学園には、いくつか伝説……というか、言い伝えのようなものが存在する。よくある学園七不思議などもあれば、恋愛成就のジンクスもある。

だが、そんな目に見えない――少なくとも、常人には見えない――ものではない言い伝えも、この学園には存在している。

その中の一つに、学園の行事では絶対に天候が崩れない、というものがある。

過去の歴史を紐解いても、学園が行う行事が中止になるほど天候が悪くなったという記録はない。悪くても小雨レベルまでで、それだって数時間も経たずに止んでいる。

偶然か、それとも何らかの要因が働いている必然なのかは今のところ誰にも分からない……というか、だぁれも気にしていなかったりするが、とにかく学園では誰がなんと言おうと、行事が天候で中止になる心配はいらないのだ。

誰しもがそれを歓迎しているとは限らないが、しかし、少なくとも入学式で晴れるのを歓迎しない人間はおるまい。

そんなわけで、学園自慢の桜並木は堂々とその花弁を咲き誇らせ、まるで抱擁するかのように新入生を迎え入れている。

「ここが高等部かぁ……」

七海 紗夜香(ななみ さやか)は、穏やかに吹く風に揺れる前髪を押さえながら、桜の向こうに霞むマジック・ノア総合技術学園高等部の校舎を見上げた。

普通であれば、その視線は感慨の色を宿しているだろう。なにせ、学園高等部と言えばあらゆる意味で高名な学府だ。ここに入るということは、超一流であることの証明でもある。また、無事に卒業できれば、その後はエリート一直線とも言われるほどに評価が高い。

だが、一年を示すエンブレムを胸に縫いつけられた指定の制服に身を包む紗夜香の目に、感慨の色はなかった。むしろ、どこか疲れたような、辟易したような、枯れたような印象がある。

「え? ううん。別に嬉しくないわけじゃないわよ?」

ふと、紗夜香はそんな言葉を発した。

だが、誰も声を発してない。雑踏の中にいるので雑音はところかしこにあるが、紗夜香の周囲には誰もいないのだ。

……そう、不自然なくらいに誰もいない。まるで、紗夜香を避けているような……。

「ありがと。でも、二人にも私は無理させたくないのよ」

そう言って、紗夜香は腰の辺りにいるものに手を伸ばした。

「くーん」

そして、撫でられたものが、嬉しそうに甘えた声を出した。

「あーいたいた! おーい、紗夜香ぁ〜!!」

雑踏の向こうから、紗夜香を呼ぶ声がする。紗夜香は、ゆっくりとそちらを向き、目を凝らした。

「あ……」

雑踏をかき分けてくる一団の先頭が見知った人物であることを知った紗夜香が、小さく声を漏らした。

「美佳姉さん!」

嬉しそうに呼び返し、紗夜香は大きく手を振る。

そして、紗夜香も人並みをかき分けるようにして相手へと近づいていく。……というか、かき分ける必要もなく、モーゼが紅海を割ったように人垣が自然に割れていく。

別に、紗夜香が恐い訳ではない。むしろ、紗夜香は結構な器量の女子なので、もてはやされる事はあっても、避けられることは無いだろう。

背中の中程まである二股ポニーをなびかせて歩く姿は、異性の溜息を誘うくらい美しい。恐らく、プレイボーイと称される男共は、我先にと声をかけようとするだろう。紗夜香の前を、威嚇声を上げる白い狼が歩いてさえいなければ。

「久しぶり!」

全ての障害物を避けきり、お目当ての人物が直で目に入った紗夜香は、笑顔で鴻 美佳(おおとり みか)に抱きついた。……というより、抱き締めた。長身の紗夜香は、小柄な美佳を完全に包み込んでしまっている。

「あはは。久しぶり。無事に上がってこれたんだね」

だが、美佳はそんなことを気にした素振りもなく抱き返し、嬉しそうに言う。

「うん。ちょっと単位、危なかったんだけどね」

美佳を離しながら、紗夜香は照れ臭そうに告白した。

「そんなこと言って。どうせ翠(すい)と緑(りょく)に遠慮したんでしょ? 二人の力だって立派な紗夜香の力なのに。ねぇ?」

そう言って、美佳は紗夜香の横にいる狼と、紗夜香の頭のキャスケットを押し上げて顔を覗かせているフェレットに同意を求めた。

すると、二頭はその通りだと言わんばかりに頷いてみせた。

紗夜香に付き従う二頭の魔物。白狼の翠泉(すいせん)と超小型の白フェレット緑玉(りょくぎょく)だ。どちらも紗夜香にかつて命を救われた魔物で、それ以来、自らの意志で紗夜香の元にいる。

実を言えば、美佳が雑踏の中から紗夜香を見つけだせたのは、白狼の翠泉がいたからだったりする。

いくら長身の紗夜香と言えど、雑踏から抜きん出ているわけではないので、そうそう見つけようがない。しかし、翠泉がいるおかげで紗夜香の周りには円を描くような妙な空間が出来ており、そのせいで不自然に頭の浮きがあったのだ。

「ところで美佳姉さん。その人達、誰?」

ひとしきり再会を味わった紗夜香は、美佳の背後にいる三人を訝しげな目で見た。

少なくとも美佳の関係者であろう事くらいは想像がつくが、基本的に紗夜香はあまり人とのコミュニケーションが得意ではない。どうしても構えてしまう。

「あ、うん。えっと、こっちの三つ編みが、黒鞘 燐(くろさや りん)。あたしの親友。紗夜香にも話したことはあったでしょ?」

「え、あ、うん……」

燐が、ぺこりと会釈をしたので、つられるように会釈をしながら紗夜香は肯定した。

おっとりのんびりを絵に描いたような三つ編み、とくれば、イコール美佳の親友と自然に結びつくくらいには、紗夜香も美佳から聞かされていた。そして、目の前にいる燐は、まさしく美佳の話通りだった。

「初めまして〜」

燐が笑顔で言う。

本人は別にそういうつもりはないのだろうが、紗夜香にはどうしても「にこり」ではなく「にへら〜」という形容しか思い浮かばない。

失礼であることは重々承知している紗夜香だが、どれだけ修正しようとしてもその印象が拭えないので、とりあえず修正を諦めることにした。

(ま、いっか)

あまりと言えばあまりな感じもするが、燐の笑顔を見ていると何もかもが些末なことに思えてくるのだ。それも致し方ないことだろう。

「んでもって、これがその彼氏の林 和広(はやし かずひろ)」

美佳は、続けてその横にいる仏頂面の和広を無礼にも指さしで紹介した。

「人をこれ呼ばわりするな。人を指さすな」

ドきっぱりと咎める和広。仏頂面の上に、眉間に皺が寄っている。

「それで、こっちが……」

しかし、美佳はそれを完璧シカトぶっこいてさっさと次の紹介に移っていた。

ぴしり、と音がしそうなくらいくっきりと和広の額に青筋が浮かぶのを、紗夜香はしっかりと見た。初めて見た。

(……なんか嫌)

そりゃ、見ていて気持ちの良いものでもないだろう。胸中でぼそりと呟いた紗夜香は、すぐさま今見たことを意識の外に弾き、美佳へと意識を戻した。

「あたしの彼氏。十翔 薫(とのとび かおる)よ」

そう言って、薫の腕を絡め取る美佳。顔がだらしなく緩んでいる。

いい加減慣れたものなのか、薫は困ったような笑顔を浮かべている。

「ああ。その人が美佳姉さんのお」

ふと気付いたように口を滑らせた紗夜香。

瞬間、ぎろり、と音が具現しそうな程の強さで美佳が紗夜香を睨んだ。

思わず硬直してしまう紗夜香。見れば、翠泉はびくりと震え、緑玉はさっさと帽子の中へと隠れてしまった。

「何かぁ〜言った?」

にっこりと至上の笑みを浮かべながら、優し〜い猫なで声で尋ねてくる美佳。

(こ、殺される……)

紗夜香は、生まれて初めて背筋に冷たいものが滑り落ちるのを自覚した。

「な、なんでもない」

首を振ることもままならない硬直度合いの紗夜香は、なんとかそれだけの言葉を絞り出した。

「ところでぇ〜この子だぁれぇ?」

かくり、というような印象で小首を傾げながら、燐はそんな疑問を挟んだ。

(……子供?)

舌足らずにも聞こえる間延びした声を聞いて、紗夜香は思わずそんな感想を持ってしまった。春だから、で済まない間延び具合であることが、初対面の紗夜香でも分かってしまう。

「あ、そっか。この子は、あたしの従妹で、七海 紗夜香。中等部からの持ち上がりよ」

話は幾度かしていても実際に会うのは初めてだと思い至った美佳は、簡潔に紹介した。

「あ、初めまして。七海 紗夜香です。こっちは翠泉。この子は緑玉って言います」

紹介させるだけというのもどうかと思い、紗夜香は自己紹介と付き従う二頭を紹介した。翠泉はぺこりと頭を下げ、フェレットは帽子の隙間から頭を出して小首を傾げた。

「ひょっとして……《ソイック・ウルフ》と《ネイン・フェレット》か?」

人語を解するその様子を見て、和広が驚き混じりに尋ねた。

「ええ、そうですけど……?」

「中等部に魔物を従えた生徒がいるとは噂に聞いていたが……鴻の関係者だったとはな。類は友を呼ぶとはよく言ったもんだ」

微妙に刺有りな和広の台詞に、美佳が神速の如き速さで噛みついた。

「うっさいわよ! この魔法オタクが!」

「ふん。獣マニアのお前に言われたくない」

美佳の反撃に鋭く切り返す和広。そしてここから、非常に低レベルかつ無意味な言い争いがぎゃーすかぎゃーすかと始まった。

「さーやかー!」

と、そんな二人を困ったように見つめ始めた紗夜香に呼びかける声があった。

「ん?」

そちらの方へと視線を向ける紗夜香。

「おっはよーさーん!」

人垣を飛び上がる影。紗夜香が反射的に見上げた瞬間、スパカーンという乾いた軽快な音が鳴った。

「きゃっ!?」

顔面に衝撃を受け、悲鳴を上げる紗夜香。

影は、そんな紗夜香の声をバックミュージックに華麗な着地を見せた。

「いやぁ、相変わらず見つけやすい図体しとるよなぁ、紗夜香は」

はっはっは、と年頃の女の子とは思えないあけすけなばか笑いをかます口悪なショートカットのナイスバディー。その右手には、紙を蛇腹に折りたたみ片方の端をまとめて握りを付けた物で、用途としては主にツッコミに使用する物――早い話がハリセン――が握られていた。

「ほたるぅ……いきなり何するのよ……」

真っ赤になった鼻っ面を押さえて涙目で非難する紗夜香。

それに対し、倉品 ほたる(くらしな ほたる)はその同年代とは明らかに桁の違う成長度を示す胸を誇らしげに反らし、ハリセンを肩に、左手をきゅっと締まった腰に当て、

「もちろん、挨拶やで」

と満面の笑みで言い切った。

明らかに常軌を逸したその台詞に、唯一まとも人の薫はもちろんの事、天然の燐や言い争いをしていた和広と美佳までもが、あんぐりと開いた口が塞がらないようだ。

そして、数十秒の沈黙。その場の全員の耳に、周囲の喧噪が痛かったのは言うまでもない。

「……紗夜香。誰、この子?」

ようやく我に返った美佳が、一番にそう聞いた。

「あ、この子は倉品 ほたる。私の親友…………一応」

ぼそりと付け加えるように言ったのは、やや自分の中でその認識に修正を加えるべきか悩んでいるからに違いない。

だが、そんなことに気付いた素振りもなく、ほたるは「どーも初めまして。倉品 ほたるですぅ」と妙なイントネーションでにっこり挨拶をしていた。

「……紗夜香。あんた、友達は少し選んだ方がいいわよ?」

あまりに豪放な性格だと判断したのだろう。美佳は紗夜香にそう警告した。

「美佳姉さん……ちょっとそれは言い過ぎじゃぁ……」

「ひっどいなぁ。これでもつーと言えばかーな間柄なのに」

ぶーっと頬を膨らませてほたるは文句を垂れる。

しかし、紗夜香と当人を除く全員の胸中に「嘘だ」と端的に一単語が浮かんだのは当然のことだろう。

「それはそうと。美佳姉さんってことは、この人が紗夜香の従姉なん?」

「うん」

ほたるの質問に、紗夜香は簡潔に答えた。それだけでとりあえず話が通じるくらいには事情に通じているのだ。

「紗夜香から話は聞いてますぅ。紗夜香が尊敬する人だそうで。よろしゅう頼みます」

そう言って美佳の右手を両手で掴み、ぶんぶんと振り回すほたる。

「え、あ、う、うん、こちらこそ」

完全に勢いに飲まれ、美佳はただ頷くことしか出来ない。

「…………なぁ、今まで持ってたハリセンは何処に行ったんだ?」

ふと、和広がそんな疑問を差し挟んだ。確かに、今さっきまで握られていたはずのハリセンは、ほたるの手の中はおろか、周囲に落ちてもいない。

一気に、しーんとなる場。

「それはぁ……乙女の秘密ですぅ」

可愛らしく人差し指を唇に当ててイタズラっぽく笑うほたる。

「……ほたるの場合、漢女じゃないの?」

「なぁにゆーとるんや〜!」

ぼそりとつっこんだ紗夜香の後頭部に、ほたるはすぱかーんとハリセンでツッコミを叩き込んだ。

「……だから、そのハリセンは何処にあるんだ? 今どうやって取りだした?」

和広はおろか、燐も見えなかったらしく、目を見開いている。薫や美佳はもちろん言うに及ばずだ。

「だからぁ、乙女の秘密ゆーとるやないですかぁ。花も恥じらう十五乙女にそないな事聞いたらいけませんよぉ」

ぶりっ子のようにしなを作って可愛く咎めるほたる。

またもや、言いようのない沈黙が降りた。

と、

 

『入学式開始の三十分前となりました。まだ教室に入っていない新入生の皆さんは、すぐに教室に入って下さい。繰り返します。入学式開始の三十分前となりました。まだ教室に入っていない新入生の皆さんは、すぐに教室に入って下さい。続いて、各委員に連絡します。準備が整い次第、責任者の緒方先生の方へ連絡を……』

 

校内放送が流れた。

「お、ほな、さっさといこか。遅れたら格好悪いしな」

「うん。それじゃ」

「あ、うん。じゃ、またね」

美佳の返事を聞いて、二人は小走りに校舎の方へと向かっていった。

「……あのハリセン、マジでどっから取りだしたんだ?」

ただ一つ。その大きな疑問だけを残して。

 

 

ホームルームも終わった校舎内では、当然の事ながらあちこちに生徒達の小さなまとまりが出来、そしておしゃべりに興じていた。

「確か、庫裡……正器君だったよな?」

「ん?」

即席の友人とちょっとしたおしゃべりに興じていた庫裡 正器(くり まさき)は、突如声をかけてきた大柄な男子に眼鏡越しの視線を向けた。そして、男子を見て悩む。

「……。山手 伸吾(やまて しんご)だっけか?」

「だぁっ!」

と、男子が滑った。

「誰だそれは! 山路 進司(やまじ しんじ)だよ!」

「ああ、そうだっけか。悪い悪い」

ちっとも悪びれた風もなく、正器は言い放つ。

「で?」

「え? あ、そうそう。忘れるところだった。ひょっとして君ってさ……」

進司が用件を言おうとした瞬間、背後から呼びかける声があった。

「あ、進司君」

その声に振り返る進司。見れば、扉のところできょとんとしている女子がいた。

「ん? 春菜ちゃん」

「春菜?」

進司が振り返ったところで塞がれた視界が晴れ、正器にも声の主が見えた。

「え? お兄ちゃん?」

予期せぬ人物がいたことに、庫裡 春菜(くり はるな)は驚きを隠せず、目を丸くしている。

「ああ、やっぱりそうだったか。珍しい名字だから、そうじゃないかとは思ってたんだ」

春菜の言葉を聞いて、進司は納得したようにうんうんと一人頷いている。

「ちょっ、なんでお兄ちゃんがここにいるの!?」

春菜はそう言いながら教室に入り、正器に詰め寄る。

「そりゃ、一般試験に受かったからに決まってるだろ」

「そうじゃないって! お兄ちゃん、素質なんて……え? 一般試験に受かった?」

正器の言葉に、目をぱちくりとする春菜。

正器は、自らの半身とも言うべき双子の妹を見て、やれやれとばかりに首を振る。

「じゃなきゃ、ここにいるわけないだろ?」

「それはそうだけど、でもそうじゃなくて!」

十人中七人は可愛いと称するであろう顔を怒りと困惑に染め、やや混乱気味に春菜は言い募る。

「なんでわざわざこんな所に来てるのよ!? って言うか、何の間違い!?」

「あのな。別に俺だって三年前のまんまじゃないって。大体、間違いで入れるほどここは甘くないだろ?」

「う……」

正論で反論され、思わず言葉に詰まる春菜。

「しっかりと実力で入ったんだよ、俺は。それとも何か? 俺がいたらいけない理由でもあるのか?」

「べ、別にそういうわけじゃないけど……」

正器から視線を逸らし、春菜は唇を尖らせてごにょごにょと言う。

その表情から察するに、言葉通り嫌がっているわけではさそうだ。むしろ、嬉しそうですらある。どうやら、単純に照れ臭いだけらしい。

「そ、それはともかく! お兄ちゃんと進司君って同じクラスなの?」

あからさまに誤魔化してます、と言わんばかりに春菜は話題をすり替えた。

「うん。そうらしいな」

だが、進司はそんな事に気付かず相づちを打つ。

(やった! これでもっと口実が固くなる!)

思わず内心でガッツポーズを取る春菜。

「……春菜。何ガッツポーズなんかしてんだ?」

「へ? あ、う、ううん、なんでもないない」

と思ったが、無意識に体が動いてしまっていたようだ。我に返った春菜は、正器の追求を慌ててはぐらかした。

「あ、私、教授に呼ばれてるから。じゃ、兄さん、進司君、また後でね」

そう言ってダッシュで立ち去る春菜。

「…………なんなんだ? あいつ。あんな言い訳使って誤魔化すような事なのか?」

「ん? 教授に呼ばれてるのってほんとだと思うけど?」

正器の訝しげな呟きを、進司は至極あっさりと否定した。

「そうなのか?」

「ああ。春菜ちゃん、教授の研究に協力してるから。特待生の条件なんだと。知らなかったのか?」

「ああ。特待生だってのは知ってたが。あまり愚痴をこぼす方じゃないんでな、あいつ」

ひょいと肩をすくめてみせる正器。

「なぁなぁ、今の子って、庫裡の妹なのか?」

と、初めに正器と話していた男子生徒が、興味津々といった感じで話に割り込んできた。

「ああ」

「双子かぁ。でも、そんなに似てないよな?」

「そうか? 結構、目元とか輪郭とか似てたけど……?」

男子生徒の言葉に、進司はさらりと異論を放つ。

(ほー。よく分かったな)

それを聞き、正器は心の中で感心した。

正器と春菜は、ぱっと見で「あ、双子だ」と分かるほどには似ていない。しかし、よくよく見てみれば結構、顔のパーツそのものが似通っているのだ。

とは言え、正器はやや目つきが悪い。誤魔化すために伊達眼鏡をかけてはいるが、おかげでぱっと見ではほとんど春菜と共通点が見つけられなくなってしまっている。

更に言うなら、春菜はころころと表情が変わる上に結構な美少女なので、二枚目の端っこにかろうじて引っかかる程度の正器が並んでも、初対面ではまず双子だと見破れないだろう。

それだけに、進司の観察眼は大したものだと言える。

「ふーん。まぁ、いいや。なぁ、庫裡、今度紹介してくれよ?」

軽い調子で言ってくる男子生徒。どうやら話に混じったのはそれが本音だったらしい。

「ああ、気が向いたらな」

「おう、楽しみにしてるぜ」

正器の返事に気をよくしたのか、だらしなく――本人にしては、恐らく自然に――笑った。

(誰が紹介するか馬鹿)

しかし、正器は内心でそんな台詞を吐き捨てていたりした。

もっとも、例え紹介したとしても、春菜はそんな軽い男など、十中八九アウトオブ眼中だろうが。

(……紹介するのも面白いかもしれないな)

妹の性格をふと思い出し、男子生徒の無様なフラれ方を見物するのも一興かと、邪な思いを抱いてしまう正器だった。

 

 

春の頃は三寒四温と言われるように、4月というのはまだ寒い日があったりする。そんな寒い日の夕方となれば、当然の事ながら、人影は少なくなるものだろう。

「うー……教官のばかぁ。実験だけのはずだったのにぃ……」

人影もまばらな寮への道。春菜は気怠げに背中を丸め、覇気のない口調で愚痴をこぼしていた。

春菜は現在、第二種教官推薦特別待遇生――略して第二特待生と呼ばれる身分だ。学業的・身体的な成績がふるわずとも、特殊な力を持っているために教官の推薦を得られているのだ。もちろん、ある一定基準は満たしてなければならないが、第一種の超絶エリート特待生軍団に比べればそのボーダーラインは数段下を行く。

だが、勘違いして欲しくないのは、必ずしも一種の方が学園の評価が高い――つまり、戦闘力に秀でていたり、なんからの業績を残したりする――わけではない。学園基準では戦闘力皆無と評価される生徒がとんでもない業績を残した、などという話は学園ではざらにあることなのだ。

そんな第二種の一人である春菜は、毎日一時間〜二時間ほど、教官の実験に付き合うことを条件に特待生資格を得ている。

だが、実際にはそれだけで済むわけもなく、あーだこーだと理由を付けては雑用をやらされたりする。

そんなわけで、今日も今日とてそんな雑用をやらされた帰り、というわけだ。

「やっほ、春菜♪」

「ぅわひゃぁっ!?」

突如声をかけられたと思ったら背後から胸を掴まれ、春菜は悲鳴を上げた。

「うーん……ほとんど変わらんなぁ」

そうのたまう声の主は倉品 ほたるだ。背後から春菜の胸をしっかりと掴んでいる。……まぁ、ボリュームから言うと、掴むというよりは添えるという感じに近いかもしれないが。

「や、やめてよ、ほたる……ぅ」

むにむにと感触を確かめるように揉んでくるほたるに、春菜は顔を真っ赤に染め、なんとも妙な表情で弱々しく抗議する。

「おー、でも感度はようなっとるみたいやな。そういう面じゃ、ちょっとは成長しとるやん」

手をまさぐりつつ、まじめ……な顔を被ったからかい顔のほたるは、そんなセクハラ発言を特に周りをはばかることなく言う。

「ほたる、一応はここ外になるわけだし、やめなさいよ。やるんなら部屋でにしなさい」

呆れトーンに満ち満ちた声でたしなめてきたのは、紗夜香だ。しかし、微妙に論点がずれていたりする。

「んー。せやな。どうせやし、体の隅々まで……」

「泣かせたら駄目よ? それは好きな男の子じゃないと可哀相だから」

どうやらほたるをたしなめる……ように見せかけて実はからかっているらしい。さすがはほたるの親友と言うだけのことはある。息はぴったりだ。

「だぁっ! いい加減にしてよっ!」

体を無茶苦茶に動かし、春菜はほたるの腕から逃げ出した。

「って、うわわ」

と思ったら、狼狽しながら慌てて胸の辺りを押さえ込む春菜。

「ほっほっほ。どうや、ブラ外し一瞬の早業は」

勝ち誇って笑うほたる。本当にどうしようもない性格である。

と、小首を傾げて紗夜香が言った。

「……それくらいで満足なの? ほたる」

「……ん?」

「どうせなら抜き取ればいいのに」

真顔でさらりととんでもない事を言い出す紗夜香。

「ん〜でも、さすがに一瞬で抜き取るんは辛いんよ。まぁ、目下練習中なんやけど……」

果たしてどうやって練習しているのか激しく疑問ではあるが、本当にとんでもない事をやらかそうとする娘である。

(……冗談だったんだけどな)

ほたるの言葉を聞き、紗夜香は心の中で唸った。

普通なら、ほたるの答えも冗談ととるだろう。しかし、何せ言ったのはほたるである。ほたるがトラブルメーカーな上にひっかき回し屋な性格であることは百も承知なので、かえってどうリアクションをするべきか困ってしまったのだ。

「さらりととんでもないこと言わないでよ、お願いだから。というか、わたしを実験台にしないでよ……」

「だって、春菜ってやりやすいんやもん。それにほら、小さいからこうでもしないと主張できないやん?」

「何を主張するのよ何を! って、それ以前に小さいって何よ! 前計ったときにはこれでもねぇ……」

「ほう?」

怒り混じりに赤くなった顔で畳みかけてきた春菜に、ほたるは胸を反らしてそう言った。

途端、春菜の言葉が詰まる。

「これでも……どうしたって? 続きは?」

殊更に豊満な胸を強調しながら、ほたるはゆっくりと春菜に詰め寄る。

「うっ……」

思わずたじろいでしまう春菜。

「せめて、紗夜香くらいやないとなぁ」

「な、七海だってさほどわたしと変わんないじゃん!」

「あ、それかなり暴言。私、着やせするタイプだもん。まぁ、そんなにある方じゃないけど……春菜ちゃんに同じなんて言われるほどじゃないわよ?」

穏やかな……というか静かな口調で、実際にはかなり辛辣な台詞を吐き出す紗夜香。

「紗夜香はしっかりと行くところに栄養行ってるんやで。春菜の栄養、どぉこに行ったかなぁ〜♪」

妙なしなと節を付けて歌うほたる。

「う……うるさいわよ! わたしだって胸に行って欲しいわよ! でも全部消えちゃうんだからしょうがないでしょ!?」

力一杯悲鳴を上げる春菜。ほとんど半泣き状態だ。

「常人の五倍は食べるのにね。七倍くらい食べれば、胸に行くかもよ?」

「あはは。そうしたら胸じゃなくて腹に行くかもしれんなぁ」

ほたるはそんな事を言いながら、心の底から目一杯笑う。

「ふ……」

「「ふ?」」

ぼそりと春菜が発した声に、ほたると紗夜香ははもって聞き返す。

「二人とも嫌いよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

力一杯叫びつつドップラー効果を纏わせながら、春菜はダッシュで走り去っていった。

「おーおー。大会とかだったら新記録樹立やな」

周囲の人間が――比喩ではなく、本当に――吹き飛ぶほどの風圧を発しながら走っていく春菜を眺めながら、ほたるは面白そうに言った。

「コントロールが上手くなったからかな? ずいぶんと爆発したときの効果が強くなってるみたいね」

「そういえばそうやな。でも、それって自爆やない? 余計カロリー必要になるやろ」

「仕組みを聞いた限りでは、そうみたいね」

春菜が特待生資格を得ているのは、強制賦活体質と呼ばれる体質を持っているからだ。

これは、簡単に言えば生命属性の魔法《フルエンハンス》を無意識に使用してしまうという体質である。

《フルエンハンス》は、筋力・敏捷力・持久力・生命力等すべての肉体能力が爆発的に上昇するという魔法だ。一見便利そうに見えるが、難易度そのものが高いのと、反作用でカロリーを大量に消費するという欠点があり、使い方を誤ると空腹で動けなくなり、また最悪の場合は死に至る。

そんな危険だが実際にはかなり有効な魔法を、魔法のまの字も知らない子供が無意識に使用できる――これが、研究者の目に止まらないわけがない。

この体質によって春菜は特待生資格を得、また、実験に付き合わされているわけである。

そのせいで毎日大量にカロリーを消費しまくっているわけで、当然ながら余計なところに栄養なんぞ回る余裕はない。

もちろん、紗夜香もほたるもそういった事情は知っている。

しかし、それで「はい、分かりました」と言って終えてしまうような二人でないのは、もはや火を見るより明らかだ。チャンスがあれば二人がかりでおこちゃま体型とネタにしまくっていて、ついに春菜はコンプレックスになってしまったのだ。

「ほんま、大変やなぁ」

ほたるは、にこやかに簡潔な一言でくくってしまった。

本人にとってはコンプレックスの原因な上に場合によっては命に関わる問題だというのに、この娘にかかれば大変の一言で済んでしまうらしい。

友達だと公言しているのであれば、もう少し気の利いた言葉をかけても罰は当たらないだろうに。

「それより、早く戻らない? 色々と済ませておいて早く食堂行かないと、春菜ちゃんに全部ご飯取られちゃうわよ?」

「ん。せやな。あの調子だといつもの1.5倍は食べそうやしな。さっさと戻っとこか」

そう言って、紗夜香とほたるは肩を並べて歩き出した。

「あ、そういえば。春菜ちゃんのお兄さんが入学してきたの、知ってる?」

数歩歩いたところで、ふと、紗夜香が思い出したようにそんなことを尋ねた。

「ん? 双子の? 入ってきたん?」

「うん。山路君と同じクラスだって」

「ほー。しん坊と同じなんか。強いん?」

「さぁ? そこまでは分からないけど。でも、弱くはないんじゃない? いくら春菜ちゃんのお兄さんだからって、山路君が弱い人をわざわざ話のネタにするとは思えないし」

「あーそれもそうやなぁ。爽やかで飄々としてるくせに戦闘バカやしな、あいつ」

納得したように頷くほたる。その重々しさたるや、ちょっとやそっとの理解度ではあるまい。

実は、ほたると進司は俗に言う幼なじみにあたる。さすがにクラスが腐れ縁的に一緒、とまではいかないが、男友達・女友達というぐらいにはなんだかんだと付き合いがある。

その関係で、紗夜香とも親しい友人と言って差し支えない間柄だ。

「しっかし、春菜の兄貴かぁ。どんなヤツやろな」

「聞いてみたらいいじゃない」

ワクワクと心弾ませているようなほたるに、紗夜香は冷静なツッコミを返した。

するとほたるは「分かってないなぁ」と首を横に振る。

「そんなんおもろくないやろ? やっぱ、その場でいきなり分かるんが、インパクトあってええんよ」

そう言って、唇の端を吊り上げる。

「ふーん、そんなもんかな……?」

理解できない雰囲気満々で言う紗夜香。

ほたるは、「人生を100%楽しむためには労力を惜しまんで♪」という台詞の通り、他人をからかうだけでなく自分までもその範疇に入れようとする。

その有言実行をぶっちぎったような態度には感心を越えて尊敬の念すら覚える紗夜香だが、やはり理解はできなかった。

もっとも、本人はほとんど気付いていないが、紗夜香も少なからずどころか多大な影響を受けていたりするのだが。

「楽しみやなぁ。クラスにも面白そうなヤツがおるし……こら、最低でも一年間は退屈せずに済みそうやな♪」

明日が待ちきれない、という感じの浮かれたトーンで言うほたる。

「お願いだから、あんまり騒ぎにはしないでよ」

無駄だろうと知りつつも、紗夜香は言わずにはいられなかった。

 

 

〜余談〜

 

紗夜香とほたるが寮に戻って一時間。ちょうど夕食の時間となり、どうせだから春菜を誘おうと、二人は春菜の部屋へやってきた。……のだが…………。

「さやかぁ……ほたるぅ……た、す……けて……ぇ」

「何をやっとるんや、あんたは」

床に突っ伏し、助けを求め手を伸ばしてくる春菜。ほたるはそんな春菜に、思いっきり呆れた口調で疑問を投げかけた。

「おな、か……減って……うごけ……な……ぃ」

途切れ途切れに答える春菜。

「……ほな食堂行こか、紗夜香」

「そうね……行きましょっか」

問答無用できびすを返す二人。

「こ……この……はくじょーものぉぉぉぉぉぉ……」

その背中に向かって叫ぶ春菜。しかし、扉は無情にもぱたん、と閉まった。

 

それから数分間、春菜は二人に向かって、弱々しくも響く声で恨み辛みをはき続けた。

それが寮全体に不気味に響き……しばらくの日数、その声の噂が尾鰭背鰭を付けて乱れ飛び、最終的に怪談の一つに加わることになるのだが、それはどーでもいい話だったりする。


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