風もなく過ごしやすい初春の日曜日。空を仰ぎ見た庫裡 正器は、目を細めながら首もとを緩めた。 (マフラーはいらなかったかな……) 長袖のシャツとセーターだけで十分だ。とはいえ、また部屋に戻るのもめんどくさいし、今から戻っては入れ違いになるだろう。 人を待たせるのは好きではないので、戻るのは却下。しかし、外すと荷物になる。手ぶらの状態ということもあって、正器はかなりスカスカになるまでマフラーを緩め、それでしのぎきることにしたのだった。 それから間もなく、玄関の開くかすかな音と同時に、呼びかけられた。 「お、もう来てたのか」 振り返れば、待ち合わせの相手――山路 進司が片手を上げて出てくるところだった。 「ああ。そういうお前こそ、珍しく早いな」 「ん? そうか?」 半分笑いながら歩み寄ってくる進司は、パリッとしたスラックスに、厚手のシャツ、ジャケットという取り合わせで、爽やかさが目に心地いい。 「いつもはギリギリだろ。まだ三分あるぞ」 「……三分で珍しがられるのか、俺は」 「普段の行動だな」 「……まぁ、いいけど。それより、早く行こうぜ」 肩を並べた二人は、街へと続く石畳の小道を進む。雑談を交わしながら、休日を楽しむようにゆっくりと歩いていく。 「そういや、結局なにを買うんだ?」 街に入ったところで、正器はふと、思い出したように進司を横目で見た。進司は、そんな正器を見て目を見開いている。 「ホワイトデーのお返しだよ」 「…………ああ」 「お前……まさか、忘れてたのか?」 「最近はもらってなかったからな。すっかり忘れてた。だいたい、バレンタインデーそのもの忘れてたし」 悪意の感じられない声で、さらっと言い放つ正器に、進司は肩をすくめる。 「やれやれ……連れ出して正解だったな。きちんと買えよ? じゃないと、明日、大騒ぎになるぞ、ほたるあたりが特に」 「そうだな、てきとうに買っておくか」 「……いや、まともに考えて買えよ」 思わず突っ込んでしまう進司。しかし、正器はそんなツッコミなどまったく耳に入れず、周囲を訝しげに見渡している。 「……なんか、妙に男が多いな。いや、女が少ない……ん? どっちもか?」 「ああ、伝統だよ、ここら辺の。男はお返しを買いに来る、女はそれを見ないように出てこないってな具合にな」 「せこいっつーかあざといっつーか……」 「俺らもその中の一人だぜ?」 「……」 瞬間、正器の眉が露骨なほど嫌そうに寄った。 「ま、諦めろ。郷に入ったら郷に従えだ」 「……誰も文句は言ってない」 「んじゃ、俺らもしっかり買い物といきますかね」 声を殺して笑うと、正器は更に不機嫌そうに眉根を寄せる。それを見て更におかしくなる進司だったが、さすがにそろそろまずいだろうと思い、話題を逸らすことにした。 「あ、そうだ。わりーんだけど……昼飯おごるから、荷物持ち頼むわ」 「……は?」 素で間抜けな返事をしてしまう正器に、進司はばつが悪そうな表情を向ける。 「さすがに一人じゃもてねーんだよ。だから頼むな」 「……まぁ、かまわないが」 「助かる!」 疑問の表情を浮かべる正器とは反対に、満面の笑みでガッツポーズをする進司だった。 赤とオレンジを混ぜたような色が、目にまぶしい。窓から入ってきた光は、小さな菓子店を幻想的に彩っていた。 その光源を何とはなしに見て、正器はため息をもらすと同時、軽々しい自分の言葉に後悔をせずにはいられなかった。 途中の食事を挟んだだけで、休憩なしなのはいい。小さな袋が手に十六枚近くぶら下がってるのも、別に構わない。 しかし……しかしだ。未だ進司のメモ帳の、半分くらいしかチェックがされてないというのは、いったいどういうことだろう。 いや、数多くもらっていた進司だ。それは別に不思議じゃない。まじめな性格から考えて、できる限り返そうとするのも分かる。 だが、進司は……どうやら一人一人に違うものを買っているらしい。しかも、色違いとかそういうレベルの話ではなく、きちんと誰に何を返すのか考えているらしい。 そして今も、店の中央、特設の棚に並んでいる、小さな星形の箱を鋭い視線で吟味している。 端から見れば、本命を選んでいる風に見えるに違いない――そんな雰囲気だ。 「……おい、進司」 「ん?」 「なにをんなくそまじめに選んでんだよ」 「え?」 「それもどうせ義理だろ? そこまで考え込むな」 そう言うと、進司は棚から目を離し、困ったような表情を向けてくる。 「いや、まじめにもらったもんだし、まじめに返さないわけにはいかないだろ?」 「……加減を考えろよ、加減を」 正器は小さなため息をもらした。 進司の言いたいことは分かるが……一個や二個というわけではないのだ。それくらいなら、一つに三十分かけても文句はないが、数が数である。大まじめな本人には悪いが、さすがに限度を考えろと言いたい。 「とりあえず、ほんとにいい加減にしろよ。もう少しテンポよくしないと、全部買えないぞ?」 「……確かに」 ちらりとメモに目を落とし、進司は頷いた。 「でも、もう少し待ってくれ」 しかし、すぐさま選択に没頭するのだった。 更に数時間後。ようやく進司のメモに、最後のチェックがついた。もう日が沈んだとかそういう問題ではなく、夕食の時間も過ぎ去っていて、文句無しに夜だった。 見上げてみれば、きれいな月が、薄雲の間から顔を覗かせている。見事な満月だ。なんとなく卵の黄身を連想してしまうのは、きっと空腹と極度の精神的疲労からだろう。 「……どっかで飯食ってくか」 「わり、夢中になっちまって」 「来年は手伝わないからそのつもりでいろ」 「……お前もかぁ〜。毎年そうなんだよな……」 進司は、不可解な、とばかりに小さくうなる。どっかの誰かさんならば、ハリセンでドツキつつ、「学習せいや〜!」とかツッコミを入れるのだろうが、あいにくと、今の正器にそんな気力は残されていなかった。 「とりあえず、飯食って早く帰るぞ」 「あ、すまん。もう一件行かなくちゃならないんだ」 「……」 無言と半目で思いっきり非難を向ける。進司は、ほんとにすまん、と手を合わせている。 もはや言うことはあるまい――半分投げやりな気分になる正器だった。 「さっさとしろよ」 「助かる! でさ……春菜ちゃん、何もらったら喜ぶか教えてくれないか?」 「……は?」 「あ、いや、な、もう喜ばれそうなもんはたいていあげちゃったっていうかさ、あてがないんだよ。正器は兄貴だしいろいろと好みとか知ってるだろ? だから教えて欲しいなーってさ」 「んなの、お前がわたしゃなんでも喜ぶだろうよ、あいつなら」 返す言葉はそれしかなかった。どうやら本人達はまだ友達のつもりらしいが、すでに半バカップルの進司と春菜につける薬はない。そんな葛藤は、桃色空間の中でやって欲しいものだった。 特に、この疲弊しきった精神を巻き込まないで欲しい、本気で。 「なんでもなんてそんな適当なことができるかよ。この前も三時間探し回ってたんだが、どーにもいいのがなくてな……頼むよ、このとーり!」 今日は柏手の大安売りだ。しかも、今度のは一番熱が入っている。くそまじめと桃色が加わるとここまでくるのか……と、逆に珍しいものを発見した気分にすらなってくる。 とはいえ、観察をするには少し疲れすぎているので、手っ取り早く済ませることにした。 「……下手に凝らない方がいいと思うぞ、お前の場合。凝ると、その他大勢と一緒になりそうだからな。むしろ、シンプルに直感第一、可愛いと思ったもんを渡せばいいんじゃないか?」 「なるほど……」 神妙に頷いた進司は、早速手近な店に入ろうと身を翻した。 「おい、ちょっと待て。お前、宝石店なんか入ってどうするつもりだ!」 「え? いや、可愛い装飾品を……」 「春菜を萎縮させるつもりか! もっと学生らしいもんを渡せ! 第一、んな金がどこにあるんだお前!?」 「そんなに高いもんじゃなけりゃ、買えるぞ。なんせ、毎年こつこつ貯めてるしな、もらうの分かってるから」 今までの散財具合を見ての台詞も、あっけらかんと跳ね返されてしまった。一見うらやましいできごとも、この男にかかれば、事実と努力の積み重ねになってしまうようだった。 「いや、あるなしに関わらずもっとソフトなもんにしておけ」 「……そうか? まぁ、そう言うなら……」 どこか釈然としないようだが、それでも頷いて、どこかに手近な店はないかと視線を巡らせる。 「お、あそこがいいかも」 一件にあたりをつけたのか、それだけ言うと進司は風のように走っていってしまった。止める暇もないくらいの突っ走りだ。……もっとも、止めても止まると限らないのが、進司なのだが。 正器が進司を追って歩き出すと、数件先の宝石店から見知った相手が出てきた。 「あ……」 「あ……?」 思わず瞬き。落ち着いていながら、一目で豪華だと分かる店から出てきたのは、嵯峨 健だった。 全体的に穏やかで大らかな雰囲気と、常に浮かぶ微笑と、平均的な身長が、大人と子供の共存を感じさせる好青年だ。 健は、倉品 ほたると七海 紗夜香のクラスメートで、もちろん正器とも面識がある。 「よう、さがけん。珍しいところで会うな」 「あ、ああ。庫裡か」 「どうした、こんなところで……って、聞くだけ野暮か」 にやりと笑ってみせると、案の定、微笑の中に照れが混じった。 健は、クラスメートの箭内 真咲と付き合っている。当然、今日ここにいるのだって、ホワイトデーのお返しを買いに来たのだろうことは、容易に想像がつく。 「まぁ、そんなところだ」 「でも、なんでわざわざこんな時間に?」 「あー……さっき完成したって連絡が来たんだよ」 「完成?」 「一応、オーダーメイドってやつだから。そんなたいそうなもんじゃないけどな」 照れと困惑からか、視線を外し頬をかく健。しかし、そんな態度や言葉と反対に、声にどこかしら誇らしげな雰囲気があるのは、気のせいではあるまい。 (ぎくしゃくしてないかと心配してたんだが……問題はないようだな) 順調なのが見て取れて、正器は胸中で安堵のため息をついた。 ささいなきっかけ一つで、容易にほたると衝突する真咲のストレスが、何らかの軋轢を生んではいないかと危惧していただけに、幸せそうな健の態度は、吉報と言えた。 「それにしても、オーダーメイドのアクセサリーか。なかなか洒落たことをするな?」 「まぁ、超絶に料理苦手なお嬢が、手にやけど作って手作りしてくれたしなぁ。しかも、わざわざ迎えに来てまで朝一番に渡してくれたんだし……こりゃ気合い入れないわけにいかんだろ? で、前に書いたデザインで気に入ってくれたのがあったんでな」 「それでアクセサリーか。それ話してやったら、喜ぶんじゃないか?」 「んなこっぱずかしいこと、話せるわけないだろ」 「それもそうだな」 声を殺した正器の笑みを、悔しそうに睨んでいた健は、ふと意地の悪い笑みを浮かべた。 「そういう庫裡は、もう用意したのか?」 「ん? ああ、一通りな」 「そりゃ、お嬢に教えてやらないとな。久しぶりに倉品へ反撃のチャンスだって」 「反撃? どういうことだ?」 「いや、倉品へのお返し、用意したんだろ?」 二人の表情が、同じように困惑に染まった。 「ああ、確かに用意はしたが……」 「だったらお嬢は反撃のチャンスだろうが」 「だからなんでだよ。義理で返すのに反撃もくそもないだろうが」 「……」 健は、ようやく話のかみ合ってない理由に至った。呆れるほど単純だった。 「まぁ、いいけどな……俺が口出す事じゃないし」 「?」 「気にするな。さて、俺は帰るよ」 「そうか……?」 「じゃぁな」 「ああ……?」 なんだか釈然としない正器だったが、それがなんだか分からない以上、帰るという者を引き留めることもできまい。なにより、さっさと進司と合流しなければならない。 首を傾げながらも、上機嫌な健の背中を見送る正器だった。 * * * まるで、学校全体が揺れているようだった。バレンタインデーと違って、ピンク色の雰囲気が弱いせいか、気を揉む様が、学校全体を覆っているような錯覚を覚えてしまう。 「……ホワイトデーも大変なイベントだったんだな」 物を渡したり渡されたり、渡そうとして困っていたり、友達と話していても落ち着きがなかったり――廊下では、そんな光景があちこちで繰り広げられている。 ある意味で、はじめて恋人行事のホワイトデーを目の当たりにした正器は、そんな感想とともに隣を歩く進司を見上げて……固まった。 「おい、進司?」 「え? あ、ど、どうした?」 「そりゃこっちの台詞だ。顔、強ばってるぞ?」 「そ、そうか……? いや、少し緊張してるのかも……なんか周り見てたら……な」 「緊張って……お前慣れてんだろ?」 「そのはずなんだが……なんでだ?」 「……俺に聞かれたって分かるわけないだろ」 「だよな……」 答えを期待していたのか、がっかりとした表情を見せる進司。その様子を見て、正器は胸中でため息をついた。 (今までと違うから緊張するんだろうに……そんなことにも気づかないのか) ここまで来ると、単に目をそらしているだけじゃないか……と疑いたくもなるものだが、聞いたところによると、恋愛経験もないようだし、恐らく素だろう。 感情も、結局は名前を与えなければ、既存の価値に当てはまらない。進司はまだ、名前を与えることができない状態なのだろう。 (……ま、本人が告白するまでは俺の出番じゃないな) 告白というのも、恋愛における一つの楽しみと言える。それを奪ってしまうのは忍びない。 特に、春菜にしてみれば、初恋が叶うかどうかの瀬戸際なのだ。成功するにしても、失敗するにしても、満足のいく形になってほしい、というのが本音だった。 「で、このまま教室いくのか? それとも春菜のところに寄ってからいくか?」 「と、とりあえずは……渡そう」 「んじゃ、そうすっか」 「よう」 「あ、お兄ちゃん」 「やっぱりこっちだったか」 自分の教室にいなかった春菜は、紗夜香とほたるの教室の後ろのスペースで談笑していた。 ドアをくぐると一瞬、鋭い視線を向けられるが、それもすぐに外れる。おおかた、自分に関係のない人間だったからだろう。 「ん? なんか用だった?」 「ああ、まぁな……ってか、三人いるんならちょうどいい」 「へ? ……って、あれ? それって……?」 と、春菜が、正器と進司の持っている袋に気づいたようだ。 「ああ、一応、ホワイトデーのお返しだ」 「え? お兄ちゃんが?」 正器が小さな袋を差し出すと、春菜は驚いたように目を見開き、恐る恐るという風に受け取る。 「……どうしたのお兄ちゃん。ホワイトデーにお返しなんて……はじめてじゃない?」 「な、今まで返しとらんかったんか!?」 「……ひどいわね」 「さんざん味見役やらされたチョコ包んでもらったところで、返す気になんてなんねーよ、ガキの時だったんだし」 「あはは。確かに……毎年違うの作って味見してもらってたからなぁ」 苦笑を浮かべながら、春菜は袋をさっそく開けていた。そして、その表情が凍った。 「……お守り?」 「……直球ね」 ほたると紗夜香の唖然とした様とは逆に、正器は堂々としている。 「恋愛成就だ。食券セットと迷ったんだが……こっちの方がいいだろ?」 「……ひょっとして、おちょくられてるのかなぁ?」 「いらないか? だったら食券セットでも……」 「…………いる」 ぼそりとつぶやいて即、胸ポケットにしまう春菜だった。 苦笑を浮かべながら、正器は好奇心に満ちた表情をしている横の二人にも、それぞれお返しを渡した。 すると、もう自分の用事は終わった、とばかりに、進司と位置を代わるのだった。 「おい、進司。早く渡せ」 「お、おう……」 押し出されるかっこうになった進司の全身が、石になったように硬くなっている。そして、いきなり眼前に迫ってこられて、春菜もまたカチコチに固まってしまった。 「え、えっと……あの……えっと……」 「う、う、うん……」 言葉らしい言葉もなく、ただ向き合って真っ赤になっている二人の様子は、いつの間にか教室中の注目の的になっていた。 しかし、当の二人は、そんなことに気づく余裕があるわけもない。 無意味なやりとりが何度か続いた後、ようやく進司が、袋から手の平より少し大きな箱を取り出し、無言で春菜に突き出した。まるで、一昔前の男子生徒が、はじめてのラブレターを差し出すような感じだ。 「えと、うんと……あ、ありがと」 割れ物を扱うように、そっと受け取る春菜の顔は、茹で蛸もかくやというほどに赤い。大役を終えた進司も、同じ様な状態だ。 そして、そのまま動かない。 「……おい、進司。七海と倉品にも渡したらどうだ?」 「え? ……あ、ああ、そうだな、うん、そうだ」 助け船の意味を、数瞬してから理解したらしく、大げさに頷く進司は、焦ったような態度で二人に物を差し出した。 ようやく肩の力を抜けた進司。しかし、それとは反対に、春菜は未だ動かなかった。 「おーい、春菜? はーるーなー?」 「完全にとんでるわね」 「……みたいやなぁ。ま、しばらくはこのままにしとこか」 あっさり見限るほたる。そして、正器のプレゼント――妙に細長い筒状のもの――を開けようとした時だった。 前方の扉から、健が入ってきた。そのまままっすぐに真咲のもとへ歩いていく。 「おはよ、お嬢」 「おはよう、さがけん」 あいさつが済むと、健がは前置きもなしに真咲の胸元に手の平大の箱を差し出した。 「これ、ホワイトデーのお返し」 「え? あ、ありが、と……」 真っ赤になって俯く真咲。それを見たほたるの唇がつり上がった。 「いよっ、ご両人! 相変わらず熱いね!」 「なっ!? なにを……!?」 「カップルの生活の一部始終、ここに……ってとこ? いやぁ熱い熱い。誰か氷の魔法使って〜」 わざとらしく片手で扇ぎ挑発するほたると、それに吊られるように眉が跳ね上がっていく真咲。 真咲の大爆発だ……とクラス中が身構えたが、今日は違った。 「ひ、人のことは言えないんじゃないの? 倉品さん? あなたこそ、立派なものをもらっているようじゃない?」 精一杯の仕返しも、意志とは反対に裏返っていた。 「その程度で反撃のつもりなん? 話にもならんで!」 なぜか勝ち誇るほたるは、開きかけの包装紙を剥がしていく。卒業式で使われるようなのを長くした、無駄に丈夫そうな筒の中から出てきたのは……紙だった。 「……」 汚れのない純白の厚紙は、横が肩幅いっぱいくらいで、縦が上半身をすっぽり覆うほどある。なんのために存在しているのか、と疑いたくなるほどに巨大だ。 「……正器。いったいなんや? これは」 「紙だ」 「……そりゃ見れば分かるな。で?」 まるで、よく研いだ刃を投げ合っているような会話だ。巻き添えが怖く、周囲も動くに動けない。 背筋がぞくりとするような緊張の中、更に会話は続いていく。 「返すにしても、実用的なものがやはりいいだろうと思ってな」 「ほー。で? これが、どう実用的なん?」 「ハリセンの原料だ」 「…………紗夜香。あんたは何もらったん?」 「え? あ、う、うん。えっと……」 突き刺すような視線を向けられて、びくりとした紗夜香だったが、慌てて包装紙を剥がした。 「あ、帽子……」 「ほー紗夜香は帽子か。ずいぶんと扱いに差があるなぁ? 正器ぃ?」 「実用の質が違うだけだ。値段はほとんどかわらん。国家間の条約締結なんかでも使われる最高級紙だぞ?」 選択になんの疑問も持っていない正器。直後、クラス中の大多数が、同時に心の底から思った。「だからどうした、そういうことじゃないだろう!」と。 「そーかそーか。それじゃぁ、きっちりと使わなくちゃならなんなぁ」 威圧感をさらりと霧散させ、満面の笑みを浮かべるほたるは、慎重な手つきで紙を筒へとしまう。 「とりあえずそこになおれーーーーーーーーーーーーッッ!」 次の瞬間、殺気と怒声をまき散らしながら、正器へと飛びかかった。いつの間にかその手に握られた、身長大のハリセンが目映く光り、うなりを上げて振り下ろされる。 「だりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!」 しかし、正器は一瞬早くその場から横手に飛ぶ。空を切ったハリセンが床へ叩きつけられ……衝撃波が教室を駆け抜けた。 机とイスと人が宙を舞い、逃げる正器を追うハリセンが、さらなる衝撃波を生んで被害を広げていく。 「今日という今日は許さーーーーーーーーんッッ!!」 「目には目を! ネタにはネタをだ! 『義理』なんて分かり切ったことをでかでかとチョコにデコレートするんじゃない!」 刹那だけ、教室が無音になった。それは、巨大な力が爆発する刹那の空白だった。 「ま、マジで殺すぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッッ!!」 咆哮にも似た叫びに涙色が混じっていたのを、ほとんどの人間は分かったことだろう。 そして、秩序を無くした嵐は、廊下へと破壊を広げていくのだった。 |