新学期が始まり、早一ヶ月が過ぎた。 この時期になると、仲良しこよし、いじめっ子にいじめられっ子、宿敵やらライバル、色恋のもつれにいちゃいちゃバカップルなど、様々な人間関係が展開されるようになる。 それは、学園高等部の生徒が修羅場を経験する人間であろうが一般大衆と変わりはしない。 そんなわけで、ここにも一つ、仲良しグループが、やや長めの中休みを使っておしゃべりに興じていた。 「そーいや、正器はもう部活決めたのか?」 窓に寄っかかりながら、山路 進司(やまじ しんじ)は、唐突にそんな事を尋ねた。 「部活?」 眼鏡をかけたやや目つきの悪い庫裡 正器(くり まさき)は、やや目線を上げて問い返した。 「ああ」と進司は軽く頷く。 「ほら、先輩達が放課後になると騒いでんじゃん? 争奪戦がどーのこーのって。それになんだっけか……えーっと、林さんだったか? あの人が、早めに決めておかないとあっちこっちから引っ張りだこでとんでもないことになるって言ってたぜ」 「そういうお前は決めたのか?」 「ん? ああ、まぁ大体はな。文武両道を掲げてる部活がいくつかあるからな。そこら辺のでかめの所に入るつもりだ。やっぱ、でかくないと日々高みは目指せないからな」 「高み……ねぇ。なんか毎日鍛錬とかしてるみたいだが……趣味か?」 目をきらつかせ、軽く拳を握る進司に、正器は尋ねた。 「趣味なんかじゃねーよ。生き甲斐だ」 「…………そうか」 一点の曇りもなく言われ、正器はやや戸惑いかちに頷く。 「で、お前は?」 「俺は……まだ決めてないな。まぁ、どっか魔法系の部活にするとは思うが」 「お前くらいだったら、魔法研究部とか行っても大丈夫なんじゃねーか?」 「あそこか。まぁ、悪くはないが……あれだけ化け物が揃ってるとな。正直、行きたくなくなるよ」 ひょいっと肩をすくめてみせる正器。 だが、実際を言えば、完全に自分を棚上げしてしまっている。 確かに、出力的な面で言えばまだまだ届かない部分は大きいが、正器はその制御力に関してはすでに学年トップクラス……いや、数段先を行く、文句無しのトップ生徒だ。 制御だけで言うなら、もはや二年生と並んでも遜色無いと言える。 恐らく、周りから言えばまだまだ伸びる可能性を秘めた上で現在のポテンシャルを誇る正器こそが、化け物だろう。 「でも、他の所に行っても、正器君にとってのメリットは少ないんじゃないかしら?」 と、二人の会話に割り込んできた女子がいた。 「あ、紗夜香ちゃん。おはよう」 「おはよう、進司君」 顔見知り……というか仲の良い知り合い達を認め、進司は軽く手を挙げて笑顔を見せた。 「ぴー」 と、紗夜香のキャスケットの上にいたネイン・フェレットの緑玉(りょくぎょく)が、抗議の声を上げた。 「ああ、ごめんごめん。翠と緑も、おはよう」 恐らく無視されたと思ったのだろうということに思い至り、進司は苦笑しながら挨拶をした。 「ぴー」 機嫌良さそうに答える緑玉と、ぺこりと頭を下げるソイック・ウルフの翠泉(すいせん)。 端から見ると、なんとも珍妙な光景だ。 「ところで、メリットが少ないってのはどういうことだ?」 「進司君の言葉じゃないけど、やっぱり大きいのにはそれなりに訳があるってことかしら。『上』に行きたいかのどうかは分からないけど……登るよりも、落ちる方が楽よ」 「ふーむ、なるほどな」 ほんの刹那考え込むような素振りを見せてから、正器は意を得たように頷いた。 紗夜香は、要するに「今は上を目指してみたら? 上に行くのは時間がかかるけど、落ちるのには時間がかからないんだから」と言っているのだ。 紗夜香は、明確な発言を避ける傾向がある。 曖昧な表現を使って相手に考えさせ、相手なりの答えを見つけさせようとするのだ。 しかも、相手が持っている情報などを考慮し、くどくどと説明をしないため、説明そのものが簡潔だ。 知り合った当初はもどかしすら感じた正器だが、慣れてみるとこのコミュニケーションは案外心地良い。 相手の押しつけではなく、相手の意見を自分なりに受け止められるのだ。 やや聞き専の感がある紗夜香だが、その実、的確な意見を適所で表すことができる。 人見知りが強いために、ともすればだんまりを決め込んでいるような感じも受けるには受けるが、それは思慮の現れであり、遠慮の意志である。 「紗夜香ちゃんは決めたの? 部活」 「私は別に目標とか無いから、帰宅部希望」 学園として部活に力は入れているが、部活動は強制ではない。入らなくてもなんら問題ないのだ。 しかし、学園が定める部の設立条件として、「魔法をしっかりと操れるようになる要素が含まれる」もしくは「ミッションに何らかの形で有効と判断される」というのがあり、部活に入っているのと入っていないのとでは、基本的に実力に差が出てくる。 そのため、学園の生徒の9割は自主的に部活に所属している。 そして、入っていない1割の内の約4割は、なんらかの形で三年間の内に学園を辞している。 部活とは、学園においてそれだけウェイトの重いものなのだ。 それに入らない紗夜香はかなり異例と言える。 「そっかぁ。ま、紗夜香ちゃんなら大丈夫かな」 だが、そんな異例を見ても進司は驚かなかった。 紗夜香は中等部時代も無所属で通していたし、きちんと高等部にまで上がってきている。 高等部からは別次元になるともっぱらの噂とは言え、心配はしていなかった。 紗夜香は危険察知の術には長けているし、身の振り方も上手いのだ。 また、付き合いは浅いとは言え、実力を直感的に感じている正器も、多少の驚きしかなかったため、特に何も言わなかった。 「ま〜さ〜き〜」 ふと会話が途切れた瞬間。 いやに間延び……というか、伸ばされた声で呼ばれた。 「ん?」 くいっと顔を向ける正器。 「おっはよー!」 そんな陽気な声と共に視界に入ってきた白い物体。 「うおっ!?」 本能的な危険を感じ、正器は神懸かり的な反射神経でもって体ごとその物体をやり過ごした。 白い物体は、なんとハリセンだった。 とくれば、そんなことをやらかす大バカ者は一人しかいない。 正器は一つ溜息をつき、倉品 ほたる(くらしな ほたる)に呆れ混じりに言った。 「そうそう何度も当たっては……」 「第二打!」 そんな正器の声を遮って、ほたるは叫んだ。 「えいっ!」 「ぶはっ!」 気合いが入ってるんだか入ってないんだか分からない可愛いかけ声と共に、正器の鼻ッ面に白い物体がぶち当たり、正器は悲鳴を上げながら仰け反った。 「ほーっほっほ。引っかかった引っかかった。あたしがそうそう何度も同じ手で行くわけないやろ? ボケには連携っちゅーウルテクがあるんや。少しは勉強になったかな? ま・さ・き・くん♪」 手の甲を反対の頬に当てる、いわゆるお嬢様笑いというヤツをかましながら、ほたるは胸を反らして無意味に勝ち誇る。 「えへへ、ごめんね、お兄ちゃん」 可愛くハリセンを持ちながら、これまた可愛い照れ笑いで謝罪する双子の片割れこと庫裡 春菜(くり はるな)。 (……あ、引きつってる) 傍観者であるところの紗夜香は、正器のこめかみが引きつっているのを見逃さなかった。 とは言え、それを指摘するつもりは毛頭なかった。 この後の展開を楽しむためには傍観者でいるのが一番だと、経験上悟っているのだ。 「春菜……こりゃぁ、どういうことだ?」 ハリセンの形に顔を赤くした正器は、それでも努めて冷静に春菜へ問うた。 兄、それも双子では、色仕掛け……もとい、可愛い攻撃はさすがに通じないようだ。 「えーっとぉ……あはは」 必死に言い訳を考える春菜だが、兄の目に灯る怒りの色に、冷や汗を流しながら誤魔化し笑いをするしかできなくなってしまった。 「ほれ、春菜ちゃん、こういう時はびしっと言わな駄目やで」 事の大元凶であるほたるは、脇でそんな脳天気な応援をしている。 「な、なんでほたる傍観きめこんでるのよ! 元はと言えば『正器からかうの、手伝ってくれへん? 学食で定食一つおごるで』とか言ったからでしょ!?」 「ふふん。危険手当を含んでるに決まってるやろ? つーわけで、きばって正器の怒りを静めてや♪」 「うわっ、それって絶対割に合わないわよ! 断固報酬の値上げを要求するわ!」 既に怒れる正器のことなど何処へやら。 依頼人と雇われ者という妙な構図で報酬の交渉――と言っていいかは多分に疑問の余地があるが――を始めるほたると春菜。 「…………まぁ、そういう内輪な話は後でいくらでもできるよな」 ぎゃーすかぎゃーすか喚く春菜の肩にぽんと優しく手を置き、酷く冷めた口調で言う正器。 「さしあたっての問題としては、この俺の怒りをどこにやるか、ということだと思うんだが……どうだ?」 「え……っと……ぉ……寛大なる年長者の心でもって、記憶の彼方へと水に流すという方向性で…………って、できたら苦労しないよね、あはは」 段々とすごみを増していく正器の視線に、春菜の頬の引きつりが酷くなっていく。 「まーまー正器。実の妹にそないに目くじらたてんでもええやろ。寂しかった妹が、ちょっとお茶目なジョークでお兄ちゃんとコミュニケーションを図っただけなんやからさ」 いい加減見かねたらしいほたるが、そう言って仲裁を始めた。 まるで慈母のような笑顔と口調で抑えにかかっている。 「ふふふ、それもそうだな……ほたる、たまには良いこと言うじゃないか」 「そうやろそうやろ? やっぱり兄妹は仲良うせんとな」 我が意を得た正器の返答に、満足げに頷くほたる。 と、そんなほたるの首に、正器は神速で腕を巻き付けた。 「なっ!?」 そして、ほたるが驚きに身を固めている隙に小脇に無理矢理抱え込み、反対の手――しかも、中指を立てた状態――でほたるのこめかみをぐりぐりと圧迫し始めた。 俗に言う、うめぼしというやつである。 「ほんと、目から鱗が落ちるくらい感激したよ」 「あ〜痛い痛い痛い痛い〜〜!」 顔は笑顔ながらもその力は万力のように強い。 そんなぐりぐり攻撃に、さしものほたるも手足をばたつかせて苦悶を訴えている。 だが、正器はそれに構わず、まるでお礼とばかりに手首の回転を速める。 「あーあーあーあー!」 もはや言葉を口走ることもできず、ひたすらに苦悶の声を垂れ流すほたる。 その手は必死に正器の腕を引き離そうとしているのだが、正器のさして腕力のありそうもない腕を引き離すこともできない。 冷静沈着っぽい性格だと理解していた周囲の人間は、その変わり様に唖然とするしかない。 そしてきっかり三十秒後。 正器は唐突にほたるを解放した。ほたるは、くたりと廊下に崩れ落ちる。 「あーうー痛いー。頭痛が激痛するぅ……」 既に文法すら危うい程思考能力が落ち込んでいるらしい。 「これくらいで勘弁してやる」 そんなほたるを見下ろしながら、それだけやれば十分だろうとツッコミを入れたくなるような台詞を正器はのたまった。 「で、春菜。覚悟はできたか?」 「ぎくっ……」 がしっと襟首を掴まれ、春菜は体を強ばらせた。 思わず呆けていて逃げ出すのを今の今まで忘れており、今まさに逃げ出そうと背を向けたところだった。 (あーん、わたしのばかばかばかばかばかばかぁっ!) 心の中で自分の迂闊さを思いっきり罵倒する春菜だが、当然ながら、もはや後の祭り。アフターフェスティバルだ。そんなことで先に待つ未来が変わるはずもない。 「え、えーっと、わたしとしては、平和こそが人類共通の願いであり、また永遠のテーマだと思うのよね。だ、だから、ここは平和的手段でもって相互理解を深めて歩み寄る必要があると思うのよ、うん」 決して振り返ったりせず、春菜は襟首を掴まれた状態のまま彼方を見据えながらそう諭す。 だが、兄からの返答はない。そして、無言の圧力だけが強くなっていく。 「えーっとぉ………………えいっ!」 きょろきょろと目をせわしなく動かしていた春菜。 突如、気の抜けた気合いの声を上げて、腕を振り上げた。 「ぬっ……」 その人間離れした速さに、正器の手が離れてしまう。 《ナチュラル・フルエンハンス》――春菜の特待生の認定元である小笠原 源五郎左右衛門(おがさわら げんごろうざえもん)という時代錯誤甚だしい名前の教授が命名したこの体質の解放状態、春菜はこれを使って正器の拘束から逃れたのだ。 そして、その解放状態のまま、春菜は呆然としている進司の背後に回り込んだ。 「え? え?」 事態に付いていけず、疑問符を辺り一面にまき散らす進司。 「進司君、助けてぇ。お兄ちゃんに襲われるよー」 「ほー、良い度胸だな、春菜。この兄を強姦魔扱いか。覚悟は完璧ってことか?」 正器は、薄ら笑いを浮かべながらそう問う。 しかし、そのこめかみがぴくついてるのは、誰の目にも明らかだった。 「おい、進司。その小娘をとっととこっちに引き渡せ。巻き込まれたくなかったな」 「え、えーっと……」 前門の怒れる正器。後門の助け求める春菜。 友情か、男としての意地か。 究極の選択(?)を迫られる進司。 (…………一体どうしろと!?) 本気で泣きが入りそうな絶叫を胸中で上げる進司だった。 「ねぇ、その馬鹿丸出しの乱痴気騒ぎ、一体いつまで続ける気?」 いい加減焦れた紗夜香が、溜息混じりに口を挟んだ。 一瞬、ぴしりと空気が固まった。 「……紗夜香ちゃん、ひょっとして、俺もその中に入ってる?」 「当事者じゃない」 進司は、否定を暗に滲ませながら躊躇いがちに問うたが、紗夜香はにべもなくさらりとその言葉を棄却した。 「騒ぐなとは言わないけど、子供じゃないんだから、もう少し加減を考えた方が良いと思うけど?」 なんで高校生にこんなこと言わないといけないのよ――紗夜香の呆れたような細目には、確かにそんな言葉が映っていた。 「うわっ、紗夜香ってば一人無関係装ってるし!?」 相変わらず進司の背中に隠れながら、春菜が無理矢理紗夜香を渦中に巻き込もうと画策する。 「本当に無関係だったら、さっさとこの場から消えてるわよ」 しかし、紗夜香はその程度の策など、さらりとかわしてみせた。 「うー言うようになったじゃない」 人見知りで完全に引っ込み思案だった頃を知っているだけに、紗夜香に平然と返され、春菜は悔しげに呻いた。 きーんこーんかんこーん と、廊下におなじみの音が響いた。 「あ、チャイムだ。おい、正器、やべぇ、遅刻だぞ!?」 チャイムを聞き、これ幸いと進司は正器に呼びかけ、同時に正器に近づいてその腕を取る。 「ほら、さっさと更衣室行くぞ」 そして、正器の返事もまともに聞かずにずるずると引っ張っていく。 「あ……」 「残念やったな、もう少しで答えがもらえたのに」 一瞬呆けた春菜に、いつの間にか復活していたほたるがそんなことを言ってきた。 「うー、紗夜香が邪魔しなければぁ……」 「知らないわよ、そんなの」 恨めしげな春菜の言葉をぴしゃりと跳ね返す紗夜香。 ほたるは、「ちっちっち」と指を振る。 「駄目やで、紗夜香。人の恋路を邪魔するヤツはなんとやら。もう少し楽し……もとい、協力してあげな」 「ほーたーるー? そういうこと言っていいの? ま、わたしは良いんだけど? 最大にして最強の情報源を失っても困るのはほたるだし?」 珍しくほたるの嫌みに余裕の笑みで返す春菜。 そしてこれまた珍しいことに、ほたるが「うっ」とダメージを受けた。 「……ふーん、そういうことなんだ」 大体の事情を把握した紗夜香は、本気で感心したように言った。 「あ、いや、それは誤解よ、紗夜香。別に正器とはそういうことじゃなくて……」 ほたるはおたおたしながらしどろもどろに反論する。 普段の脳天気さも無くなり、おまけに言葉まで変わってしまっている。 「へー、相手は正器君か。ふーん」 素っ気ない感じだが、その実、驚きを隠せない紗夜香。 恋路のことだろうとは推測できたものの、まさか相手が正器だとは思いもよらなかったのだ。 ……まぁ、それよりもほたるに純な乙女みたいな反応を返されたことの方が驚きかもしれないが。 「まぁ、別に相手が誰でも、私は邪魔するつもりはないから平気よ。協力するかは分からないけどね。さ、早く教室入ろ。春菜ちゃんも、早く戻らないと遅刻になるよ?」 そう言って、さっさと教室に戻っていく紗夜香。 「さ、さすがはあたしの親友やな」 強くたくましく変わり果てた親友の性格の一部を垣間見たほたる。 その呟きには、感慨と恐ろしさとが混ざりに混ざってマーブリング状態だった。 「うっわ、ほんとにお祭り騒ぎね、争奪戦って……」 校門の一歩手前で、春菜は思わず呆れ混じりに呟いてしまった。 敷地の中では、文化祭かと見紛う程の大騒ぎが朝っぱらにも関わらずテンション全開で展開されていたのだ。そりゃ、驚きもするだろう。 学園高等部で毎年五月に開催される行事、部活動オリエンテーション。通称、争奪戦だ。 この行事は、単純に言えば全部活・同好会合同の新入生勧誘会である。 部や同好会等の増加と背後で起きるトラブルの増加に業を煮やした学園側がこの行事を発案し、専門の機関を発足させた上で、出来る限り表面上のトラブルのみで済まそうと画策した結果生まれた行事なのである。 (……まぁ、指定部昇格は叶わないでも、条件良い方がいいのは分かるけど……) ツテのツテで、未所属ながら裏の事情を知っている紗夜香は、心の中で溜息をついた。 話には聞いていたが、まさかここまで大げさとは思っていなかったのだ。 (林さんがあそこまでぐったりしてピリピリしてるはずよね) 公認団体管理運営委員会所属臨時治安維持員――通称、治安維持員――という、警備員のような役職に就かされてしまっている林 和広(はやし かずひろ)の姿を思い出し、紗夜香は妙に納得した。 よくよく耳を澄ませば、勧誘の声に混じって怒号や悲鳴も聞こえてくる。 そして、あちらこちらでひっきりなしに魔法が放たれ、武器がぶつかりあっている。 注意して見ないと、どれがパフォーマンスでどれが争いか分からず酷い目に遭いそうだ。 「ねぇ、ほたる、春菜ちゃん。なんで私まで行かないとならないの……?」 人混みが苦手で部活に入るつもりのない紗夜香は、今日は一日家で読書をしたり翠と緑と遊ぼうと思っていたのだ。 それを、部屋に押し掛けてきた春菜とほたるに無理矢理連れ出されてしまったのだ。 「なぁに言うとんのや。親友三人、仲良う見て回るのは当然やろ?」 紗夜香の非難がましい言葉も何処吹く風。ほたるは言葉通り当然という態度で言う。 「わたしも親友かっていうのは微妙な所だけど、とりあえずほたるの言葉に賛成」 「やっぱり納得いかない……」 全く理論になっていないのだから、そりゃ納得もできないだろう。 「ほな、いこか〜」 「しゅっぱーつ!」 しかし、春菜とほたるはそんな紗夜香に構わず、両脇を固めてずるずると引きずっていく。 そして、門を一歩入った瞬間、獲物を見つけた如き上級生に取り囲まれた。 「ねぇ、剣道部なんだけど、剣舞見ていかない?」 「あ、ひょっとして持ち上がりかな? そうだよね? あーやっぱり。体の造りが違うと思ったんだ。ねぇ、体操部なんてどう? 君たちなら、ちょっとやっただけでスター間違いなしだよ!」 「何事にも必要なのは、やっぱり知識よ! というわけで、知識の宝庫、文芸部に是非!」 エトセトラエトセトラ……。 わっと三人を囲む上級生のその数、約15人。 そして、同じ様なタイミングで入ってきた新入生も、同じ様な感じで取り囲まれている。 一体どれだけの数がここで待機しているのかと上空から数えてみたくなってしまうほどだ。 「えーっと、あのぉ……」 「いや、あたしらは……」 「…………」 さすがのおちゃらけ三人組も、上級生のこのバイタリティーに心構えもなく囲まれてしまえば、やはり一年生だった。もはやおたおたする以外にない。 「空の理をもって風を紡ぐ 集いて吹き荒れよ 『ブラストウィンド』!」 と、突如そんな早口が聞こえたかと思うと、突風が起こった。 「きゃぁっ!?」 「わぷっ」 「っ!」 目とスカートを反射的に押さえる三人。やはりこんな三人でも女の子である。 「いい加減にしろよ、お前ら。一体何度注意すれば分かるんだ。次やったら、マジで停止処分かけるぞ」 「うわっ、林!?」 「げっ……」 「あ、あ、あ」 声の主の正体に気付いた上級生が、千差万別におたおたとし始めた。 「新入生からの要望がない限り、その身を拘束しての説明活動は一切禁止――説明するの、これでもう四度目だよな?」 ぎろりと睨み付ける和広。 乾いた笑いやら気まずそうな表情やらを浮かべて、上級生は散り散りに消えていった。 そして、その和広自身もとっとと消えてしまった。 「はぁ、ほんまに林さん、外で仕事してるんやなぁ」 どうにもインドア派の印象が拭えないほたるは、そんな無礼な台詞を放った。 「あ、進司君!」 突如、春菜が黄色い声を上げた。 そして、二人が確認する間もなく、走っていってしまう。 「あ、春菜、待ちぃや!」 「一直線ね」 声を張り上げるほたると、冷静に分析する紗夜香。 そして二人は推し量ったように同じタイミングで走り始めた。 「あ、春菜ちゃん。おはよう」 突如かけられた声に驚くこともなく、進司は百点スマイルで挨拶をかけた。 爽やか・健全という表現しか思いつかない、男子生徒諸君から見れば、それはそれは嫌みったらしい笑顔だ。 しかし、それを素でもってやっているのだから、これで意識されたらとんでもないことになりそうだ。 「うーむ。相変わらず嫌みな笑顔やな。あれで朴念仁の唐変木なんやから、手に負えんわな」 「へー。実感こもってるわね」 「そりゃ、幼なじみやからな。昔からあたしはこんな感じやし、ホントに付き合ってくれるのは進司しからおらんかったから……まぁ、そりゃ、そういうこともあったもんや」 「ふーん。憧れに近いやつ? で、今は別のってわけか」 「紗夜香……とりあえずそれ以上言ったら、覚悟しときぃや?」 「や、私そんなに命知らずじゃないから」 そんな会話を、追いついた二人はわざわざ進司と春菜の側でしゃがみ込んでしている。 もちろん、内緒話に見せかけているだけで、声量はほとんど変わっていない。 「……ちょっとそこの二人。別に割り込んでくるなとは言わないから、わざわざしゃがみ込んでこれみよがしに会話しないでくれる?」 「や、後ろ足は遠慮したいし」 「や、傍観の方が面白いし」 紗夜香とほたるは、口を揃えてそう返した。 まったくもって呼吸は阿吽である。 「? なんのこと?」 そして、全く訳の分からない人間が約一名。 「ところで……お前らの間では、今は無視が流行ってるのか?」 不機嫌丸出しの声が一つ、間に割り込んできた。 「あ、いたんだ。正器君、おはよう」 「あ、ごめん。見えてなかった」 「や、はぶってただけだから」 どうやら、約一名を除いて無視するつもりはなかったらしい。 そう思い至った正器。 すっと懐に手を差し入れた。 そして、ひゅん、と腕を振り抜く。 「あたっ!」 すこん、と額に何かがぶつかり、ほたるは仰け反った。 「勢いとものまねに任せて誤魔化そうとしたんだろうが、そうは問屋が卸さないぞ、ほたる」 「つーったいなぁ。ちょっとしたお茶目やん」 額をさすりながら口を尖らせるほたる。 「へー。ほたるって、そんな表情もできるんだ。知らなかったな、結構可愛いじゃん」 「なぁに寝ぼけてるんや、進司。あたしは昔っから可愛いで? つーか、訳もなく褒めるその癖、いい加減直しぃや」 ぽこん、とハリセンで頭を軽く叩くほたる。顔には満面に呆れが広がっている。 「なんで。別にいいじゃん、褒められて悪い気のする人間なんていないだろ?」 きょとんと言い返す進司。 再びほたるは溜息をつく。 「エゴなのか優しさなのか……判断に困る所やな」 そして、ぼそりと口の中だけで呟いた。 「ま、ええわ。いい加減こんなところでくっちゃべっててもしょうがないし、とっとと回ろか。つーわけで、正器、付きおうてな」 がしっと正器の腕を抱え込み、そのままずるずると引っ張っていくほたる。 その背中を見送りながら、進司は「へー」と意外そうな声を漏らした。 「あのほたるが……ふーん。しかも相手が……へー」 しきりに感心しっぱなしの進司。 どうやら、本気の本気で意外らしい。 (…………なんで他人の機微にはこんなに敏感なのに、自分のこととなると寒冷植物並に鈍いんだろ? それとも、幼なじみだからなのかな?) うーむ、と唸る春菜。 しかし、数秒後。 「ま、いっか。ね、進司君。一緒に回ろうよ」 「え? でも、春菜ちゃんは武道系の部活は入らないんじゃ……」 「ま、細かいことは言いっこなし! 行こっ!」 満面の笑顔を浮かべながら、春菜は進司の手を引っ張る。 「わ、分かったからそんなに引っ張らないでってば」 そして、困惑しながらもそれについていく進司。 「…………あーうん、言わなくても分かってるから」 一人残された紗夜香は、緑玉からの言葉に脱力しながら応えた。 「そうなのよね。楽しいのはいいんだけど、黙ってると忘れられちゃうのよね」 ふぅ、と嘆息だけではない溜息をつく紗夜香。 「恋……かぁ。大変よね」 紗夜香は空を仰ぎ見ながら、一言で簡潔にまとめた。 「なんかこのまま帰るのも虚しいし……どうせだから見て行こうか」 翠泉と緑玉にそう声をかけ、紗夜香は雑踏の中へと歩き出した。 気もなくぶらぶらと歩く紗夜香だったが、さすがに散歩と同じようにというわけにはいかない。 なにせ、この騒ぎは人を集めるのが目的なのである。 あっちこっちでパフォーマンスをやっていたり、勧誘に声をかけられたり、ナンパな輩が無謀にもアタックをかけてきたりと、やはりというかなんというか落ち着いて歩き回れる状況ではない。 「あーあ、やっぱり帰ろうかな……」 ぼそりと呟く。正直、息苦しくてたまらないのだ。 気まぐれなんて起こしてみるものじゃないわね――そんなことを内心で付け加えながら、ふぅと一つ溜息をついた。 と、そんな紗夜香の目の前を何かが高速で横切っていった。 「…………へ?」 完全な不意打ち当然の意味不明な出来事。 ぽかんとしながらも、事態を確認しようとほたるの視線は何かが飛んでいった方向へと向かう。 そして、その何かを視界に収めた瞬間、 「嘘でしょ!?」 悲痛な声を上げながら駆け寄った。 「ちょっ、しっかりして! 大丈夫!?」 ぐったりと地面に伏しているのは、大型犬くらいの大きさの動物――いや、その頭が三つある時点で、それは魔物と称されるべき生物だった。 「何? どうしたの?」 ぐったりと絶え絶えの息をしている三頭の魔物――ケルベロスを見ても紗夜香は臆さない。 それどころか、積極的に近づき、その介抱をしようとしている。 「おいおい、新入生。何やってんだよ」 そんな紗夜香に近づいて声をかけてきた男がいた。 屈強な、いかにも体育会系と言わんばかりの体格を持つ男……男子生徒だ。 何かのパフォーマンス中なのか制服を着ていないため、学年は判別できない。しかし、台詞からして一年生ということはないだろう。 「あなたが……やったんですか?」 睨み付けるように視線を上げる紗夜香。 男が声を発した瞬間、ケルベロスがわずかに体を硬直させた。紗夜香はそれが恐怖の現れだと、はっきりと認識した。故に、この男は敵だった。 「あ? それがどうした?」 わなわなと体を小刻みに振るわせている紗夜香。 男は、そんな紗夜香を見て不審げに尋ね返した。 「一体どういうつもりですか!? こんなボロボロになるまで!」 「パフォーマンスだ。うちの力を示すには、実際に戦ってみせるのが一番だからな」 ぱしん、と拳を手の平に打ち付ける男。 「それに、たかが魔物だろう」 ふん、と男は鼻で笑う。 紗夜香は、その言葉に目を見開いた。 (ふ、ふざけないでよ……!) 紗夜香にとって、魔物は人間とほとんど変わらない存在だ。 いや、人間のように表裏の無い分、人間以上に付き合いやすい存在と言えるかもしれない。 そして、魔物であろうと人間だろうと、その命は等価であるって然るべきだ。 そう思っているだけに、この仕打ちは許せるものではなかった。 ゆらり――紗夜香は、顔を伏せながら、ゆっくりと立ち上がった。 次の瞬間、紗夜香を中心に、風が吹き荒れた。 「なっ!?」 男が、事態を見守っていた観衆が、ほぼ一斉に呻き声を上げた。 見る者には分かっただろう。それが、『ブラストウィンド』であることが。 だが、紗夜香は全く詠唱を行っていない。ただ立ち上がっただけだ。 それなのに、魔法が発動している。 「く……やる気か、お前」 男は咄嗟に構えを取り、威圧をかける。 だが、紗夜香は全く動じた素振りを見せず、顔を上げた。 その目には、確かな怒りがあった。 爆発するような怒りではなく、むしろ静かにくすぶるような怒りが。 「くっ……」 その眼光に、男は不覚にもたじろいでしまった。 相手は一年。しかも、まだ入学したてだ。 だが、ただ感情をぶちまけるような子供でもない。そのことを男は察してしまったのだ。 「『エアリエルエッジ』!」 紗夜香が、その口から短縮詠唱を発した。 次の瞬間、紗夜香の周囲を取り巻いていた風が数個に収束し、男めがけて飛翔した。 「くっ!?」 男は、勘を信じて体を捻りながら、咄嗟に体の急所を庇う。 刃の一個が男の肉を斬り裂き、少量の血が舞った。 「貴様……後悔しても遅いぞ」 そう言うなり、男は紗夜香目がけて突進する。 「はぁっ!」 一瞬で距離を詰めた男は、裂帛の気合いを上げながら拳を繰り出した。 「なに……!?」 だが、男の拳は、空中で停止していた。 風の壁──いや、一点に風が集中していることを考えると、風の渦といった方がいいかもしれない──に遮られ、男の拳は前進できない。 そこへ、突如男の足下から、石礫が浮き上がってきた。 「ぐあっ……!」 もろに食らい、衝撃で吹き飛ぶ男。 無様に地面に叩きつけられる、などということはなく、咄嗟に受け身を取り、素早く起きあがる。 だが、動きとは裏腹に、その表情には、驚愕が広がっていた。 「な、なんなんだ……!?」 紗夜香の得体の知れない力に、男にじわじわと恐怖が広がっていく。 一年が無詠唱で魔法を操り、同時に二つの魔法を繰り出した。 その、到底常識の範囲内に収まらない現象が、紗夜香を未知の存在へと変えたのだ。 「おい! 何を騒いでる!」 紗夜香が更なる攻撃を加えようと一歩踏み出した瞬間、人垣をかき分けて乱入してくる声があった。 学園指定の制服を着た男子生徒だ。その左腕には、治安維持員を示す腕章が付けられている。 騒ぎを聞きつけたのか誰かが通報したのかは分からないが、起こっている騒ぎを止めにきたのだ。 「佐々か。この女が因縁ふっかけてきたんだよ」 ちっ、と一つ舌打ちして、男は弁解した。 「生命の理を以て 血肉を紡ぐ 傷塞ぎその身を修復せよ『ヒール・ウーンズ』」 紗夜香は、男が戦意を無くしたと知った瞬間、さっさとケルベロスの治療に移っていた。 その原因には全く目もくれない。 「ほー、見事な手並みだな」 治安維持員の男子生徒は、紗夜香の治療を見て感嘆の声を漏らした。 みるみる内に、ケルベロスの傷が塞がっていくのだ。 「で、どういうことか説明してもらえるかな? 新入生さん?」 治療が終わったところで、治安維持員の男子生徒は紗夜香にそう声をかけた。 だが、紗夜香は、ちらりと視線を投げかけるだけだ。 「ふーむ、睨まれても困るんだがな……」 ぽりぽりと頭の後ろをかいて困惑顔を見せる治安維持員。 ……紗夜香は睨んでいるわけではなく、やや怯んでいるだけなのだが。 「紗夜香ぁっ!」 怒鳴り声と共によぎる影。 スパカーン! その直後、大きく乾いた音が周囲に響いた。 「何騒ぎ起こしてんねん! ったく、人にいっつも騒ぎ起こすなとかゆーとって、自分はちゃっかりかいな」 そんな紗夜香に助け船(?)を出したのは、先ほど別れたはずのほたるだった。 近くに正器がいないのは、果たしてはぐれたからか逃げられたからか。 紗夜香は、いつものごとくハリセンで叩かれた頭頂部を抑えながら、弁解した。 「ほたる。それ誤解」 「誤解って何を……」 ほたるが言い切る前に、紗夜香は未だ倒れているケルベロスを指さした。 傷は塞がっているが、体力がかなりすり減っているのか、ぐったりと動かない。 つられてそちらを見るほたる。そして、二秒の沈黙の後、盛大なため息を付いた。 「あーそういうことかい。ったく、やっぱり人のこと言えんやろが」 「かわいそうでしょ?」 「せやけどなぁ……。あーもうええわ。ほら、行くで」 「うん」 紗夜香は、促すほたるに頷いてケルベロスを、横にいる翠泉の体に乗せた。 「翠、ごめん。よろしくね」 そう言って、紗夜香達はとっとと立ち去ろうとする。 「……あ。お、おい、ちょっと待てって!」 訳も分からず事態をぽけーっと見ていた治安維持員は、唐突に自らの役目を思い出し、声を張り上げた。 「あん何やねん?」 ぐるりと首だけを向け、ほたるは意外に端正な顔をしかめてみせる。 「何やねんって言われてもな。こっちが事情を聞こうとしているのに、勝手に立ち去られちゃ困るんだって」 「なんで?」 「なんでって……だから、事情を聞くからって……」 「あーったく、だからなんてあんたが事情を聞かなあかんのかってあたしは聞いてるんよ」 呆れ顔で返すほたる。 なぜ呆れられなければならないのかと困惑の思いを抱きながらも、治安維持員は懸命に諭そうと努力を続ける。 「いや、だから、治安維持員として騒ぎの……」 「未遂ちゃうんか?」 「いや、そうだけど……」 「だったらええやん。どっちだってほぼ無傷やろ? それなのにぐちぐちと口挟んで。治安維持員って立場をひけらかすんやったら、未遂で終わった些末事をほじくり返すより先にやることがあるんやないんか? どや? イエス? ノー?」 「え、あ……」 一気にまくし立てられ、おまけにハリセンを突きつけられてあたふたとする治安維持員。 それを見て、ほたるは更に言葉を連ねる。 「答えられないってことは、ノーも同義やな。ってことは、あたしが連れていっても問題ないわな。ってことで、さよなら」 そう言って、止まっていた足の動きを再開する。 そんな二人を止めるすべなど、治安維持員は当然ながら持ち合わせていなかった。 その数日後。 この件でスカウトされた紗夜香が魔法医療研究部に入部したことを知ったほたる・春菜・進司・正器が驚きの声を上げたのだった。 |