時々、こういうことがあった。

 なんだか明るい場所でふわふわしている感じ。ぼうっとしているとなんだかすごく気持ちよくて、お母さんに抱かれているみたいだった。

 でも、お母さんじゃない。なんなんだろう……。

 なんだか分からないけど、沈んでいくみたいにふわっと広がっていく感じは嫌いじゃない。

 そういえば、何かに似てるかも……。どっかで同じように感じたことがあったな。

 でも、思い出せない。頭の中まで真っ白に光っててまぶしい……。

 ああ、なんだか――溶けているみたい。




 背中をぐーっと伸ばすと、バキバキという不健康な音が鳴った。これが無くては、授業が終わった気がしない。

「あー終わったぁ……」

 自然、そんな声も漏れようというものだ。

「ほたる……オヤジくさいマネしてないでよ……」

 はぁ、というおなじみの溜息。すでに四年目の付き合いである。

「なんか、いっつも紗夜香の溜息ばっか聞いてる気がするんは気のせい?」

 倉品 ほたる(くらしな ほたる)は、横に立つ七海 紗夜香(ななみ さやか)にふと疑問を投げかけてみた。

「……そうさせてる自覚、ある?」

 じとーっと上から睨まれる。……長身の紗夜香に見下ろされると、標準の身長としてはかなり悔しいものがある。

「ま、ええか。さっさと帰ろうや」

 誤魔化すように言って立ち上がる。……それでも、紗夜香の方が頭一個分高い。

(むぅ……これで着やせするんやからなぁ。ほんまにバランスええで。世の中不公平や……)

 ちらりとちょうどいい場所にある紗夜香の胸を見て、密かに嘆息なんぞをしてみる。

 手頃な大きさ、とは紗夜香の事を言うのだろう。

 ……外から見ている限りでは、別にどうということはないのだが。

「何? ほたる」

 妙な視線を感じたらしい紗夜香は、わざわざ横に一歩ずれて聞いてきた。

「なんでもないで。そや、春菜誘って帰ろや」

 ドアをくぐりながら、そう提案してみる。少しくらいストレスの発散をしても、罰は当たらないだろう。

「ほたる、昼の事、覚えてないの?」

「昼? なんかあったん?」

「……呼び出しで早退だって、言ってたでしょ」

 これまた盛大に溜息をつく紗夜香。

 なんとなく釈然としないものを感じるほたる。しかし頭の中を検索してみて、ようやく思い出す。

「あーあー。そういえば。実験が今日は早まったんやったな」

 廊下を並んで歩きながら、ほたるはぽんと手を打った。

「んーでも、だったら食堂行けば会えるんとちゃうか? どーせ大飯喰らっとるんやろし」

「どうかしら。もう食べ終わってると思うけど」

「……せやな。大食い早食いで年頃の乙女とは思えん食事を常日頃からやらかすような奴やしな」

 あっはっは、と大笑いする。紗夜香が、そんなほたるを見てまた溜息をついた。

「……なんやねん、その呆れたような溜息は」

「や、ほたるに言われちゃ、春菜ちゃんも女として終わりかなぁ、と思って」

「ずいぶんなこと言ってくれるなぁ。そりゃ、あたしはちょーっとばかし乙女とは離れとるかもしれんけど、春菜よりはマシやで?」

「や、ちょっとどころじゃないから。ちなみに、春菜ちゃんよりマシってのは胸だけね」

「ちょっと待ちぃ」

 言うが速く、すぱん、と景気のいい音が廊下に響いた。

「くっ……」

「ほたるのパターンなんてお見通しよ。何年親友やってると思ってるの」

 右手で放たれたハリセンの一撃を、左を歩く紗夜香は鞄でもってうまい具合に受け止めていた。

 ちなみに二人とも何もなかったようにそのままの体勢で歩き続けていたりする。

「もう少し奇をてらった方法を考えんと駄目やな……」

 ハリセンを引っ込め、本気で考え始める。

 昇降口で靴を履き替えながらも、ぶつぶつとほたるの独り言は絶えない。

(……まったく、ほたるったら)

 密かに溜息をつく紗夜香。なんだか、溜息が常習化している気がしてきた。

 溜息一つで幸せ一つが逃げるのだとしたら、いったいいくつの幸せが逃げ出しているのだろうか。

 ……考えたら恐いことになりそうだった。

「あ、ほたるに紗夜香ちゃん」

「ん?」

 靴を履いていざ、というところで、背後から声をかけられた。

「ああ、なんや、進司と正器かいな」

 振り返れば、見知った顔。

 山路 進司(やまじ しんじ)と庫裡 正器(くり まさき)が雁首揃えて並んでいた。

「なんだとは挨拶だな」

 伊達眼鏡の向こうを少しばかり剣呑にして、正器が返してきた。

「反射にいちいち突っ込むんやない! ったく、芸人やったらそれくらいの機微は……」

「誰が芸人だ、誰が」

 いつもながら、素早いツッコミだった。このネタならばベストタイミング。これだから正器にボケをかけるのは止められない。

「にやにやと気持ち悪い奴だな……」

「乙女の笑顔を気持ち悪いとかゆーなっ!」

「今のは到底乙女の笑顔って感じじゃなかったな。もう少し鏡を見たらどうだ?」

 睨み合う二人。

 と、ひょっこりと紗夜香の隣に現れた進司が、呆れたように溜息をついた。

「あのさぁ……とりあえず、楽しむのはいいんだけど、歩きながらにしない? いつまでもそこにいると邪魔だし」

 確かに、周囲の生徒がものすごく邪魔そうにしている。下校ラッシュなだけに、その視線はかなり痛い。

 二人は同時に視線を外し、障害物状態から抜け出すのだった。



 その場のノリというか自然の流れというか、四人は揃って昇降口を出た。

 寮へと帰るには、一度正門を横切らなければならない。そのため、周囲には下校する生徒がかなりの数いた。

 そして、四人がその正門にさしかかった時だった。

『おねえちゃんっ!』

 元気のいい、女の子達の声が聞こえてきたのは。

 場違いな声に、心当たりのある人間が思わず声の主へと視線を向ける。

「みさきにみどり!?」

 そして、ほたるも心当たりの一人だった。見知った妹が二人、正門の脇に立って大きく手を振っていた。

 慌てて駆け出すほたる。

「ちょっ、あんたらなんでこんなとこにおんねん!?」

『おねーちゃーん』

 双子の、あまりにそっくりすぎる姉妹が、揃って満面の笑みで飛びついてきた。

「うわ、たた」

 八歳になる妹二人に同時に飛びつかれると、本気で倒れそうになる。まだまだ小さい頃のまま、甘えん坊だった。

「危ないやろ、いきなり飛びついたら」

 たしなめても効果はないだろうと思いつつ、一応言ってみる。

「おねえちゃんだったら受け止めてくれるもん。ねー?」

「ねー?」

 ほたるに抱き留められたまま、同時に笑顔で小首を傾げてくる。

「あぁ……もう〜」

 顔がふにゃふにゃりととろけてくるのが自分でも分かった。

「こんにちは。みさきちゃん、みどりちゃん」

 側に来た紗夜香が、しゃがみこんで二人に挨拶した。

「……紗夜香、ちゃうで。右がみどりで左がみさきや」

「……え?」

 何を言っているの? という顔を向けてくる紗夜香。

 ほたるは、ちょいと右の妹のぴょこんと両方の跳ねた髪を留めるリボンをつまんだ。

「リボン、変えとるんよ。こっちがみどり。で、こっちがみさきや」

 右手の人差し指で左側を指すと、紗夜香は二人をしげしげと見比べた。

 みどりとみさきは、そんな紗夜香に小首を傾げてみせた。

「つーか、みどりとみさきはなんでわざわざリボン変えてんねん?」

 ほたるが尋ねると、二人は互いを見て、同時に「あれ?」と首を傾げた。

『違う?』

 ユニゾンで問い返す双子。

(……あれ? なんだろ、なんか変なマナの流れがある。 循環……してる?)

 漠然と妙なマナの流れ――要するに、魔法の発動だ――を感じた紗夜香。しかし、微弱すぎて特定できない。

(誰か実験でもしてるのかな……?)

 学園ではよくあることだ。たぶん、何でもないことだろう。

 と、紗夜香がそう結論付けると同時、ほたるが溜息をついた。

「なんで自分らのことがわからんのや。天ボケは紗夜香だけで十分やで」

「や、私は天ボケじゃないから。天ボケって言ったらむしろ春菜ちゃんでしょ?」

 絶妙のタイミングでツッコミが返ってきた。本人がいないと思って言いたい放題である。

「まぁ、それはともかく。ほら、リボン、着け直したる」

 言うと、双子はいそいそとリボンを外し始めた。

「……ねぇ、ほたる。二人の違いってどこで分かるの?」

「ん? そりゃ、顔の輪郭とか、髪の留め方とか、目の動き方とか……探せばいくらでもあるで?」

 言ってて、かなり無茶なことを言っていることに気付いた。

 二人は、親族が見ても区別がつかないほどそっくりなのだから。

 双子にしても似すぎているくらい似ている姉妹なのである。

「……なんか、ドッペルゲンガーを見ているような感じだな」

 黙って話を見守っていた正器が、ぽつりと言った。

 確かに、双子と言われるよりドッペルゲンガーです、とか言った方がいいかもしれない。

「そうだなぁ。俺も、二人のことは多少知ってるけど、まともに区別ついた試しがなかった」

「でもまー進司は当たる方やないか? ほとんどの人間は当てられんからなぁ。ある意味、みどりとみさきのリボンは識別用やし」

 二人が差し出してきたリボンを受け取り、髪を留めなおしてやる。

 少しばかり複雑な気はするが、色違いのリボンをしていないと本当に区別がつかなくなってしまうのだ。……そう、実の母でさえ。

(……かわいくないわけじゃ、ないんだけどね)

 母は、二人を本当にかわいがっている。それは分かる。けれど、リボンを外した二人を区別できたことはない。

(ま、そんなこと、今は関係ないか)

 考えても陰鬱になるだけだ。だったら考えない方がいい。

「って、みさき、みどり。母さんはどこにおるん?」

 すっかり忘れていた。母の姿がない。学校の中に手続き……に行ったのなら、二人も連れて行くはずだ。

「おうちだよ」

「二人だけで来たのー」

 誇らしげな笑顔で言う姉妹。

「みどりとみさきだけで? あんな遠くから?」

 これにはさすがに驚きを隠せないほたる。

 乗り換えは少ないし複雑でもないが……それでも、半日近くかかる距離だ。少々無茶と言える。

『うん!』

 みどりとみさきは、えっへんと揃いの動作で胸を張った。

「おお、おお、偉いでぇ。さすがや」

 そんな二人の頭を撫でてやると、気持ちよさそうに破顔する。

(やっぱかわええなぁ……)

 完全に、親ばかならぬ姉ばか全開のほたるだった。

「ところでさ。二人だけでここにいるってことは、当然ながら泊まる場所って、寮になるわけよね?」

「ん? なんか問題あるんか?」

「まぁ、ほたるがそう思ってるんならいいけど」

 意味深な発言をする紗夜香。まぁ、直接言ってこないということは、大したことないのだろう。ほたるはそう思うことにした。

「なぁ。さっきから気になってるんだけど……二人とも学校は?」

 進司が、ごく当たり前の質問を投げかけた。

 確かに今日も明日も平日だ。みどりとみさきももちろん、学校があるはずである。

「今日はねーおかーさんが、学校行かなくていいって」

「それでね、明日はかいこー記念日でお休みなんだよ」

「は? 母さんが学校いかんでええゆーたんか?」

『いかんでえーゆー?』

 ほたるの言葉が分からなかったのか、小首を傾げてはもる姉妹。顔一杯に疑問符が散っている。

「あーっと、母さんが学校に行かないでいい、って言ったの?」

 なまりを消して言い直す。

 そうすると、二人は同時にこくんと頷いた。

「……母さん、他に何か言ってた?」

「えーっとね、お母さん、とっても大事なようがあるから、出かけなくちゃならないの。ほたるおねえちゃんのところで、いい子にしてなさいねって」

「それから、明日はみんなで晩ごはん食べようね、って」

「そっか。それじゃ、いい子にしてようね」

 そう言うと、二人は「うん!」と元気よく返事してきた。

 ほたるはそんな二人に笑顔を向けながら……釈然としないものを抱いていた。

(妙や……。遠出の練習やったら連休とか使ってやって、自分らで帰らせた方がええ。それに、事前に何の連絡がないっちゅーんもおかしい。第一……無闇に学校休ませるような親やないしな)

「じゃぁ、帰ろか。荷物置いたりせんとな」

 考えながら、周りに声をかける。高度の同時並行処理能力は、こういう時にも便利に力を発揮してくれるのだ。

(とは言え……正直、見当もつかんな。どこにおるんかわからんけど……手当たり次第に連絡とってみた方がよさそうやわ)

 少しばかり不吉な予感がする。待ちに入るよりはまだマシだろう。

 そう、内心で決意した瞬間、

『一年B組倉品 ほたるさん。一年B組倉品 ほたるさん。至急、事務室まで来て下さい。繰り返します。一年B組倉品ほたるさん……』

 全校放送が呼び出してきた。

「……ほたる。また何かやったの?」

 ただ呼び出されただけだというのに、紗夜香は完全に厄介事だと決めつけていた。あからさまに溜息をついてくれている。

「やかましいわ! 人を危険人物みたいに言いよってからに」

「あーお願いだから捏造だけはしないでね。私達は無関係だからね」

 紗夜香は聞く耳持たずといった様子で、早く行けと手を動かしている。

「紗夜香……後で覚えときぃ」

「分かったから、早く行きなさいって。二人のおもりはしておくから」

「ったく……」

 とりあえずとばかりに一つ舌打をして、ほたるは校舎へと戻っていった。


*  *  *


「一年B組、倉品ほたるでーす」

 ドアを開け放つと同時にそう言って、ぐるりと事務室内を見渡す。

 すると、一人の女性の事務員が顔を上げた。ほたるがとてとてと近づいていくと、

「通話が来てるわ。こっちよ」

 そう言って、更に奥へと促してきた。その後ろに着いていきながら、気になったことを聞いてみた。

「あのー呼び出されたんはええんですけど、いったい何のようなんです?」

「あなたのお母さんから通話が来てるのよ。なんでも、ちょっと込み入った話があるとかで。だから、事務室のよりも秘匿用使った方がいいと思ってね」

「母さんから……?」

 思わず眉をひそめるほたる。

 どうにもタイミングが良すぎる。おまけに込み入った話とは。

 けれど、これで面倒が無くなった。気を利かせてくれたのだから、根ほり葉ほり聞き出せる。

(誤魔化しはきかんで)

 ほたるは、唇をぺろりと一つ、獰猛そうな表情で舐めた。

 そうこうしている内に、女性事務員は重厚そうなドアを開け、その中に足を踏み入れていた。

 ほたるも、当然ながらそれに続く。

(へーこないになってるんか)

 物珍しく、視線が止まらない。だが、初めて入ったのだからそれも当然だろう。

 中は、四十二人分の机が置いてあり、他に資料やらなんやらが詰まっている棚が数多くある事務室と同じくらいの広さ。

 秘匿用と言いつつも、部屋の照明は明るい。しかし、だからこそ完全に目張りしたように規則正しく無機質に個室が並んでいるさまは閉塞感が強い。

 おまけに個室は天井まで届く完全な密閉型なものだから、入る前から息が詰まりそうだった。

「ここよ」

 女性事務員が、三十五と書かれた個室の前で振り返った。

「先に断っておくわ。これは秘匿用の通話機だけど、記録はされてる。事務主任以上の人間なら記録を閲覧できるから、その点は注意しておいて」

「あ、そうなんですか。了解です」

 どうりでたかが親子の話くらいで使わせてもらえるわけだ――そんなことを思いながらも返事をしておく。

 込み入った話とは言っても、世界の危機がとかそんな突拍子もなくスケールも大きいような話をするわけではないだろう。別に問題はない。

「それじゃ、終わったら手続きがあるから、それを忘れないように」

 最後に念を押し、女性事務員は立ち去った。

「さてと……」

 ドアに手を掛け、引く。そして、狭い個室の中へと進む。

 背もたれのついた大きめの椅子とメモを取るためだろうか、小さな机と上にあるペンと紙。そして、壁際にしつらえられた一抱えもある水晶。それらが個室の中にある全てだった。

 全てが無機質で味気ない。壁が全面に渡って白いものだから、下手に狭い空間にいるよりも息苦しい感じがする。

(趣味が悪いなぁ……)

 自然と顔が歪んでしまう。

 もっとこう、カラフルとは言わないまでもリラックスできるようにしてくれればいいのに。

 そんなことを考えながら、ほたるは椅子に座った。

「久しぶりやな、母さん」

 そしてなんのためらいもなく水晶に声をかけた。

 声に反応したのか、水晶が淡い光を発した。ほぼ同時に、

「ほんとにね。ほたるったら、夏休み、ほとんどいなかったし」

 ささやかながら抗議を含んだ声が聞こえてきた。

「しゃーないやろ。課題やらなんやらがあったんやから。自主勉もせなあかんかったし」

 映像は伝わらないと分かっていても、肩をすくめてしまう。こういう母の家族にべったりなところは相変わらずだった。

「ところで、母さん。今、どこにおんねん?」

 このまま流れに任せていると、本題に入るまでに時間がかかってしょうがない。

 そう思ったほたるは、さっさと会話を先導し始めていた。

「今? 今はね、王立神楽学園(おうりつかぐらがくえん)の初等部にいるのよ」

「はぁ? 神楽やて?」

 その名前には聞き覚えがあった。

 確か本州最北端の王立学校で、マジック・ノア総合技術学園とはまた違った体系で魔法を教えている、一貫型全寮制の学校だったはずだ。

「なんでそんなとこにおるんや?」

 素朴というか当然というか……そんな疑問をぶつけてみる。

 けれど、自分でも本気で尋ねている風でないことくらいは分かった。確認というか念押しというか……まるでそんな感じ。

 そして、母親が発した次の言葉は、ほたるのそんな自己分析を見事なまでに裏付けていた。

「もちろん、みさきかみどりかを入学させるためよ」

 瞬間、ほたるは思わず息をのんだ。半分は分かっていたのに、それでも心が凍った。時間が止まった。

 けれど、ほたるの頭は回っていた。だからこそ、聞き逃さずに済んだ。

「……ちょっと待って。今、みさきかみどりって言わなかった?」

 頭の中に回っている血が、すーっと下がっていったような感じがした。

 いつものテンションが一気に下火になる。逆に頭は冴え、意識は波紋を描くように広がっていった。

「やっぱり、ほたるはちょっと冷たい感じがあってもなまり使わない方がいいわね。作ってる違和感があるの、自分で気付いてた?」

 イタズラっぽく笑う母。けれど、ほたるにとってはそんなことはどうでもよかった。

「話を逸らさないで。どういうこと?」

「言葉通りだけど?」

「馬鹿の振りするの、やめてくれない?」

 自分でも驚くくらいに冷たい声だった。

 怒りが籠もっているのに、熱は含まれてない。底冷えのするような、というのはこういう状態かもしれない。

 もし目の前に母がいたら、間違いなく睨み付けているだろう。

「相変わらず……二人のこととなると容赦がないわね」

 水晶の向こうで、母が溜息をついた。

 でも、その声音は決して呆れている風ではない。不思議と暖かみのあるものだった。

「もちろん、私だって無意味にそんなことしないわよ。理由があるからするの。だからこうしてきちんと連絡も……」

「……家族を、バラバラにするの?」

 母の言葉を遮って、核心を投げかけた。

 瞬間、母が息をのんだ。

「なんでみさきとみどりを引き離すのよ。そんなことしてなにんなんの!? これ以上、あの子達に寂しい思いをさせるつもり!?」

 思わず椅子から立ち上がり、声が荒くなる。もし目の前に母がいたなら、その胸ぐらを掴んでいただろう。

「ほたる、落ち着きなさい。私だってやりたくてやるわけじゃないわ。ただ、こうしないとだめなのよ」

「何がだめなの!? あの子達のこと、大切じゃないの? なんで簡単に引き離せるのよ!」

「簡単なわけない!!」

 急に強く返ってきた返答に、ほたるはびくりと身を強ばらせた。 

「簡単なわけないでしょ……。でも、こうでもしないとあの子達の命に関わるのよ……!」

「!?」

 今度はほたるが息をのむ番だった。あまりの驚きに、喉から音すら出てこない。

 けれど、黙っているわけにはいかない。ひりつく喉に唾を流し込み、椅子に座り直して無理矢理に口を開いた。

「どういう……こと?」

「『マジカル・サーキット』って知ってる?」

「……知らない」

 出来る限り平静を保ちつつ、母の言葉に耳を傾ける。みさきとみどりのためだ。一言一句だって聞き逃すわけにはいかない。

「簡単に言えば、Aランク以上の、戦略級魔法を正しい規模で発動するために必要な補助術式なんだけどね。この術式は、要するに複数人の意識を一つにまとめるってもので、一つの複雑な魔法を複数人で分担するためのものよ」

 すらすらと聞こえてくる説明に、ほたるは改めて母が先輩であるんだということを認識した。

 母は、学園ほどではないが名の知れた王立の魔法系学校の卒業生で、元研究員兼教師だ。人生においても魔法使いとしても大先輩にあたる。

 また、同時並行処理能力は母からの遺伝で、そのセンスも引き継いでいる。

 ……まぁ、ある意味でエリートと言えるかもしれない。最大の問題は、本人にもその生みの親にも全くその認識がないことだが。

「ただ、これは非常に危険な術式でもあるわ。本来、魔法は一つの意識の制御下にないと、イメージの齟齬から暴走を起こしかねない。それを解決するために無理矢理、複数の術者の意識を一つに統合する術式だから、暴走すると意識の混濁が起こる。運が良くて自我崩壊、悪ければ意識そのものが吹っ飛んで植物状態になるわ。『マジカル・サーキット』は、きちんと訓練した術者が、相性のいい者同士で使用して、ようやく使いものになる術式よ。更に言うなら、起動した魔法そのものが暴走しかねないって事もあるわね」

 淀みのなく流れてくる声に、まるで講義を聴いているような気分になってくる。

 だからというわけでもないが、いくらかカッと昇った血は降っていったようだった。

「……結局、何が言いたいの?」

 一段落したところで出した声に、過剰な熱はこもってない。

「分かってるんでしょ?」

「……」

「言わなきゃ駄目なの?」

「……」

 ほたるが無言でいると、母は深く溜息をついた。

 重い溜息は、呆れか諦めか。何かの言葉を発そうとして出てこなかった――そんな風にも思えた。

「二人の間に、『マジカル・サーキット』が形成されているわ。恐らく、本人達も気付いてないでしょうけどね。自我の発達してない子供は、無意識的に『マジカル・サーキット』を形成することがあるそうよ。大抵は二歳三歳で消えてしまうらしいけど……でも、消えなかった例もあった。消えなかったのは……例外なく双子よ」

「じゃ、じゃぁ……」

 改めて突きつけられ、ほたるは震えた。

 母は、「ええ」と相づちを打つ。

「イメージをしっかりと持てるだけに、放っておけば命に関わる可能性が高いわ。ほたるほどじゃないけど、あの子達にも魔法の才能があるし。八歳まで自然な『マジカル・サーキット』が消滅しないのは例を見ないけど……今あるんだし、認めないわけにはいかないでしょ?」

「二人が自然に『マジカル・サーキット』を形成しているなら、二人を効果範囲から離れさせればいいってこと?」

 あえて母の問いには答えない。逆に質問を投げかけた。

「それもあるけど、それはどっちかっていうとおまけに近いわね。本当の目的は、二人に自分を自身として認識させることよ」

 ほたるの眉根が寄った。と同時に頭がめまぐるしく回転する。

 母の言葉を、今記憶にある情報を思い起こし、高速に処理して繋げていく。

「双子だから……似すぎていて、識別できないのが問題ってこと?」

「その通りよ。自然な『マジカル・サーキット』が形成される原因として、魔法的な才能と自己を自己として認識できないことが上げられているわ。たぶん、あの子達は、似ている似ているって育てられたから、心の奥底で自己の認識が甘いんだと思うわ。だから『倉品 みどり』と『倉品 みさき』として確立させなきゃならないのよ」

 重い口調で、きっぱりと言う母。

 ……確かに正しい。ほたるでも、本当に時々だが、間違えはしないまでも二人の印象が被ることはあった。

 その原因が『マジカル・サーキット』だとすれば、十分に納得がいく。

 けれど……けれど、それでも……

「やっぱり、みさきとみどりを引き離すのは、駄目」

 きっぱりとほたるは言い切った。

「ほたる!?」

 母の狼狽した声。ここまでていねいに説明しておいて納得されないとは思ってなかったのだろう。

「だって、それって全部母さん達――ううん、母さんがいけないんじゃない」

 思った以上に淡々とした口調で言葉が出てきた。

 だからこそかは分からないが、母が絶句するのが気配で分かった。

「母さんがきちんと、みさきとみどりを見てなかったからでしょ? 母さんが一番分かってあげなくちゃいけなかったのに。母さんが分かってあげなかったら、どうやって自分を見ればいいのよ。みさきとみどりは何も悪くないのに、危ないからって引き離して、それで我慢しろって言うの? それってすごい勝手だよ」

 酷いことを言っているのは分かっていた。

 だから、罵らないように、自分を保つために、ぎゅっと手を握る。

 母は悪い。幼い自分と、生まれて間もないみさきとみどりを放り出したのだから。

 様々な心労がたたっていたところへ、父の行方不明という決定打を与えられて精神的な病に陥ったという事情があっても、とうてい容認できることではない。

 けれど、快方に向かってからはいい母親だった。ただ、遅かったのだ。

「……分かってるわ」

 静かに母は言った。いっそ穏やかとも言える雰囲気がこちらにも伝わってくる。

「勝手だってことくらい、分かってる。けれど、このまま放っておけば、あの子達は最悪死んでしまうのよ。あの子達を、私は助けたいの」

 声に、切実な響きが混じってくる。

 ……心の底から、母は思っているのだ。みさきとみどりを助けたいと。

「私は母親としては最低かもしれない。でも……こんな私を、あの子達は『お母さん』って呼んでくれるのよ。笑いかけてくれるのよ……! これからも一緒に笑っていたいのよ……」

 涙混じりになっていく母の声。ほたるは、そんな母の声を、どこか遠く他人事のように聞いていた。

 大切、どころではない。母は、本当にみさきとみどりを愛しているのだ。

「母さん……」

 ほたるの口から、言葉にならない言葉が漏れた。

 母の本音を知り……ただそう返すしかなかった。


*  *  *


「あ、ほたる。お帰り」

『お帰りなさーい』

 寮の部屋に戻ると、カップを二つ持ったエプロン姿の紗夜香と、ベッドに腰掛けるみさきとみどりが出迎えてくれた。

 愛しい者の出迎えに、暗澹とした気分が少しだけ晴れる。

「はい。こぼさないようにね」

 紗夜香は二人にカップを渡す。二人は同じ動作でそれを受け取り、同時に口を付けた。

(……どうすればいい? どうすれば……)

 ドアを入ったところで、立ちつくしてしまう。

 知らなければ、微笑ましく思えた。ただ、知ってしまったから、それが不自然に思えてしまう。

 けれど、一方でそれがどうした、というささやきがある。

 感情の拒否と理性の許容。それが心の中で壮絶なせめぎ合いを展開していた。

 二人を離したくないという思いと、二人を救いたいという思い。

 どちらもがあっていて、どちらもが間違っている。

 だからこそ、どちらを選ぶこともできない。選ぶ勇気がない。

「どうしたの?」

 紗夜香が怪訝そうにしている。ほたるは、「なんでもないで」と言ってドアから離れた。

「ほたる」

 横を通り過ぎようとした瞬間、ぐいっと腕を引っ張られた。

「ん?」

 振り返った直後、こつんという感触とともに、紗夜香のどアップが目の前に広がっていた。

 驚くほたるだが、紗夜香に素早く側頭部を抑え込まれた。

 数秒、時間が止まる。

 唐突に、紗夜香が離れた。

「うん、熱はないみたい」

「……なんで熱やねん」

 脈絡のない紗夜香の言い分に、苦笑を隠せない。

「知恵熱」

「……」

 あっさりと言い放った紗夜香に、ほたるはじとりとした視線を向けた。

 すると、紗夜香は何が面白いのかくすくすと笑いをこぼし始めた。

「ほたる、知ってた? 髪の毛に隠れてて分かりにくいけど、ほたるってすごく難しいこと考えるときって、眉毛の端っこが歪むのよ」

 とんとん、と自分のこめかみ辺りをつつきながら、穏やかに笑う。

「悩んでも見つからない時って、その時に自分の思ったままに動くしかないわよ?」

 そう言って、紗夜香はキッチンへと引っ込んでしまった。少し早いが、夕飯の準備に取りかかるのだろう。

「ったく……余計なところまで見よってからに」

 苦笑を浮かべながら、小声で毒づいてみる。だてに親友をやってない、ということだろう。

 しかし、いくら紗夜香が親友だからって、内容までは知らないはずだ。ある意味で全く見当はずれのことを言っているかもしれない。

 けれど、ほたるにとっては的中の答えだった。まるで肩にのしかかっていた何かがすとんと落ちたように感じる。

(せやな。今考えたって答えが出るわけやないな)

 どっちも正答であり誤答であるなら。この場で決められないなら。

 だったら……後は、必要なときに自分が出した答えが、自分にとって一番大切なものなのだろう。

 ありのままこそ、本当に信じられるものなのだから。


*  *  *


 翌日。ほたるは一日中、ピリピリとしていた。

(はよう終われ〜はよう終われ〜)

 すでに数えるのも馬鹿らしいほど、同じ言葉を胸中で呪詛のように呟いていた。

 その気配が伝わるのか、今日の授業はどれもが早めに終わっていた。

 しかし、ほたるが終わって欲しいのは授業ではない。授業が早く終わる恩恵を味わったのは、昼休みだけだった。

 そんなこんなで、本日の最後の授業。ほたるの呪詛は最高潮に達しようとしていた。

「……少し早いが、今日はここまでにしよう」

 教師がそう言って教科書を閉じると、日直が号令をかけた。お決まりの号令の後、一斉に教室がざわめきにのまれる。

「ああ、倉品」

 そんな喧噪をよそ目にとっとと駆け出そうとしていたところを、教師が呼び止めてきた。挙げ句に、手招きなんぞをしている。

「……なんですか?」

 仕方なく小走りで教師に近づく。その間に、厄介事を回避するための文句を用意しておく。

 ……最悪、クラスメイトにとばっちりを受けてもらおう。

「ああ。授業が終わってからでいいと伝言が来ていたんだが……早く終わったからな。カフェテリアにすぐに行ってくれ」

「はぁ?」

「カフェテリアでお母さんが待っていらっしゃるそうだ。事務から連絡が来た」

「!?」

 教師の言葉に、ぎょっとしてしまう。

「あまりお待たせするのも悪いだろう」

「わ、分かりました……」

 ほたるがそう言うと、教師はさっさと教室を出ていった。

(しゃぁない、行くか……)

 気が重かったが、すっぽかすわけにもいかない。

 カフェテリアを通らずに帰ることもできなくはないが……最終的に全く意味をなさない。避けては通れないのだ。



 ほたるがカフェテリアに入ると、母はテラスの方で優雅に読書をしながら紅茶とケーキにしたつづみを打っていた。

 スーツをしっかりと着こなしたその姿は、凛々しかった頃の母そのままだった。

(臨戦態勢かいな……)

 胸中で溜息をつきながら、背筋を伸ばし堂々とした態度で近づいていく。

 だが、母は分かっているだろうに顔を上げようとはしない。

「馬鹿の振りの次は愚鈍のマネ?」

 イスに座りながら、挑発するように言葉を投げる。

 すると母は、まるで今気付きましたと言わんばかりの表情で顔を上げた。

「『そっち』の時も、皮肉って言うんだ?」

 くすり、と母は少女のように笑う。

「余計なお世話や。つーか、いきなりどういうつもりやねん」

 頬杖をつきながら、半眼で母を睨む。母は「ん?」と小首を傾げた。

 ……みさきとみどりがやる仕草とそっくりだ。いや、みさきとみどりがそっくりと言うべきか。

「二人、言ってなかった? 今日の夕御飯、一緒に食べようって」

「だからっていきなり学園に押し掛けてくるアホがいるかいな」

「失礼ね。ほたるが通っているってだけでも来る価値はあるわよ。おまけに、最高峰の学園よ? 興味があって当然じゃない」

 ほっそりとした指でカップを絡め取り、口元に持っていく母。

 別段、良いところの生まれというわけではないのだが、どういうわけかこういうお嬢様的な仕草が様になっている。

「あのなぁ。あたしは別に来るなとはゆーとらんやろ。いきなり来るなゆーとるんや。事前に連絡の一つくらい入れられるやろが」

「……ほたる。私からも一ついいかしら?」

 身を乗り出し、手首に顎を載せてわずかに唇に笑みを刻む母。穏やかなだけの笑みにやや気後れしながらも、ほたるは正常を装って返す。

「なんや?」

「わざわざ作らなくて良いから、本音でぶつかってきたら?」

「……」

「はっきり言ったらいいじゃない。『逃げられないように連絡も寄越さず、直で来るように伝言まで頼んだのか?』って」

「ほんっと、やりにくい。合わせるとか流すとか……少しは気遣ってくれてもいいんじゃない?」

 諦めを体現したような溜息が漏れる。これだから肉親はやりにくい。

「で、どうなったわけ?」

「とりあえず、入学の許可はもらってきたわ。後は検査とかでどっちが選ばれるかだけね」

「やっぱり本気……か」

「当たり前でしょう? こんな事、冗談で言えるわけないじゃない」

 形の良い眉をしかめる母。

「神楽には『マジカル・サーキット』に詳しい先生がいてね、私の古い友人なの。初等部からあるし、その人もいてくれる。だから、神楽を選んだのよ。最大限、手を尽くしてくれるわ。それでも、許せない?」

 真っ直ぐに尋ねてくる母。

(違う……分かってないよ、母さん)

 胸の中で呟きながら、目を逸らす。自分が感じている引っかかりは、母が考える部分と根本的に違う場所にあった。

 そして、今の言葉でそれが決定的となった。ほたるが決断しきれなかった理由……それを、母は自分の言葉で語ってくれたのだ。

「母さん。ようやく分かったんだけど……」

 言葉で言って分かるか保証はない。けれど、言わなければ絶対に分からないだろう。

 母にとっては、かなりきつい言葉になるだろう。下手をすれば、ショックで病気が再発するかもしれない。

 それはほたるの望むところではないが……だとしても、言わなければならない。

 そうしなければ、何も解決しない、そう思うから。

『おねーちゃん!』

 意を決したところで、聞き慣れた声達に遮られた。タイミングを逸して、ほたるは思わずテーブルに突っ伏した。

(なんでこう、タイミング悪いかなぁ……)

 声の方――店内へと続く開きっぱなしのドアへと向けば、案の定、みさきとみどりが、カフェテリアの中からぶんぶんと手を振っていた。

 そして、ほたるが気付いたことが分かると、通路を器用に走ってくる。

 その後ろには、苦笑を刻んだ紗夜香がいた。恐らく、待ちきれずに教室まで来ていた二人を寮に戻す途中だったのだろう。

「あーおかーさんもいるー」

「どうしたのー?」

 影になっていて気付かなかったのか、近づいてきて初めて母の存在に気付き、みさきとみどりはきょとんとした。

「晩ごはん、みんなで食べよう、って言ったでしょ? 用事が早く終わったから、ちょっと早く来たのよ」

 母がそう言うと、みどりとみさきは顔をほころばせた。

「じゃぁ、おかーさんもいっしょに遊びにいこーよ」

「おねーちゃんが面白いところにつれてってくれるんだって」

 みさきとみどりが笑顔でする話を、母は満面の笑顔で聞いている。

 なんの問題もない、どこにでもある親子の姿だ。

(けど……このままじゃ……)

 引き離されてしまう。笑えなくなってしまう。

 たとえ『自分』が存在しても……もう、二度とみさきとみどりは今のようには笑えなくなってしまうだろう。

 だったら自分は、どうすればいい……?

(傲慢かもしれないけど……あたしが守らないと……)

 正しいか、間違ってるか。それは、自分が決められることじゃない。

 決められるのは、いつか来る日のみさきとみどり。

 だから、今自分が正しいと心から信じられることをするしか、ない。

「みさき、みどり」

『? なぁに?』

 一瞬、誰の声か分からなかったか。みさきとみどりは一拍を置いてほたるに向いた。

「今から聞くことに、正直に答えて」

「ほたる……?」

 滅多に出ない真剣そのものの声に、紗夜香が訝しむ。紗夜香も、何度聞いたか分からない。恐らく、両手で事足りるくらいも聞いてないだろう。

 自分でさえ、ここまで覚悟を抱いて発するなど、どれくらいぶりか分からないくらいなのだから。

「二人は……離れられる? どっちかが遠くに行っちゃっっても、大丈夫?」

「ほたる!?」

 顔を驚きに染めた母が、がたんと立ち上がった。みさきとみどりは揃って小首を傾げている。

「母さんは、二人のどっちかを遠い学校に転校させようとしてる。もちろん、それはきちんとした理由があって、あんた達のためになるからよ。それだけは間違いない。……あんた達は、離れられる?」

 みさきとみどりは、驚いたように母を見上げた。そこにあるのは、普段の優しい母とは似ても似つかない厳しい表情でほたるを睨む顔だった。

 その真剣さが、姉の話が本当であることを分からせた。

「離れ……ちゃうの?」

「どうして……?」

 不安に揺れながら、みさきとみどりは小さく母に問いかける。だが、母は答えない。

「どういうつもり……?」

 怒りすら感じ取れる母の声は、ほたるに向かっていた。

「やっぱり、説明してなかったか。母さん、それは反則でしょ。それに、母さんはみさきとみどりを思ってるんじゃない……双子を思ってるだけ。そもそも、そこから間違ってる」

 投げかけられた言葉に、母は一瞬、息を詰まらせた。しかし、一瞬後にはその顔に更なる怒りを刻む。

「どういうこと……?」

 ほたるは、ゆっくりと立ち上がる。ほとんど同じ位置にある母の瞳を真っ正面から見据え、口を開く。

「全部ふまえた上で言う。母さんのやり方、あたしは賛成できない。今の状態でみさきとみどりを引き離させはしない」

「私は、自分のやり方を貫くわよ?」

「だったら止める」

 共に譲らぬその姿勢は、親子ではなかった。どちらもが、母親だった。

 子供のために、正しいと思った姿勢を貫こうとしていた。


*  *  *


 何を言っているのだろう。

 真っ先に思ったのはそんなことだった。

 離れる。

 いったい、どういうことだろう?

 みさき。みどり。

 どっちも自分。どっちでも変わらない。

 みさきとみどりで、一人。

 だから、離れるなんて無理。

 (うん。離れるなんて……できないよ)

 みさきとみどりと。二人で一人なんだから。

 同じことを考えて。同じことを感じて。一つのことを受け止めて。







 なんだか……白い。


*  *  *


 風のようでいて風でない衝撃を感じたのは、本当に突然だった。


ゴウッッ!!


「うわっ!?」

「きゃぁっ!」

「くっ……!」

 カフェテリアで起こったのは、渦を巻く突風。その発生源の至近距離にいた三人――紗夜香、ほたる、母――を容赦なく吹き飛ばした。

「何が起こったんや!?」

 アクロバティックに着地したほたるは、ばっと体を起こした。

 その視線の先には、巨大な渦がある。

「な、なんやねん、あれ……」

 まさしく度肝を抜かれた。目の前にあるのは、空気の渦ではない。

 一目で分かる。あれは、球体の渦が空気を引きずっているのだ。

 その元は……

「あれは……マナ……」

 空気に乗って、紗夜香の呟きが明瞭に飛び込んできた。

(マナそのものってことかいな!?)

 ほたるの表情が強ばった。それが意味することが、その一言だけで分かってしまったから。

(暴走しとるんかいな……!)

 普通、魔法の原動力であるマナは、動くはずがない。ただ一つ――暴走という例外を除いては。

「紗夜香! ほんまにあれはマナなんか!?」

 声を張り上げる。魔法に関しての知識は正器が専門だが、感知となると元々の素養が高い紗夜香だ。

「間違いない。あれはマナの渦よ」

 離れていてもどうしようもないと思ったのか、紗夜香が身をかがめながら小走りに近づいてきた。

「『マジカル・サーキット』そのものがマナを媒介にしてるものだし、それが感情で増幅されて無意識的にマナに影響を及ぼしたのね。たぶん、ここはマナが強いから暴走を起こしたんだと思う」

 反対側からは母が来ていた。音が強かったのは最初だけで、今は声を張り上げなくても聞き取れる。

「くっ、みさきとみどりはどうなってるんや……!」

 余計なものを一緒に引きずって回っているせいか、渦の内側を見ることはできない。

 だが、渦の中にいることだけは間違いない。

「翠!」

 紗夜香の声とほぼ同時、翠泉の周囲に三本の石の槍が生まれる。

「ガァゥッ!」

 翠泉が吠えると、石の槍は空気を切り裂いて渦へと突進していった。

 飛翔した槍は一直線に渦に衝突し、そして乾いた音をたててあっけなく砕け散ってしまった。

「やっぱり駄目か……」

「変化していないマナは純粋なだけに、影響を受けにくいからね。マナそのものを動かせれば、属性に左右されない力を得られる、なんて言ってる研究者もいるくらいだし」

 紗夜香の声に応えたのは母。なんとも冷静な視点から分析と解説をしてくれている。

「母さん。必要なんは講釈やない。どうすればあれを止められるかや」

「それそのものは簡単よ。二人を引き離して落ち着かせる、以上」

「……」

 まるでからかっているような言い方に怒りが膨らみ、思わず睨んでしまう。

「とにかくあれを打ち破るしかないんだけど……下手なことをすれば、中にいるあの子達がどうなるか……」

 しかし、声ほどに表情はふざけていなかった。

「けど、なんとかしてやるしかないで。このまま待っとったって状況が好転する保証なんかない。……下手すれば、ロクでもない輩が介入してきて無茶苦茶にされてまうで」

 母を責めることはいつでもできる。今しかできないことは、みさきとみどりを助け出すことだ。ほたるはけんめいに自分に言い聞かす。

「でも、どうやって? あれ、マナの動きも空気の動きもかなりのものよ? それに、あの二人の間に『マジカル・サーキット』が展開されてるなら、無理に引き剥がすと人格崩壊を起こさない?」

「たぶん、人格崩壊は大丈夫。あの子達は繋がったり切れたりを小さな頃から繰り返しているはずだから、耐性があるわ」

「だったら簡単や。マナやろうが空気やろうが動いてるんに変わりない。だったら、もっと大きな力で止めて、入り口作ってやればええ」

 口に出してみれば、意外に軽くなった。やることは、一つしかないのだ。

「相変わらず無茶言うわね……。あれ、かなりの力持ってるけど」

「完全に消せとか入り口維持してろゆーてんのとちゃうんやからなんとかなるやろ? 数瞬、無力の時間を作ればええんや」

「あっけらかんと言ってくれるけど……それが難しいんじゃない」

 紗夜香が大きく溜息をつく。長い付き合いだから分かる。諦めの溜息だ。

「ま、できるのできないのって議論は、やってみてからで十分よね。とりあえず、貸し一よ?」

「オーケー。頼りんなるわ」

「助けを求めるとかって考えはないわけね。……ほたる、ギリギリまで近づいて待ってて」

「……了解」

 母の言葉に、苦笑を禁じ得ない。歩きながら、ほたるは思った。

 母は、あまりに自分をしらなすぎる、と。

 ほたるは学んだ。まず自分でやらなければ、他人はやってくれない。自分ができること全てをやってからでなければ、他人は手をさしのべてはくれない。

 そして、自分は……誰かに任せっきりにして、何もしないのが大嫌いなのだ。

(すぐに助けてやるで、みさき、みどり)

 渦から一メートル辺りで足を止める。

 不思議と風圧はない。ただ、目の前にある渦の周囲にある空気はたやすくほたるを切り刻むだろう。

 また、根源たるマナは……何を引き起こすか分からない。

 それでも、恐怖はなかった。決意と安心とが、しっかりと胸の中にあるのだから。

『空の理を以て 風を紡ぐ』

 背後から、同時に異音同句の呪文が流れてきた。ぐっと四肢に力を入れ、一瞬を逃さぬように目を見開く。

『鋭き槍よ 楔となれ!』

 そこまでを聞くと同時、左右の手にごく初歩の魔法を展開する。

『《エアリエル・ウェッジ》!』

 結びの呪文。瞬間、ほたるは駆けた。

 直後、空中に現れた巨大な空気の槍が二本、渦を切り裂き、神の遺産がそびえ立つように地面に突き刺さった。

 向かい合うように渦の端と端に突き刺さった槍が、渦の球体を崩した。でたらめな方向に力が流れていく。

(あそこや!)

 力の薄い場所を見極め、ほたるは飛び込んだ。

 中では、みさきとみどりがとろんした表情とふわふわした様子で立っている。

 全力疾走のまま二人に近づいたほたるは、腕を振るい魔法を解放した。

 攻撃にもならないような風が、みさきとみどりを包み込み……そして、上空へと舞い上がらせた。

 渦の天井よりも高く舞い上がっていく二人を視線で追いかけ……そして、一瞬後には、二人の姿を隠して力の奔流が迫ってきた。

「くっ……」

 腕で頭を覆い、体を沈ませる。

(痛み、少ないとええなぁ……)

 そんなことを考えながら……ほたるは、どん、という強烈な音を最後に聞いた。


*  *  *


 最初に感じたのは、まぶしさだった。

「ん……」

 まぶしさで目が覚めたのだと分かったのは、飛び込んできた光を見た後だった。

「あ、ほたる。目、覚めた?」

 横手からかかってきた声には、聞き覚えがあった。毎朝、毎日、それこそ飽きるほど聞いている声だ。

「ったく……こんなときまで軽いやっちゃな」

「ほたるに言われたくはないわね。とりあえず、起きたら? 三人、呼んでくるから」

「……普通、寝てろって言わんか?」

 容赦がないというか淡々としているというか……けれど、それが紗夜香という女なのだ。

「それだけ喋れれば大丈夫でしょ。ちょっと待っててね」

 そう言うと、紗夜香はさっさとドアへと向かい、振り返りもせずに出ていった。

「……ああ、そういえば、みさきとみどりは無事だったんやな」

 やはり頭が回っていないらしい。そんなことにもすぐに気付けなかった。

「そうか……無事だったんか。しかし……参ったなぁ。母さんとドンパチできんで、これじゃ」

 もぞもぞと起きあがる。なんだか体が重い。気怠いとか痛いとかじゃなく……本当に体が重い。

 ぺたぺたと体を触ってみても別に脂肪が余計についていたりはしないから、太ったというわけでもなさそうだ。

「んーま、後で聞けばええか」

 一応問題なく体は動くし、意識はしっかりしている。大事はないだろう。

 そんなことを思っていると、ドアが恐る恐るという感じで開いた。

「おねーちゃん……?」

 そーっと顔を出したのは……みどりだ。いつものリボンをしていなかったので、一瞬だけ戸惑ってしまった。

「どーした? みどり」

 ちょいちょいと手招きする。すると、てけてけと近づいてきた。

 みどりがドアの前からいなくなると、今度はみさきと母が入ってきた。

「みどり。リボン、なくしたんか?」

 みさきがリボンをしているのを見て、ほたるは尋ねた。すると、みどりはふるふると首を横に振る。

「おねーちゃん。わたしたち、危ないまほー使ってたんだよね?」

 横に来たみさきが、開口一番にそんなことを言ってきた。

「……話したんか、母さん」

 少し離れたところに立つ母に、視線を投げる。

「ええ。全部ね」

「そーか……」

「ごめんね。わたしたちが……」

 今度は、みどりがうなだれながら言う。ほたるは、そんなみどりの頭に手を置き、乱暴に撫でた。

「気にすることなんてない。みーんな、大人が悪いんや」

 そう、みんな大人が悪いのだ。自分も含めて。

「あのね、あのね。わたしたち、離れることにしたよ」

「……へ?」

 みさきの言葉に、間抜けな声が漏れた。

「あぶないまほーをあぶなくするには、どっちかがかぐらがくえんに行かないといけないんだって。だから、わたしたち離れることにしたの」

 みどりに視線を向けると、みどりはこくりと頷いた。二人の目は真剣だ。

「……無理すること、ないんやで? 離れなくてもなんとかなる方法はきっと……」

「無理じゃないよ。わたしたちで決めたの。……なんとなくね、このままじゃだめって思ってたの。ね?」

 みさきが、みどりに視線を向けた。みどりは、「うん」と頷く。

「すごく気持ちよかったんだけど、気持ちよすぎて恐くなってたから……だから、これでいいの」

「……なぁ、あたし、どれくらい寝てたん?」

 ふと気になって母に聞いてみた。

 暴走がショックになって、更に説明を受けたにしてもずいぶんと二人が独立している。

 今と比べれば、以前の二人は全く同じ人間を相手にしているようなものだった。

「四日よ。その間に全部話して考えさせた」

「はぁ……こないに変わるもんなんやなぁ。おねーちゃんもびっくりや」

 頬が緩んでいるのが、自分でも分かった。

 ひょっとしたら、なんだかんだで自分も二人を縛ってたのかもしれない。

 そう考えると、なんだか馬鹿馬鹿しいような申し訳ないような……複雑な気分だった。

「みさき、みどり」

 呼んでから、二人の頭に手を置く。

「自分達で決めたんだから、好きにやりなさい。ただ、無理はしないように。あんたらはまだ子供なんだから、いくらでも大人を頼っていい。自分達ができることを、精一杯やってれば、それでいいからね」

 言いながら、やんわりと二人の頭を撫でる。

 手の下で頷く二人から伝わってくる意志は……たどたどしいけれども、力強いものだった。



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