てば響くタイミングとはこういうことだろう。躊躇する間もなく、春菜は否定を表した。

「なんてーか、周りに流されないって言えば聞こえはいいけど、あんたってほんと危機感ないわよね……」

呆れたように言ってくる涼子に、さすがに少しばかりむっとなる。が、

「あんたの隣の部屋でも、目撃されたって」

「え……?」

涼子の言葉に、たらりと冷や汗が流れた。

「どう? これでもまだ反論できる?」

「……ちょっと無理かも…………」

頬のあたりの引きつりが自覚できる春菜だった。

「で、まぁ、あんたの隣の部屋の子なんだけど、なんでも目が覚めないらしいわよ」

ふと声をひそめる涼子。今更と思わないでもないが、それなりに周囲を気にする内容らしい。

「……目が覚めない?」

つられて声が小さくなる。なんとなくそれに満足そうな表情を浮かべながら、涼子は小さく頷いた。

「うん。呼吸とかしっかりしてるし、最初は寝てるだけだと思ったんだって。前日から体調崩してたから相方も学校そのまま行っちゃって……でも、相方が部屋に戻っても寝たまんまで、いくら呼びかけても起きないからって教師とか呼んだらしいわよ。で、今、水面下だけど結構、騒ぎになってる」

「……ひょっとして、それと幽霊騒ぎが関係あるってこと?」

「わかんないわね。他の階でも何回か目撃されてるらしいけど、眠ったままになったのは初めてだし。別件の可能性が高い、とは思うけど……でも、二つの別件が一カ所にってのも妙だと思わない?」

どことなく楽しそうに聞いてくる涼子。……隣の部屋の住人にしてみれば楽しむどころではないのだが。

「でも、魔物とかの可能性は低いわけでしょ? そう考えると、やっぱり誰かの仕業ってことだし……無関係ってことはないと思うけど」

「そうなのよねー。そう思ってあんたに聞いたんだけど……全くあてにならないとは思わなかったわよ、ほんと」

はぁぁぁ、と涼子はこれみよがしにため息をついてみせる。

「まぁ、とりあえず気をつけた方がいいわよ。さすがにあんたが同じ目にあってたりしたら目覚めが悪いしね」

「あ、うん……」

どう気をつければいいのかな――? と素朴な疑問を感じないではなかったが、とりあえず友人が身を案じてくれていることは分かったので、頷いてみせる春菜だった。


*  *  *


寮の各部屋は、学生に優しく意外に広い間取りとなっている。また、多少の配慮があるのか、二段ベッドではなく個別にベッドが用意されており、両壁に設置されているので、その間は人一人と半分くらいが余裕で寝転がれるスペースがある。

そのため、ベッド間にもう一組布団があっても、まぁ、問題はない。ないのだが……

「で、なんであんたがここで布団に入っとるんや、春菜?」

さすがになんの話もなしに突然やって来て布団が展開されて、おまけにちゃっかりパジャマに着替えられていたりすれば、さすがに白い目で見たくもなるというものだ。一応、ここの部屋の主は七海 紗夜香(ななみ さやか)と倉品 ほたる(くらしな ほたる)ということになっているのだから。

「あ、明日のお昼、春菜ちゃんのおごりだって」

「さて、寝るかな」

 紗夜香の言葉に、ほたるはあっさりと言い切って布団に潜り込む。

「ちょ、ちょ、ちょ、紗夜香! なに勝手に話を作ってんのよ!?」

「ん? ショバ代」

「お金取るわけ!?」

「冗談だって」

 本気で慌てた春菜に、紗夜香は思わず吹き出してしまう。いつもながらからかいやすい性格だ。

「なんや、冗談なんか……。久しぶりに高級A定食が食べれる思ったんやけどなぁ」

 ベッドの上で、ほたるはがくりとうなだれる。

「まぁ、ええわ。春菜のおごりはあてんならんからな、本気にしとらんかったし」

 はぁぁ、と深いため息をつくほたる。紗夜香と春菜は、同時に「絶対本気だったな」、と確信した。

「まぁ、それはともかくとして、ほんまにどないしたん? いつもは『一人部屋の方が気兼ねしなくて楽だもん』とかゆーとるくせに」

 どっこいせ、と乙女にあるまじき声をあげながら、ほたるはなんとも気怠そうに起きあがって春菜を見下ろす。

「え、あ、いや、たまにはほら、友達とこう寝食を共にした方が、ね?」

 ね? などと確認されても、目が泳いで体がそわそわとしているとなればその説得力はもはやゼロを通り越してマイナスである。

 そして、そういうことにだけは敏感なほたるの前でそういう所作をすることは、猫の前に毛玉を持ち出すようなものだと、相場が決まっている。

 紗夜香は、とりあえず傍観者に徹することを決め、壁に背中を預けて春菜へと視線を注ぐ。春菜は、居心地悪そうにせわしなく体を動かしている。

 案の定、ほたるの目がきらりんと怪しげな光を放った。

(……まぁ、ある意味で認め、認められてるってことなんだろうけど)

 春菜は、大勢の前や他人の前であまり感情とかを表に出さない。あまり落差があるわけではないが、出ているのは本音ではなく姿勢だけだ。ようするに、そつなく表情や態度は変わっていても、内面での動きはかなり少ないのである。

 しかし、少なくともほたるや自分の前ではありのままを見せてくれているし、ほたるもそれが分かっているから壁を作らずありのままを受け入れて、ありのままを押し出している。

「ほれ、ほれ、さっさとはきぃや」

「きゃ、ちょ、やめっ、くすぐっ、たいってば!」

 ぼうっと考え事をしている間に、二人はいつの間にかベッドの下でくんずほぐれつの痴態を晒していた。春菜は必死にほたるの魔の手から逃げようとしているのだが、ほたるは巧みに春菜の逃げ道をふさいでいる。

(…………ひょっとしたら、諦めただけかもね)

 ほたるのマムシのようなしつこさに、防御するのが疲れたというのが本音かもしれない。それも納得できる話だ。……なにせ、自分も少なからずそんな面があるのだから。

 二人の痴態はまだ続いている。今回はどうやら春菜が強硬に口を閉ざしているらしかった。

(さて、何分もつかしらね……?)

 紗夜香は、薄情にも春菜を助けることはせず、文庫本を手に取って読み始めた。



 そして、虫の息となった春菜がギブアップ宣言をしたのは、それから約十分後のことだった。

「わ、分かった、言う、言うから離してよぉ〜」

 ぴくぴくとしている春菜は、もはや半泣きである。……それだけのことをされていながら、なぜ着衣が乱れていないのかは謎ではあるが、とりあえずまっとうな理由でないことだけは確かなので、あえて聞かないことにする。

 それよりか、春菜がわざわざ来たことの方が興味があった。春菜は、自分からべたべたと誰かにつきまとうような性格ではないのだ。

「で、どうしてなんや?」

「うー……笑わないでよ?」

 恨めしそうにほたるを見てから、春菜はちょっと頬を赤らめつつ視線を逸らしながらぼそりと言った。

「幽霊……怖いんだもん」

 しーん、となる室内。春菜は居心地悪そーに俯いている。

「幽霊って……その年で?」

 さすがに目が点になる紗夜香。しかし、ますます頬を赤らめる春菜を見ると、どうやら嘘でもなさそうだ。

「あははー春菜ちゃんはかわええなぁー」

 よしよしと頭を撫でながら、子供に語りかける口調で言うほたる。顔がいやらしいくらいににやけている。

「……いや、隣の部屋で出て、その住人が寝込んでればさすがに馬鹿にできないと思うんだけど?」

 恨めしそうにほたるの動く手を眺めながら、春菜はむすっと言う。

「……あ? なんの話や?」

 ぴたりと手を止め、春菜の顔をのぞき込むほたる。……脇で聞いている紗夜香は、そのほたるの表情が好奇心に満ちているのが背中越しにでも分かった。

「……わたしさ、友達に危機感ないって言われたんだけど、それってほたるの影響がすさまじく大きいような気がするんだけど?」

「しらんわ、んなもん」

「身も蓋もないわね」

「……絶対に馬鹿にしてるでしょ、あんたら」

 ぷるぷると震え始める春菜。どうやらネタでもないらしい。

「で、いったいどういうことなの?」

「紗夜香……あんたも知らないの?」

 呆れたとばかりにため息をつく春菜。ほたるよりはまともだと思っていた紗夜香だが、思いの外ほたるの影響を受けているらしい──春菜はそう思うことにした。元からほたると同じ様な性質を持っていたとは思いたくない。

「えっと、この寮で幽霊騒ぎがあったのよ、今朝……っていうかゆうべ」

「ほー。誰か襲われたんか?」

「うーんと、そういう確証はないんだけど……」

「お、ってことは、可能性はあるんか?」

「あ、うん、まぁ、そういう話だけど……」

「どこの誰や? どんな状態?」

「ほたる、とりあえず黙ってて。ちゃちゃ入れてたら話が進まないから」

 しびれをきらした紗夜香がぴしゃりと言うと、ほたるは肩をすくめて黙った。

「で、なんかそれが隣の部屋の子らしいんだけど、意識不明の状態なんだって」

「昏睡状態ってこと?」

「うん、らしい。なんか表沙汰にはできないからってことで、水面下で騒がれてるらしいんだけど……別の場所でも何回か目撃されてるらしくって……」

「それで避難してきたってことかいな?」

「う、うん」

 話している間に怖くなったのか、なんだかそわそわしてくる春菜。どうやら、そうとうに苦手らしい。

「はぁ〜。春菜ぁ、さすがにそれはどーかと思うで? んなもん、見間違いとなんか病気とかが重なっただけなんやないか?」

 ほたるは、やれやれとばかりに首を振る。それに対し、春菜はぷくーっと頬を膨らませて反論する。

「そ、そんなこと言うけどさぁ……幽霊って、魔法じゃどうにもならないんだよ? 撃退できないんだよ? そんなの怖いじゃん……」

「んなことゆーたって、存在するかしないかわからんもんを怖がってなにができるん? 気にしすぎやで」

「で、でも、否定もできないでしょ? だいいち、わたしたちが使う魔法だって、非現実って言えば非現実だし。きちんと証明もされてない以上、頭ごなしにいないって言い切るのはいけないことじゃないの?」

「じゃぁ、逆にいるって言いきるんもおかしいわな? 自分の目で見て確かめたんならともかく、話を聞いただけでなんて」

 ぎゃーすかぎゃーすかときりのない議論を始めてしまう二人。夜もそろそろ遅いというのに、全く近所迷惑を考えていない。

 別に挟まれているわけでもないので続けてもらってもかまわないのだが、このまま続けば間違いなく苦情が来る。……しかも、ほたるの苦情は決まって自分にくるのだ。

 そう思うと、対岸の火事ではいられない。ため息をつきつつも、紗夜香は仕方なしに仲裁に入る。

「二人ともやめなさいって。別にいようがいまいが、わからないならどっちでもいいじゃない。どっちが正しいかなんて、こんなところで二人が議論したって、三日三晩経っても疲れて終わるだけよ」

 寒風のごとき冷たさで言い切る紗夜香。確かに間違ってはいない。

「……」

「……」

 しかし、ほたると春菜は、あまりに身も蓋もない言葉に互いの顔を見合ったまま硬直、口をぱくぱくとしていた。

 完全に二人の勢いが殺されていた。ここで詰めれば、今夜の平和は守られる――紗夜香はチャンスだと確信した。

「ということでこの議論は終わり。はい、それじゃもう遅いし寝ること。おやすみ」

 一息に言い切って、紗夜香は背中を向けて布団に潜り込んだ。

「……」

「……」

 勢いを殺された上に張本人は完全に拒絶の意志を示してくれている。おかげで感情のやり場がない。

 ほたると春菜は、互いに大きなため息をついた。

「……寝よっか」

「……せやな」

 大いに脱力した二人は、もぞもぞと布団に身を埋めるのだった。


*  *  *


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 事件の発端は、そんな甲高い悲鳴だった。

 ついで、ドカン、とかズガン、とかゴウッ、とか物騒な音が響き、最終的にドアが粉砕された。

 さすがにそうなると騒ぎを聞きつけながらも問題の部屋を遠巻きにしていた少女達も、騒ぎの元凶を目に納めるしかない。
部屋の通路にいる、ぼうっとした白いもやのようなモノ。よく見れば人間的なシルエットを持ち、けれど決して明確にならないモノ。振り返り――だろう、たぶん――上下運動を一切せずに、こちらへと進んでくるモノ。

 見たことがなくとも、誰もが一発で分かる――まさしく、それが幽霊だった。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「で、でたぁぁぁぁぁぁッ!?」

「助けてぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 様々な悲鳴が、甲高く唱和される。だが、そこで逃げるより先に


ゴウッ!
ガガガガ!
ドガン!


 とか物騒きわまりない音が鳴るのは、さすがは学園というべきだろうか。

 しかし、非常識のさらに上をいく非常識。幽霊はそんな攻撃などお構いなしにすーっと滑るように部屋の外に完全に出ると、逃げるようにかくんと曲がり、廊下を滑っていく。

 それを見た女生徒たち、

「あっち行ったぁ!」

「きゃぁ、きゃぁ、きゃぁ」

「逃げてぇぇぇ!」

 とかなんとか黄色い悲鳴をあげつつ、なぜか幽霊を集団で追っかけ始めた。その間にも、あっちこっちに魔法が放たれては轟音と破片をまき散らしていく。

 しかし、なぜか幽霊には一発も当たらず、どうしてか幽霊は律儀に廊下を滑っていくだけだ。そして階段を登り、盛大なお供をつれたまま三階、一年生中心のフロアへと向かっていくのだった。



「……なに?」

 どこからか響いてくる騒ぎを聞きつけ、一番最初に目を覚ましたのは春菜だった。まくらやふとんは変わっていないが、やはり環境が変わると多少は眠りが浅くなるらしい。

「……地震?」

 お尻の下から小刻みな振動が伝わってくる。しかし、何かがおかしい。しばし考え、ようやくその答えが分かった。

「……なんで小刻みなんだろ?」

 半目で首を傾げる春菜。付け加えるなら、小刻みかつ断続的振動だ。明らかに地震とは違う揺れ方である。おまけに揺れ方も一定ではない。なんだか、だんだんと大きくなっているような気がする。

「紗夜香、紗夜香、起きて起きて起きて」

 手と体をめいっぱい伸ばし、ゆさゆさと紗夜香を揺らす春菜。

「んーなにぃ? どうしたのー?」

 ふとんを顔の半分かぶって寝ていた紗夜香は、そのままの体勢で問いかけてきた。

「なんか聞こえない?」

「なにかってなにがぁ?」

 紗夜香の目は半分もあいていない。しかし、意識はなんとか起きているのか、質問を返しては来た。

「わかんないからなにかなんでしょー、ちょっとまともに起きてよー」

 ずりずりと紗夜香のベッドに近づきながら、春菜は紗夜香をゆすっている。

「ぅんー」

 不満げな声をあげながらも、紗夜香は体を起こす。

「ほら、なんか聞こえるでしょ? 部屋の外だって」

「んー?」

 いくぶんか目の覚めた春菜がそういうも、紗夜香は相づちなんだか寝息なんだか分からない声をだしながら、かくりと船をこいでいる。

「あーもー。ていていていていていていてい」

 しびれをきらした春菜。おもむろに紗夜香の両頬に、ごく軽めではあるが……多重往復ビンタをかましはじめた。

「ていていていていてい」

「痛いよー春菜ちゃーん」

 十数回の往復ビンタの後、ようやく紗夜香の目がいくぶんか覚めたようだ。

「ほら、早く」

 紗夜香を起こしている間に、振動はずいぶんと近づいてきていた。もはやほたるを起こしている時間はない。春菜は、紗夜香の手を引っ張って廊下へと出た。

 と、廊下を出た瞬間、フロアの一番端にある紗夜香達の部屋の右手、階段から白いもやが上がってきた。

「ふえっ!?」

「わ」

 突如階段から現れたそれに驚き、二人は目をまんまるくする。そして、驚いているのかどうかは分からないが、その白いもやも動きを止めていた。

「あ、七海に庫裡! そいつが噂の幽霊よ!」

 次に階段から現れた大所帯のうち、木刀なんぞを持った顔見知りの先輩が声高に告げてきた。

「ぅぇ……?」

「あらま」

 それを聞いて顔をひきつらせる春菜と、純粋な驚きを示す紗夜香。

「い、いやぁぁぁぁぁ!」

 春菜が一瞬にして恐慌をきたし、魔法を無詠唱で放った。――幽霊に、まっすぐ直接に。

「わ、バカ!?」


ドゴガーン!


 今夜の中で、最大の爆音が鳴り、一番の振動が寮を揺らした。

 しばらくして、噴煙が晴れる。すると、驚いたことに幽霊がその場に変わらずにいた。

「う、うそ……!?」

 誰かがぽつりとつぶやいた。

「じゃかぁしぃッ!」

 次の瞬間、スパカーンという音が三回鳴った。

「人が気持ちよう寝とるっちゅーになにを騒いでんのや!」

 ほたるだ。ハリセンを持って仁王立ちしている。

「ったく、安眠妨害もええとこや。静かにしてや!?」

 一気にまくし立てると、ほたるはそのまま部屋に戻ってしまう。その場にいた全員が、どう反応したらいいのかと固まっていた。

「あ……いなくなってる」

 ぽつりとしたつぶやき。全員が視線を通路中央に戻すと、確かに幽霊はいなくなっていた。

「……あの、つかぬことをお聞きしますが、今、誰かたたかれました?」

 紗夜香が、頭をさすりながら向こう側にいる上級生達に聞いた。互いに顔を見合わせる上級生達だが、たたかれたと自己申告してくる者はいない。

「…………ひょっとして、ほたるって幽霊もたたいた?」

 隣では、打ち所が悪かったのか春菜が鼻っ面を押さえてしゃがみ込んでいる。

 ぽつりとした紗夜香のつぶやきに、ざわめきが完全に消えていた……。


*  *  *


「というわけで、第三番寮・サクラ寮の対幽霊特別捜査班のメンバーとして、筆頭・倉品 ほたる、以下七海 紗夜香と庫裡 春菜を任命するわ」

「いや、先輩、いきなり呼び出したあげくにそんな優雅にお茶飲みながら突然に言われても盛大に困るんですが?」

「でも、七海がついてるのはあきらめのため息みたいだけど?」

 ねぇ? と確認されれば、はい、と頷くしかない。夕べのあれを見ていれば、予想できることである。

 当のほたるはねぼけていたせいで何も覚えていないのか、

「はぁ!? だからいったいなんでやねん!」

 とかわめいていたりするが。

「あの、先輩。わたしは……その、外してもらえないでしょう、か?」

 おずおずと手を挙げて主張する春菜だが、先輩はちらりと春菜を見て

「却下」

 なんとも簡潔かつ冷徹に言い放った。

「あうぅ……」

 目の幅涙を流しつつ首を折る春菜。理由すら聞いてもらえない状況では、もはや逆らうすべはない。ここで下手な抵抗をすれば、別の意味で幽霊よりか怖い思いをすることになるのだから。

「いや、そーでなくて! なんであたしらなんですか! そもそもとして幽霊なんてそんな非常識な……」

 興奮気味に体を乗り出して言うほたるに、先輩は意外そうな顔をした。

「倉品ってば、非常識なんて言って幽霊否定するんだ。ってことは知らない? 幽霊って、魔物だって一説もあるのよ?」

「ほ、ほんとですか、それ!?」

「証明はされてないけど……って、なんでそんな目、輝かせてるの?」

「だって、だって……幽霊が魔物ってことは、魔法が通じるってこじゃないですか! 倒せるってことじゃないですか!」

 胸の前で両手を握り拳にして力強く語る春菜の表情は、まさしく歓喜一色だ。

「……この子って、こんなだっけ?」

 今までに見たことがない春菜を見て、先輩は苦笑気味に言ってくる。対して紗夜香は真顔で返す。

「……まぁ、人間、人が変わるなんてことはよくあることですから」

「あんたも苦労してんのねー」

「若いときの苦労は買ってでもしろって言いますから……そのつもりで日々を過ごしてます」

「あんたってさ……」

「はい?」

「将来、絶対に苦労するわよね、男で」

「シュチュエーション限定のしかもだいぶ未来ですか。……とりあえず、その言葉、そっくりお返しします」

「ふふふ。まったく口が減らないわね」

「口から先に生まれたようなのが親友ですから、まぁ、必然的に」

 勝利を宣言するように、紗夜香は微笑を刻む。しかし、先輩も負けたとは思いたくないらしく、不敵な笑みを浮かべている。

 一見穏やかながらも繰り広げられるは壮絶な修羅場。双方譲らぬ動作なき心理戦。

 視線でもなく、雰囲気でもなく……何かがとてつもない威圧感を放つ空間が、二人の間には形成されている。

(や、やばいんやないか? この二人……)

 外の第三者からは、この空間の言いしれぬ恐怖は分からないだろう。しかし、内の第三者であるほたるは、だんだんと濃密化されていく威圧感の恐怖がじんわりと体にしみこんでくるような錯覚を味わっていた。

 闘気や殺気、緊張、はてはマナ……自分が知ってるどんな気配とも違う。それ故に、うかつに動けない。動いたら最後、なにかとんでもないことが起こるんじゃないか……そんな考えすら浮かんできてしまうのだ。

 しかし、そんな威圧感も、長い間は続かなかった。春菜の、

「あれ? 小笠原教授?」

 という素朴な声が遮ったのだった。

 そして、カフェテリアの外の通路には、春菜の声に立ち止まり、顔を向けた男性がいた。

「ああ、春菜君ではないですか」

 泥を落としたゴボウ――そんな表現がぴったりと当てはまりそうな浅黒い肌と細長い体つきの、白衣をまとった男性が、なんとも力の抜ける笑顔でぼそぼそと返してきた。

「どうしたんですか? 確か、学会から帰ってくるのって、あさってじゃなかったでしたっけ?」

「ええ、そのはずだったんですけどね、緊急ということで呼び戻されまして。まぁ、メインの部分は終わってるので、こうして戻ってきたわけです、はい」

 まっすぐ春菜を見ながら、なぜかぼそぼそとしゃべる小笠原教授。端から見ていて奇妙なことこの上ないが、春菜は気にした風もなく納得の表情を見せていた。

「ああ、そうだったんですか。でも、教授が呼び戻されるなんて……どっかの実験が失敗して扱いに困る魔法生物でも生まれたんですかねぇ?」

「さて、私はまだ話を聞いてないので分かりませんが。でも、そうだとしたらおもしろいですよねぇ?」

「教授、珍しい生き物大好きですもんね」

「はい。生命の神秘は魅力的ですから」

 ははは、とお互いに笑い合う小笠原教授と春菜。だが、横で聞いているほたるはと言えば……

(な、なんなんやこいつらは……)

 二人のマッドな会話に頬をぴくつかせていた。とはいえ、正面で無言で笑みを交わし合っている二人よりかはまだ話が通じそうだ。そう思い、話に割り込んでみることにした。

「なぁ、春菜?」

「ん? 何?」

「この泥落としたゴボウみたいな人、誰や?」

「初対面の年上にいきなり暴言吐く人間って、わたし初めて見た……」

 誰に言うともなしに漏らす春菜は、半分頭を抱えている。さすがに、ここまで常識が欠如しているとは予想外だったのだろう。

 だが、暴言を吐かれた本人は全く気にしたそぶりがない。

「ああ、あなたとは初見でしたね。私、教授の小笠原 源五郎左右衛門(おがさわら げんごろうざえもん)と言います。魔法医療研究部の顧問をさせていただいています」

 自己紹介の後、しっかりと会釈をしてみせる教授。バカがつくほどのていねいさに、さすがのほたるも居心地悪さを感じたのか、思わず居住まいを正してしまう。

「あ、これはごていねいに。あたしは倉品 ほたる、一年です」

「ああ、あなたが。お噂は聞き及んでますよ。なんでも……」

 大きく頷いた小笠原教授の目が、きらりと光った……ような気がした。

 それが何を意味しているのか分かった春菜は、とっさに声を張り上げた。

「あああ! 教授、呼び出し受けてるんじゃなかったんですか!?」

「え? ああ、そうでしたね。大急ぎとは言われてませんが、ゆっくりしているわけにもいきませんか。……そうだ、ちょうどいい。春菜君、手伝ってください」

「え? あ、はぁ、なにをでしょう?」

「いえ、私も知らないのですが……まぁ、急いでと呼び戻されるくらいですから、それなりに面倒なことでしょう。助手がいてくれると助かります。ということで行きますよ」

 言うなり、小笠原教授はさっさと歩き始めてしまっている。

「……はぁ」

 なんだかどこかで聞いたようなため息をついてから立ち上がる春菜。

「ごめん、そーゆーわけだから」

 それだけ言うと、春菜は重い足取りでカフェテリアを出ていくのだった。


*  *  *


 小笠原教授について校舎の中を歩いた春菜は、小笠原教授がある部屋の前で足を止めたので、扉の上にあるプレートに目を走らせた。

「……保健室? 保健室ですか?」

「ええ、そうですよ」

 目をぱちくりさせる春菜に、小笠原教授はこともなげに頷いた。

「合ってますよ? 呼び出し元が校医の榎本先生で、こちらに直接、ということでしたから」

 言って、扉を静かに開ける小笠原教授。

「失礼します。榎本先生? 小笠原ですが」

「ああ、先生。どうぞお入りくださいな」

 しんとした室内から、ついたて越しに柔和な女性の声が聞こえてきた。それでは、と言って小笠原教授は室内へと入っていく。なんだかいやな予感を今更ながらに感じながらも、春菜は小笠原教授の後について入室した。

 中は、よくある保健室そのままの光景が広がっている。違うとすれば、部屋の規模がふつうの教室並にあって、ベッドや棚の数、見える薬品の量が多いくらいだろうか。そして、校医の榎本先生が、ぴしりとした白衣を着て居る。

 研究だけでなく実践も重視する魔法医療研究部に所属している春菜にとっては、もう見慣れた光景だ。

「先生、わざわざご足労いただいてすみません」

 榎本先生が、そう言って小笠原教授に頭を下げた。

「いえ、かまいませんよ。それで、どういったご用件なのでしょうか?」

 バカ丁寧な言葉が行き交う保健室。なんだかこの二人がいるだけで時間の流れが遅くなったような気がしてくる。

「ええ、こちらに来ていただけますか」

 そういって榎本先生が先導したのは、一番端に設置されたベッドだ。そこには、一人の女生徒が眠っていた。

「呼吸が浅すぎますね。ただの睡眠状態ではない……ということでしょうか?」

「その通りです。昨日から眠り続けているのですが、全く目覚める気配がありません。それどころか、体に動きらしい動きも見られないのです」

「原因の見当などはついていますか?」

 簡単な診察をしながら、小笠原教授は尋ねる。榎本先生は、しばし悩む素振りを見せた後、「関係あるかは分かりませんが……」と前置きをしてから言った。

「幽霊の呪いではないか、という話があります」

「げっ……」

「げ……?」

 幽霊と聞いて思わず出たうめきに、小笠原教授が不思議そうな顔をした。春菜は「なんでもないです」と言ってぶんぶんと首を横に振る。

「まぁ、いいでしょう。それで、幽霊の呪い、というのは?」

「その子が起きなくなる前の晩、寮で幽霊騒ぎがあったんです。それもどうやら、その子を見ていたらしくて……たまたま目を覚ました同室の子があげた悲鳴をあげると、扉を通り抜けて出ていったという話です。そして、そのときに一度目を覚まして以降、眠ったまま、ということになります」

「それで幽霊の呪い、ですか。他に被害にあった人はいないんですか?」

「ええ。ただ、昨晩、もう一度同じ寮の別の階で目撃されたらしいです。そのときは寮生達が総出で追いかけ回したけれど、いつの間にか消えてしまったらしく……それも幽霊の呪い、という話に拍車をかけているようですね。あ、そういえば、確か春菜ちゃんがその寮生じゃなかったかしら? 見てない?」

「え、あ、いや、えっと……見ま……した」

「ふむ。何か変なことはなかったですか? なんでもいいんですが」

「変なこと……えーっと……」

 昨晩のことを回想する春菜。

(幽霊……別に変なところはなかったはず……)

 変と言ってしまえば幽霊そのものが変なのだから、変なところのあるなしなど妙な話だが、まぁ、それはこの際どうでもいい。

 とはいえ、しっかりと見たわけではない……というか、むしろほとんど覚えてないくらいだ。変なところと言われても困るくらいで、むしろ変と言えば幽霊を追っかけ回してた寮生達のほうで……。

(……あ)

 唐突に、春菜はある一つの出来事――正確には聞いた話――を思い出した。

「そういえば、ほたるが幽霊をどついたって聞きました」

「どついた?」

「ええ」

「ふむ……」

 小笠原教授は、女生徒の状態を診ながら考え込む。

 ややってから女生徒の診察が終わり、それと同時に立ち上がった。

「分かりました。少し席を外します。春菜君、ちょっと来てください」

「え? あ、はい」

 なにがどうなっているのか全く分からないが、一応助手としてつれてこられているわけだから、従わないわけにはいかない。疑問符を浮かべながらも、春菜は小笠原教授に続いて保健室を出た。

「春菜君、申し訳ないですが、今夜、私の研究室まで来てください」

「はぁ……」

 廊下を歩いていく小笠原教授の隣を歩きながら、あいまいな返事をする春菜。そんな春菜に言い聞かすように、小笠原教授は口元に笑みをたたえながら続ける。

「幽霊の正体見たり柳の葉、ではありませんが、正体は分かりました。今夜捕縛しますので、手伝ってください」


*  *  *


 夜。時刻は十一時を回る頃。第二校舎ただ一つ、煌々と明かりの灯る三階の小笠原研究室では、幽霊捕縛の準備が着々と進められていた。

 ……とは言っても、ちょっとした魔法のトラップを仕掛けるだけなので、大した手間も人員もかからない。二人で十分もかからないだろうか。

 そして実際、小笠原教授と春菜の二人で、問題も起こらず設置は終了していた。ところが、この部屋には……なぜか呼びもしないのに余計な人員が紛れ込んでいた。

「へー。こんなんで幽霊が捕まるんですか? なんやそうには見えんですけどねぇ」

「うーん、これ、物理的な効果が発生する魔法陣ですね。ってことは、実体があるってことですか?」

 もちろん、こんなところでこんな時間にこんな状況の中いる非常識な輩といえば、ほたると紗夜香である。

 しかし、主役である二人は全く気にもとめていない。春菜はもういいや的な雰囲気が如実だし、小笠原教授はいてもいなくても変わらない的な雰囲気だ。

「教授。準備はこんなとこでいいんですよね?」

「ええ、あとは待つだけです。では、明かりは消しますよ」

 室内の明かりが、ぱっと消えた。



 それからしばらくして。息を潜める四人が、近づいてくる気配をとらえてにわかに気色立った。

 四人が陰から見据える中、扉をすり抜けて白いもやのようなものが入り込んできた。

「――!?」

 分かってはいたが、やはり怖い。思わず悲鳴をあげそうになったところを、横の紗夜香に口を塞がれた。

 幸いにも気づかれなかったのか、白いもや――幽霊は、しかけられた罠の中央、置かれた囮へと滑るように近づいていく。

 そして、魔法陣に踏み込んだ瞬間、ばじりとはじけるような音がして部屋にスパークが走った。

 と思った次の瞬間、魔法陣は、黄色みを帯びた半透明の半球に姿を変えていた。中には、しっかりと白いもやが閉じこめられている。

「ずいぶんとすんなりかかってくれ……ああ、だいぶ弱ってるんですね」

 近づきながら、小笠原教授は納得いったとばかりにつぶやいている。

「これが……幽霊?」

 おっかなびっくり近づきつつ、それでも決して小笠原教授より前に出ずに春菜は半球の中を覗いている。また、それとは逆にほたると紗夜香は興味津々に眺めている。

「幽霊とは違いますね。元々はれっきとした魔物ですよ。生物が放っている微弱なマナを栄養源としている魔物で……実は私がある実験のために改良を施したんですが、ちょっと問題があって封印していた子です」

「なぁんだ、教授の作った子だったんですかー。それじゃ、ちょっとおかしくても問題ないですね」

 ここに来て、ようやく安堵のため息が漏れた。幽霊が恐怖の対象であることは変わらないが、とりあえず一連の事件は全くの無関係ということで、だいぶ安心できた。

 そしてそうなると頭が働き始めるわけで……疑問がふと浮かんでくるのだった。

「……あの、じゃぁ、なんで女子寮に入り込んでたんですか? あと、女の子が倒れたのは……」
「簡単なことですよ。この魔法生物は――ああ、魔物を魔法で手を加えると魔法生物となるわけですが――、人が発しているマナを察知する力があります。その力を、私はある探索のために利用しようと考えて改良しました。そして、探索の条件に当てはまったので現れた、ということです」

「ってことは、寮の女生徒が倒れたんは、その魔物――やない、魔法生物か――は直接は関係ないってことですか?」

「そうです。命令者がいないのに解放されてしまったために、刷り込まれた役目を果たしていただけですね。それが余計な混乱を招いたようですが」

「その役目とは?」

「マナの制御技術が未熟な者が無意識に放つマナの異常量探知です。これは生死に関わりますからね。おまけに、本人に自覚はなく……周囲からしても、ほとんど探知できません。そこで魔法生物に探し出してもらうわけですね」

「じゃ、じゃぁ、あの子は……!?」

 はっとしたように顔色を変える春菜だが、小笠原教授は小さく首を横に振った。

「大丈夫です。きちんと昼間の内に処置をしておきました。あと数日もすれば目を覚ましますよ。とはいえ……今回は幸いでしたね。ほとんど突然に急激なマナの減少が起こっていたようですからね、この子が抜け出して探し出していることが分からなければ、下手をしたらもう少し処置が遅くなって危険な状態でしたよ」

 ほっとしたように言って、小笠原教授は半球に手を添え、

「縮」

 つぶやいた。すると半球が一瞬で縮み、手のひらに乗る程度の大きさになった。

「いろいろと課題ができたようです。春菜君、一週間後までに今回の件について、解決案の具体的なプランを考えてきてください、宿題です。そのかわり、一週間、実験は休みにしますから」

「え……?」

「確かに出しましたよ」

 唖然とする春菜に念押しをすると、返答を聞かぬままさっさと奥へと引っ込んでしまう小笠原教授。

 また、ほたると紗夜香は……

「はぁ……真相が一番に聞けたんはええけど、いまいち刺激が足りんかったなぁ」

「まぁ、世の中そんなに望み通りにはいかないってことよ。仕方がないわよ」

 などとくっちゃべりながら、さっさと研究室のドアをくぐっていた。

「あ……?」

 最後に一人残される春菜。

「な、なんでこうなるわけ!?」

 闇夜に叫ぶも、返ってくるのは静寂ばかりだった。



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