ジリリリ……
朝日の射し込む穏やかな室内に、傍若無人で無機質な音が響いた。
スズメの鳴き声と混ざり合う、無情な音。
「ん……」
そんな音に反応したのか、ごそごそと少女が動く。
そして、カチャ、というこれまた無機質な音が鳴った。
「くー」
同時に無情な音は収まり、満足したのか少女は再び微睡みの中へと潜り込んで穏やかな寝息を立て始めた。
と、そんな少女に近づく存在があった。のそのそとした、こちらもまた眠そうな所作で近づいていく存在。
やがて、少女が眠るベッドの脇についたそれは、
「くーん」
そんな眠そうな声と共に、鼻先で少女の柔らかそうな頬をつつき始めた。
「ん〜? あーすいー……んー朝かぁ」
うっすらと瞼を開いた七海 紗夜香(ななみ さやか)は、目の前にある見慣れた顔に、僅かに覚醒の兆しを見せた。
そして、それが収まらない内にとゆっくりとだが、体を起こす。
「あーうー……眠いぃ……」
半分夢の中にいるような声と様子の紗夜香。
昨夜、調子に乗って夜更かししすぎたらしい。低血圧気味の紗夜香だが、いつもならもう少しはまともに覚醒している。
「むぅ……シャワー浴びよぉ……すい〜おいでぇ〜」
ゆっくりとベッドから降りた紗夜香は、ふわりふわりとまるで夢遊病者のように、浴室へと歩いていく。
翠泉は紗夜香の呼びかけに従い、のたのたと紗夜香の後ろに着いていった。
それから三十分後。シャワーを浴びてすっかり目を覚ました紗夜香は、髪を乾かすだけではなく身だしなみも完璧に整え終えていた。
そろそろ暑くなり始める時期だ。服装はだいぶ涼し目になっている。紗夜香は、基本的にスカートを履かない。平日ならば制服なので仕方がないが、休日ともなればズボンかパンツを履く。今日は出かける予定があるので、パンツだ。
上着は、洒落っ気の無いシャツ。出かけるときには、この上に薄いジャケットを着るつもりだ。どちらかというと、紗夜香はきりっとした雰囲気に纏まる服が好みだったりする。そして、それがまた紗夜香の二股ポニーに合っていたりするのだ。
しかし、そんな紗夜香だが、実は見た目に反して中身はかなり家庭的で良妻的だったりする。
というのも、紗夜香はルームメイトである倉品 ほたる(くらしな ほたる)の世話をほぼ一手に引き受けているのだ。
「ほたる、ほたる。もう朝よ」
自分が使っているのとは反対側のベッドで寝ているほたるを揺さぶる紗夜香。
「んーもう朝ぁ……?」
「うん。まだ時間あるから、シャワー浴びてくれば? 寝癖、かなり酷いよ?」
「分かった……」
理解しているのかいないのか甚だ怪しい。
だが、ほたるはのっそりと起きあがり、その足で浴室へと向かう。一応、理解はしたらしい。
そして、紗夜香はそんなほたるを見送った後、手早くほたるの服を引っぱり出した。
「ほたる、今日の朝食、軽めの方が良いよね?」
服を脱衣所に持っていき、バスタオルを出しつつ重ねて置く紗夜香。その片手間に、のろのろと服を脱いでいるほたるにそう尋ねた。
「んー任せる……」
返ってくる答えは他人任せで眠そうだった。
だが、紗夜香はそんなほたるの様子を気にすることもなく、
「分かったわ」
そう言って、脱衣所から出た。
「んー、何作ろうかなぁ……?」
キッチンへと入った紗夜香は手早くエプロンを身につけながら、思案顔で呟いた。
「決めた」
頬に手を当ててたっぷり一分近く考え込んだ紗夜香は、そう言うとテキパキと朝食の準備にとりかかった。
これが、この部屋での日常的光景である。
そして、その後もほとんど決まった光景が続く。
二人揃って朝食を食べて、ほたるが後片づけをして、紗夜香は二人分の授業の準備をする。
両方の仕事が終わったところで、揃って部屋を出て学校へと向かうのだ。何となく、性格が分かる分担である。
もっとも、休日はあまり生活リズムが合わないので、平日と同じ流れがある方が珍しいのだが。
しかし、それにしてもそこはかとなく割を食っているのは紗夜香のような気がしないでもない。
だが、こと家事、特に朝においてほたるは全くあてにならない。ほたるに任せていては、そもそも朝食を食べられない可能性の方が高いのだ。
それに紗夜香は、低血圧気味なので早めに起きて早めに覚醒できるように色々とやった方がいい、と考えている。
とりあえず、ほたるも後片づけくらいは自分からやると言っているので、不満はない。
「ふんふんふん〜♪」
今お気に入りの歌を口ずさみながら、手慣れた様子で紗夜香は朝食を準備していく。
と、そんな紗夜香に近づく影があった。
ゆっくりと、足音と気配を忍ばせて紗夜香の背中に向かっていく。
紗夜香はご機嫌に料理をしており、そんな影に気付かない。
「さーやかっ☆」
影――ほたるがそう言いながら、背後から紗夜香の胸を鷲掴みにした。
「きゃぁっ!?」
驚いて悲鳴を上げる紗夜香。
と、驚いた拍子にその手から包丁がすっぽ抜けた。
「きゃん!」
紗夜香から離れた所で丸くなっていた翠泉が、突如飛んできて床に突き刺さった包丁に悲鳴を上げた。
「す、翠、大丈夫!?」
悲鳴を聞き、紗夜香はほたるを無理矢理ふりほどいて翠泉の側へと駆けていく。
「あーごめんねー」
無事だと確認した紗夜香はほっと胸をなで下ろし、そう言いながら翠泉の頭を撫でてやる。嬉しそうに目を細める翠泉。
「もう! ほたる! 包丁持ってるときにそういうことしないでっていつも言ってるでしょ!?」
立ち上がり、腰に手を当てて怒ってみせる紗夜香。
じゃあ包丁を持ってないときなら良いのかとつっこみたくなるような台詞だが、とりあえずその怒り具合は相当なものだ。
「んーほら、やっぱり朝の挨拶は……」
「ほたる!?」
「……ごめんなさい」
思いっきりきつく怒鳴られ、デニムスカートと肩の出たトップス姿のほたるは思わず謝ってしまった。
ちなみに、ほたるはあまりおしゃれというものをしない性格だったりするため、このまま外出するつもりだ。
それはともかく。
こと翠泉と緑玉(りょくぎょく)のこととなると、紗夜香は普段の穏やかさというか静けさというかが一切鳴りを潜めてしまう。
紗夜香にとって、翠泉と緑玉は何よりも大切な子供のようなものなのだ。
「ほんと、その手癖の悪さ、なんとかならないの? 別にレズってわけでもないでしょうに」
ふぅ、と溜息をつき、小首をかくりと落とすようにして呆れてみせる紗夜香。
「んーまぁ、そうなんやけどな。やっぱ触るなら柔らかい女の子やと思うんよ。論より証拠や。紗夜香もやってみればええんよ。癖になるで?」
ほたるはそんな不遜な事を言い、にっかりと爽やかに笑った。
「私は翠と緑で十分よ。二人の方が柔らかい上にふかふかしてるもん」
そもそもとして問題が手癖の方ではないかと思わないでもないのだが、紗夜香はそう言ってキッチンへと戻る。
「んーなんつーんやろなぁ……こう、すべすべとした柔らかさがたまらんっちゅーか」
「はいはい。レズっ気のある痴女の価値観は分からないから」
「……そんなこと言ってると、襲うで?」
「いいわよ? そうしたら、翠に容赦なく戦ってもらってその足でこの部屋出るから」
「うぐっ……」
それを出されると冗談でもほたるに勝ち目はなかった。
なにせ、ほたるが特待生でいられてまともに学園生活が送れるのは、紗夜香の補助あってなのだから。
「はぁ……しゃーないな。標的は春菜だけにしとくか」
心底から残念そうな溜息をつくほたる。
この場に春菜がいたら、心の底から「なんでそうなるのよぉっ!?」と叫んでいただろう。
「はい、朝御飯できたわよ。ちゃっちゃと食べちゃって春菜ちゃん起こしに行きましょ」
「そーやな。寝起きでも襲いに行くか」
二人は、そんな会話を交わしながら朝食を食べ始めた。
「…………遅い!」
やってきた女性三人に向け、庫裡 正器(くり まさき)は怒りマーク付きで開口一番にそう言った。
一応は出かけるという気構えがあるのか、その服装はぱりっとした感じだ。ズボンと長袖のシャツという変哲もない格好ではあるが、清潔感が漂っている。
「まぁまぁ」
それをたしなめるのは山路 進司(やまじ しんじ)。
こちらは何でも似合いそうなので適当に着てきそうな気もするが、色男だけあってファッションにも気を使っているようだ。しっかりと雰囲気で好青年を語っている。
柔らかくて余裕のあるズボンとシャツ、それにジャケットという組み合わせだ。
「お前も少しは怒ったらどうだ? いくらなんでも一時間の遅刻はやりすぎだろう」
正器は、やや八つ当たり気味に睨みながら進司へと辛辣な口調で返す。
「お兄ちゃん。大人の女は準備に時間がかかるものなのよ」
やや丈長のワンピース姿で、分かってないなぁ、とばかりに得意げに人差し指を振りつつ言うのは、もはや外見上では子供にしか見えない庫裡 春菜(はるな)だ。
『大人の女?』
次の瞬間、全く同じタイミングと呼吸で、三つの声が盛大に疑問の台詞を投げかけた。
更に、その三対の視線は共謀したかのように――勿論、偶然……というかなんというか――春菜の、かろうじて自己主張をしているような感がありありとある慎ましやかな胸へと向けられていた。
ある意味、いつも通りの反応だ。いつもの春菜ならば、ここで怒りの声の一つも上げて突っかかっていくだろう。
しかし……今回は、今回だけは、春菜はプライドを木っ端微塵にされたかのように滝のような涙を流すだけだった。
「す、翠と緑までぇ……」
春菜の、本気で泣きそうな湿った声。確かに、翠泉と緑玉までもが、春菜の胸を見ていた。
……いくら知能が高いとは言え、獣にまでそんな目で見られては、さすがに泣く以外にないだろう。
「ほら、春菜。今の内やで」
「うぅ……お、女は支度に準備がかかるものなのよぅ……」
涙をだばだばと流しながら、春菜は文字通りプライドを切り捨てて言い直させられる羽目となってしまった。
「うぅ……ちいさくたって……おとなにはなれるんだもん……」
そして、そんなことをぶつぶつと呟きながらいじけて地面にのの字を書き始めてしまう春菜。
「……なんていうか、いくら事実とは言え、これはかなりきついものがあるかも」
哀れを体現したかのような春菜の態度に、紗夜香は至極生真面目な態度で肯定的に捉えていた。
しかし、微妙に傷口に塩を塗り込んでいるような気もする。
「さ、紗夜香にそこまで言われたくないよぅ……いいもんいいもん、わたしだってその内しっかり出てくるもん……」
「無理やん? その体質ある限り。つまり、春菜は一生そ・の・ま・ん・ま♪」
心底から楽しそうに――明らかに喜悦の表情が浮かんでいる――ほたるは言った。
「あうぅ……あうぅ……」
もはや走り去る気力すらないのか、春菜はただひたすら膝を抱えて呻き泣きをするしかなった。
「毎度ネタばっか提供してくれるよなぁ、春菜は。ほんま学習せん小娘やなぁ……」
一番学習しない輩に言われてしまう春菜だった。
「ああ、正器」
そこで、ふと思い出したように、ほたるは正器を呼んだ。
「ん? あ、ああ、なんだ?」
自分が一部その原因とは言え、精神的にズタボロになった春菜を、さすがに哀れに見ていた正器。ほたるの言葉に、ようやく自分を取り戻したようだった。
「遅刻に関してはクレープ一枚おごるっちゅーんで手ぇ打ってぇな。こっちも悪気はなかったんやさかい」
「……ドリンク付きな」
「ま、しゃぁないわな」
ひょいと肩をすくめて頷くほたる。
春菜はその交渉を脇見に聞き、目幅一杯の涙を流しながら不満顔をしてみせる。
(遅刻の原因はほたるなのにぃ……)
襲われるという表現にまでは行かないものの、かなり過激に起こされた春菜は、その場でほたると大喧嘩を展開してしまったのだ。
確かに原因はほたると言えなくもない。
しかし、それを言っても泥沼になるだけだ。そんなことをして正器の機嫌を損ねてもまずいだろうと、春菜は仕方なく口をつぐんだ。……その不満は、哀愁漂う背中にありありと浮かんでいるが。
そんな春菜に気付いた進司は、朝から曇りのない笑顔で春菜に言葉をかける。
「春菜ちゃん。そんなむくれてたら、楽しいものも楽しくなくなっちゃうよ。ほら、スマイルスマイル」
「あ、うん……えへへ」
進司の励ましに、春菜は頬をやや赤く染めてだらしない笑顔を浮かべた。なんとも現金なものである。……もっとも、単に忘れ去ろうとしているだけかもしれないが。
「さてと、んじゃ、街巡り、行ってみよか!」
景気付けとばかりに、ほたるが一つ手を打ち合わせた。
(別名ノアの箱船とも言われるこの学園都市は、マジック・ノア総合技術学園を中心に発展してきた都市です。政府からの補助と恩恵があるため、商業都市として異例とも言える規模に発展して……)
文字をそこまで追った正器は、手に持っていたパンフレットを無言で閉じた。
その表紙には、「学園都市マップ・学園生徒初心者向け 著・学園高等部新聞部(指定部)」と書かれている。
要するに表紙が語るとおりの代物なのだが……はっきり言って、どうでもいい内容だった。
そんなことに一ページも使うくらいなら、もっと地図を拡大するなり必要と思われる施設を詳しく説明するなりした方がよっぽど建設的だろう。
(やっぱ、学園もお役所気質なのか……)
斬新的な経営体制を敷いているだけに、ちょっとばかり落胆する正器だった。
そんな正器の様子を見てとった春菜。
意図していた施設が載っていなかったと思ったのか、
「ところでさ、お兄ちゃんってどんな店が知りたいの?」
そんな質問をしてきた。
学園の寮を出た5人と二匹は、街の入り口――正確には、街と学園との境界線――にやってきていた。
今日の目的は、まだこちらに慣れていない正器に街を案内することだ。
ではなぜこれだけ大人数で来ているかというと、それは麗しい友情+αというわけだ。また、各人で持っている情報が違うため、全員いた方が良いだろうという考え方もある。
「そうだな……。でかい本屋と酒場みたいなたまり場と生活用品が売ってる店と品揃えが良くて安い食料品店くらいか」
春菜の問いに指折り列挙していく正器。本屋くらいならともかく、いくらなんでも他のはパンフには載ってないだろう。生活用品と食料は学園購買課、料理は学食課――共に、購買部の下の組織だ――で事足りる。ましてや、酒場など、言語道断だ。
そう考えると春菜の質問は、あながち的外れなものでもなかったといえる。
ところが、その中の一つに聞き慣れない単語が含まれている。それに気付いた紗夜香は、その疑問を率直に口にした。
「……正器君。酒場みたいなたまり場って、何?」
「情報収集は酒場が基本だろ。あ、賭博場でもいいぞ」
……ある意味、この年で出てくる単語ではないような気もする。
「あー賭博はここじゃ禁止されてるで。酒に関しても、正器がゆーとるような場所はないと思う。なんせ、ここの規制はえらいもんがあるからなぁ」
しかし、ほたるは正器の含んだ意図を理解したのか、大して驚いた風もなく答えた。
そう。この学園都市が発展したのは、政府の補助と恩恵とがあるからだけではなく、娯楽となる場所の中で不穏な種となる場所を徹底的に排除したことにある。
それもそうだろう。何せ、ここでは魔法という最も厄介で危険な力が常識としてまかり通っているのである。理性のタガを外すような代物を放置しておく訳にはいかないのだ。
「ああ、後、ついでに言えば、本屋以外は最終的に学園の使った方がええから、知っても無駄やで」
「ふーむ。だったら、そこら辺は諦めるか。酒場だけ、自力で探り当てることにする」
「お兄ちゃんだったら本気で探し当てそうよね」
兄の情報通具合を知っているだけに、春菜は苦笑を禁じ得ない。
「あら? 正器君って、失せ物探しが上手なの?」
「正確に言うと、失せ物を探してもらうのが得意、って感じかなぁ?」
「探してもらう? なんや? パシリでもおるんか?」
「ほたる。お兄ちゃんがパシリなんて持つようなガラ?」
「そやったら笑う」
春菜の問いに、身も蓋もない回答を返したほたるだった。
と、思い至ったとばかりに進司が口を挟んできた。
「そういえば、正器、入ってきてまだ二ヶ月くらいなのに、ずいぶんと顔広まってるよな」
「まぁ、顔を売るのは得意なんでな」
「お兄ちゃんって話し上手で聞き上手だから、結構人集まってくるんだよねー」
「あ……」
と、紗夜香が何かに気付いたのか、一言だけ言葉を発した。
「ん? どないしたんや、紗夜……げっ」
途中まで言いかけて、ほたるは紗夜香が何を指しているのか悟り、顔を歪めた。
何事かと一斉に二人の視線を追う三人。
その視線の先には、颯爽と歩く一人の女性とそれに付き従うような男性がいた。二人とも、学園高等部指定の制服を着ている。
五人の前まで来た二人は、ぴたりと足を止めた。
女性は、長く艶のある髪を腰までストレートにしている。
黒真珠のような瞳は切れ長で、全体的に凛とした雰囲気を醸し出している。
女性の平均をかなり上回る身長で、背筋もぴんと伸びている。これでスーツでも着ていれば、どこぞの社長でも通じるかもしれない。
……しかし、とても残念な事に、その他の発育は全く身長に追いついていなかったりする。
男性の方は、非常に穏やかな雰囲気を持っている。
男性としては平均の身長しか持っていないが、人間的な大きさを雰囲気に感じる好青年、といったところか。その口許には常に微笑が浮かんでいる。
止まってから十数秒の間。女性の方は、まるで品定めでもするようにほたるの全身を眺め、そして周りにいる面々の顔を見回した。
そして、口を開いた。
「あら、倉品さんじゃないの。グループ揃って遠足か何かかしら?」
出てきたのは、思いっきり高飛車な声音の小馬鹿にしきった言葉だった。
「いきなりご挨拶やな、箭内 真咲(やない まさき)?」
こめかみをひくつかせながら、精一杯の笑顔で答えるほたる。
しかし、その笑顔すらも引きつってしまっている。
「あら、図星だったのかしら? ごめんなさい。冗談のつもりだったんだけれど」
とても謝っている風には聞こえない口調で言う真咲は、顎をつんと逸らしている。
それを見た男性が、微笑を苦笑に変えてたしなめる。
「お嬢。仮にもクラスメートなんだ、もう少し穏やかにしたらどうだ?」
「どうして? ただのクラスメートよ、それだけで仲良くする道理はないでしょ?」
ほとんど男性と変わらない高さから、その目を睨む真咲。
「……相変わらず大変ね、嵯峨君」
と、黙ってやりとりを聞いていた紗夜香が男性に向けて口を挟んだ。
男性――嵯峨 健(さが たけし)は、苦笑を浮かべたまま肩をひょいとすくめてみせる。
「何の因果か気に入られたんでね。ま、なんだかんだで楽しいからいいんだが」
「それは惚気?」
「いんや。別にそーゆー間柄じゃないし」
「さがけん! 余計なことは言わなくていいわよ!」
何やら口走り始めた健に、真咲はぴしゃりと声をかぶせた。
「だからぁ〜そのあだ名はやめてくれって言ってるだろ?」
「私も、お嬢ってあだ名はやめて、って言ってるわよね?」
「それはそれ、これはこれだ」
ドきっぱりと断言した健。思わず勢いに飲まれて言葉に詰まってしまう真咲。
世の中、大抵は割り切ったモンの勝ちである、の典型かもしれない。
「箭内……ああ、あの箭内か」
と、会話に加わらずぶつぶつと考え込んでいた正器が、突如合点がいったとばかりの声をあげた。
「ん? 正器、お前、知ってるのか?」
「ああ。箭内 真咲。それなりに有名だぞ。学園出資者の一人、箭内財閥の現総帥・箭内 新十籠(やない しんじゅうろう)の孫娘にして次期総帥の座を約束された容姿端麗・学業優秀な天才。確か持ち上がりじゃなかったはずで、有名な士官学校からわざわざこっちに移ってきたって話だ。一般試験のトップクラスだって噂だな」
すらすらと真咲のプロフィールを語ってみせる正器。
「……お兄ちゃん。なんで学園出資者の一人なのに、持ち上がりじゃないの? コネで入れそうだけど……」
別に馬鹿にしたり、妬んだりしているわけではない。春菜も、そういう権力の在り方が存在するのは知っている。
そして、学園を出ることがどれだけ後々のステータスとして有力かも。
「ああ、簡単な話だ。"ここ"じゃ、コネなんか通用しないからだ。学園ってのは王立を謳ってるが、実際には完全な自治組織で、その上、出資と言っても学園へ直接出資されるわけじゃなく……そうだな、用途を指定した税金って言えば分かりやすいか。そういう出資なんだよ。だから、学園そのものへのコネにはならないんだ。もっとも、コネなんかで入り込んでも、死ぬか脱落するだけだがな」
「……おい正器。なんで入って二ヶ月程度のお前がそんな裏に属しそうな情報知ってんだよ」
「情報網の構築は得意なんでな」
進司の問いに、正器はしれっと答えてみせる。
「なんか問題が違うような気がするが……まぁ、いいか。で、二人はその箭内さんと知り合いなのか?」
「あんなぁ。嵯峨がクラスメートゆーたやん。聞いとらんかったんか?」
「あーわり。強くないヤツって俺、興味無いから」
全く悪びれる様子もなく、進司は笑顔で言い切った。ここまであけすけに言われると、いっそすがすがしいくらいだ。
……もっとも、それは傍観者の場合だが。
「よ、弱いですって……?」
眉と目を急角度でつり上げながら真咲は言う。握った拳が、危険な感じに震えていたりする。
プライドの塊に近い真咲。これでも、実力年功序列――簡単に言えば、学年が上に行くほど実力も上になるということだ――の学園で、並の上級生ならば複数を相手にしても後れを取らない実力者である。
驕っているつもりは全くないとは言え、弱いと一言で切り捨てられてしまえば頭に来るのも当然だ。
「お、おい、抑えろって、お嬢。こいつはあの山路 進司だ。今のお嬢じゃ、逆立ちしたって勝てないって」
リミット間近の真咲を、健が慌てて抑えにかかる。
「だ、だからって……」
「持ち上がりに喧嘩売ってどうすんだよ。ここがどういう場所か、もう分かってんだろ?」
そう。学園では、持ち上がりと外部とでは実力――いや、経験の差が現れるのだ。
実戦や実戦形式となれば、上辺の実力など教科書と同じだ。より経験を積み、それを昇華した者が強者――実力年功序列が一般的な法則として成り立つのは、こういう背景があるからと言える。
「くっ……いいわ。せいぜい、そうやって見下してなさい。必ず叩き落としてあげるわ」
真咲は、憎しみの目でその場にいる全員を睨み、そして肩を怒らせながら早足にその場を立ち去ってしまった。
「ったく……すまなかったな。けど、頼むから言葉には注意してくれ」
最後に射抜くような視線を投げかけて、健もまた真咲を追って立ち去った。
「胸がないからってプライドだけは大きくなりよってからに。つーか、このメンツ、どうやらみんな嫌われたらしいな」
ほたるが、溜息と共に言う。確かに、進司の言葉一つでこの場にいる全員が同列に見られてしまったようだ。
「なんか暗に進司君を責めてるけど、元々ほたるが突っかかってるせいじゃないの?」
「そんなことゆーてもな。あたしは単にじゃれあってるだけやで? 進司の、明らかに悪意ありまくりやん」
「……いや、別に悪意はないんだが」
「あれは悪意があると取られても仕方がないと思うぞ?」
「んーでも、やっぱりほたるじゃない? ほたるがいじめてなければ、そもそも向こうからあんな風に突っかかってきたりしないだろうし」
「黙りぃ!」
と、ほたるが鋭い声と共にどこからか取りだしたハリセンで春菜の頭をどついた。
そして、春菜の「あたっ」という声を完全に無視して講釈を始める。
「春菜。あたしのはいじめちゃう。弄め(いぢめ)や。ストレス発散とかやなくて、単なるからかいとコミュニケーション手段や。間違えんといて」
「その二つの違いを是非とも実体験者に聞いてみたいもんだな。で、春菜、どうだ?」
「……なんでわたしに聞くのよ、お兄ちゃん」
「自分の胸に……いや、頭に手を置いて考えてみたらどうだ?」
「うー……」
正器の皮肉に、春菜は恨めしそうに上目に睨んだ。
しかし、正器は当然というべきか何処吹く風だ。
「まぁ、今のは犬に噛まれたとでも思って。早く回りましょ? このままだと、日が暮れるまで夫婦漫才が続きそうだし」
ふぅ、と軽い溜息をついて紗夜香が冷静に意見を述べた。
「そうだな。ほたると正器とじゃぁ、ネタなんて尽きないだろうし」
「はぁ? 何言ってんだ? お前と春菜だろ? 倉品がかき回し役で」
「おいおい、夫婦だぞ? どう考えてもお前らだろ」
何言ってやがんだ――正器と進司は、お互いのことをそんな目で見合っていた。
その横で、ほたると春菜が溜息をついていることも知らず。
「進司、お前、夫婦って言葉分かってるのか? 夫と妻だぞ?」
「んなこと言われなくても分かってる。だからお前らだって言ってんだろ?」
更にぎゃーすかと騒ぎ出した正器と進司に、堪えきれなくなったほたるがパカスカとハリセンを繰り出し始めた。
(二人とも大変みたいね。まぁ、障害を楽しんでる節もあるし……問題ないのかな?)
そんな光景を見ながら、紗夜香はただ一人、友人達の仲の良さを微笑ましく眺めていた。
その後。一行が回った店の数は、改めて正器の要望を聞いてから相談した内の半分にも満たなかったそうな。
計画を立てた段階では全く問題なく回れる予定だったらしいのだが……まぁ、何がその原因かは、今更述べるまでもないだろう。
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