「はぁぁぁぁぁっ!」

裂帛の気合いと共に、斧槍が風切りの悲鳴を上げる。

「なんの! 『空壁衝撃流(くうへきしょうげきりゅう)』!」

直後、グオォッ、と風が猛威を振るった。全方位へ広がる風は、衝撃波となって斧槍を押し返す。

「ぐっ……」

見るからに屈強な男子生徒は瞬間的に腰を落とし、その勢いに逆らった。台風のまっただ中にでも放り込まれたような轟風が、男子生徒を襲う。

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

男子生徒が、一歩足を踏み出した。そして、風が止んだ。

瞬間的に、男子生徒はもう一歩を踏みだし、加速した。

魔法を放った直後の女子生徒は、わずかな時間だが硬直下にある。

(もらった!)

男子生徒は、自らの勝利を疑わなかった。

斧槍を、横薙ぎに払う。

これで勝負あり、男子生徒がそう思った瞬間。

女子生徒の影が膨れ上がり、男子生徒の前に立ちふさがった。

刹那、がきん、という固い音を鳴らし、斧槍が止まった。

「なにっ!?」

「火の理を以て 爆炎を紡ぐ。『蛇連爆球(じゃれんばっきゅう)』!」

男子生徒が驚きの声を発し、危険を察知して距離を取った直後、女子生徒の魔法が発動した。

影の向こうから、爆発的な熱量を含んだ球体が十数個、蛇のように連なって男子生徒に覆い被さってきた。

接触した瞬間、球体が連鎖的に爆発を起こす。

「ぐあぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

十数回に及ぶ爆発と、膨大な熱を浴び、男子生徒が絶叫を上げた。炎が舞い踊り、遠慮の無い衝撃が荒れ狂う。

絶叫と炎が収まると、そこには黒こげになった塊が一つ、横たわっていた。

「勝者、浅田 紀美(あさだ きみ)」

審判員がそう宣言したと同時に、白衣を着た人間が五人ほど、闘技場に登ってきた。その内の二人は担架を持っている。

浅田と呼ばれた女子生徒は、緊張を解くように一つ大きく息をつき、悠然とした足取りで出入り口へと足を向けた。

そして、白衣の人間達は、男子生徒だったものを急いで担架に乗せ、闘技場を後にした。

 

 

その様を、和広はモニター越しに食い入るように見ていた。第一試合に勝った和広達は、次は今の勝者である浅田と当たるのだ。真剣に見て当然と言える。

「相手が一人とは言え……大した腕だな。それに、あの影はかなり厄介だ……」

調べたところによれば、浅田のパートナーは予選で全治二ヶ月の怪我を負い、今なお療養中とのことだ。そちらもかなりの手練れという話だが、浅田もかなりの使い手だ。

影に関してはほとんど情報が無いためによくは分からないが、少なくとも防御力はかなり高い。その上、魔法もあれだけの攻撃力を持つのだ。かなりの強敵と見て間違いない。

しかし、厄介という言葉とは裏腹に、和広の表情に重いものはない。

「そうだねぇ〜。でもぉ影に気を付ければぁ大丈夫じゃないかなぁ〜?」

横で和広の呟きを聞いた燐が、のほほんとそんな疑問を口にした。

「その通りだな。確かに本戦に残るだけの事はあるが……あれくらいだったら、大した障害じゃない」

燐の疑問に、和広は自信たっぷりに断言した。

そして、数時間後。その自信通り、和広達は浅田を楽々と撃退した。

 

 

「和広と燐は無事に2回戦突破かぁ……。私達もしておきたいけど……」

「さすがに相手が悪い……かな?」

美佳と薫とついでに美佳の頭に乗っているロージが、揃って溜息をついた。

「あら? そんなのはやってみないと分からないと思いますよ? 私達三年生の間では、お二人は影のダークホースと呼ばれているくらいなんですから」

苦笑しつつ、相対する内の一人、ロングヘアーの男子生徒が言った。

その上品な物言いには、皮肉や揶揄の色は含まれていない。まさしく、事実を事実のまま述べたという雰囲気だ。

「……新条先輩、そんな余裕たっぷりに言っても説得力0ですよ」

美佳が、やれやれとばかりに首を振る。

新条 楓(しんじょう ふう)という名を持つこの男子生徒は、三年生として考えると、さほど目立った特徴の無い生徒だが、これでも去年の序列13位につけている。

20位までを三年生が固めると言われている中で、去年の2年生は3人が20位以内に入っており、新条はその三人の中の一人だ。

そして、今年の序列10位入りは間違いないとまで言われている。

「それでは、これより序列戦本戦、2回戦第4試合を開始します」

審判員がそう宣言すると同時に、20メートル四方の闘技場の周囲に障壁が出現した。観覧する生徒の安全のために張られるシールドだ。

(もっとも、だからって易々とやられるつもりはないけどね)

ぺろりと唇を舐め、美佳は心の中でそう一人ごちた。

本戦にいる以上、強いのは誰が相手だろうが一緒だ。食らいつき、粘ってみせる――そして、最後に勝つ。美佳は心の中でそう自分を鼓舞していた。

精神で負ければ、もう勝つ術はない。負けるつもりでいる人間に、万が一とかもしかしたらとかそんなチャンスは巡ってこない。

だが、食らいついて粘って勝つつもりでいれば、例え実力が離れていたとしても、チャンスをつかみ取ることは不可能ではないのだ。

「始めっ!」

審判員の声が高らかに響き、腕が振り下ろされる。

瞬間、薫が駆けた。

「力の理を以て 纏を紡ぐ 陣と交わりて力場となれ! 『護法場鎧(ごほうばがい)』」

薫がそう言葉を発し、フィンガレスグローブを装着した両拳を擦り合わせた。

刹那、見えない力場が、薫の周囲を覆った。

「はぁぁぁぁっ!」

そして、ほぼ同時に走り出していた新条の相方、真名尾 健吾(なまび けんご)に向かって拳を繰り出した。

ほぼ同時に、健吾も拳を繰り出してきた。

 

ごうん!

 

拳同士の衝突と同時に、辺りに凄まじい轟音が鳴り響いた。

二人はそのまま離れず、ぎしぎしと骨の軋む音が聞こえてきそうな競り合いに移った。

(くっ……同じ考えだったか!)

顔を歪めながら、薫は心の中で毒づいた。健吾は、薫の魔法と同じ効果を持つ陣を、一瞬にして展開したのだ。

「扉開きて 炎の世界より姿を現せ。『フェニックス』!」

そう呪文を唱え、美佳は右手を振り下ろした。

すると、その軌跡に沿って赤い線が走り、直後、線が膨張するように弾けた。

膨大な炎と衝撃を伴ったその膨張は、即座に寄り集まるようにして、炎で出来た鳥を象った。

直後、羽ばたきを一つし、フェニックスは飛び上がった。

「真名尾君、よけて!」

健吾がその声に反応して薫から距離を取るのと、フェニックスが弧を描くように健吾が足を着けていた地面に激突するのとは、ほぼ同時だった。

「ちぇ。やっぱり作戦通りになんていかないか」

その様子を見た美佳が、可愛く唇を尖らせた。

「まさか、フェニックスを召喚するなんて思いませんでしたよ、鴻さん。それに、十翔君も、真名尾君と互角の身体能力に高めてきているみたいですし」

「……たった一回の激突を見て看破されるとは思いませんでした」

普段とは全く違う、油断の無い厳しい視線で健吾と楓を見やり、薫が言った。

薫達がとった策は、陣形魔法と詠唱魔法、共に身体能力増加系魔法の二重掛けとレベル以上の使役魔法を使った一撃必殺だ。格下と侮っているであろうところに、奇襲当然に攻め込んで2対2から2対1に持ち込もうと考えていたのだ。

「目の付け所は良いと思いますよ。確かに、その手なら応用すれば何回でも使えるし、対応も困難ですから」

「だから、そんな笑顔100%で言われても説得力0ですって」

燐が、頭痛をこらえるようにこめかみに手を当て、げんなりと言う。

「ふっ!」

と、黙って状況を見守っていた健吾が地を蹴って駆けた。

「火の理を以て 爆を紡ぐ。『爆槍飛弾』!」

そして、それを援護するかのごとく、楓が魔法を放ってきた。

(やばいっ……!)

その絶妙なコンビネーションに危険を感じた薫は、逡巡した。

そして、刹那、思いっきり飛び上がった。

飛び上がった薫の眼前すれすれを、上空からを狙って放たれた爆槍被弾がすれ違う。

そして、爆槍被弾が地面に激突し、爆発する。

その衝撃を利用して健吾が跳ねた。

「なっ!?」

ぐんぐんと迫ってくる健吾を目にし、薫の表情が驚愕に強ばる。

そして、上昇の速度と持ち前のパワーを相乗させたパンチが薫に炸裂した。

「ぐふっ!?」

薫の口から、苦悶の声が漏れる。力場が威力の大半を殺したが、その許容量を上回った分が、薫にダメージとなって伝わったのだ。

そして、健吾の拳が薫に与えたダメージは、そのまま勢いとなって薫を吹き飛ばした。

「ロージ!」

美佳が声を張り上げた。

即座にロージは美佳の頭から跳躍する。その上昇中に自らの体を大きくし、大型犬ほどになった。

そして、ロージは上空を通過しかけた薫の服をくわえ込み、身を翻して地面に降り立つ。

「うつぅ……」

ロージの口から解放された薫が、ダメージの残っている腹を押さえて苦悶する。

と、余裕綽々で地面に降り立った健吾が、再び突進してきた。

「くっ……!」

それを見た美佳が、腕を素早く動かし、中空に陣を描いた。

直後、健吾の周囲が陥没した。

「ぬ……」

突如として増幅された自重に、健吾の口から戸惑いの声が漏れた。それと同時に、その足が止まる。

「真名尾君!? あぐっ……!」

健吾と同じく驚きの声を上げた楓が、頭上からの凄まじい圧力を受けてがくりと膝をついた。

「陣形と見せかけた使役……。ずいぶんと凝った仕掛けをしてくれますね」

引きつり気味の笑顔を浮かべながら、楓が美佳に向けて言った。

「使役と陣形はかなり似通ってますからね」

肩をすくめるようにして、美佳が答えた。

そう言う美佳の足下には、リスに似た動物がちょこんといた。美佳の足に隠れるようにして、じーっと健吾と楓を見ている。

この、いかにも臆病そうな小動物は美佳が扱う使役獣の一つで、重力を自在に操る能力を持つ、グリーだ。ちなみに言うと、美佳のお気に入りの使役獣の一つでもある。

「……まるで動物園だな」

と、健吾が意味ある言葉を初めて発した。その呟きに、ぴくり、と美佳が反応した。

「動物園……?」

「犬にリス……動物園だな」

健吾は、分からないならもっと詳しく言ってやろうとばかりに繰り返す。

「……みんな、おいで」

ごごごごご、と効果音が聞こえてきそうな声で、しかし、表情はにこやかに美佳が言った。

その言葉に反応し、美佳を中心とした足下に直径3メートルの魔法陣が浮かび上がった。

そして、その魔法陣から十数体の使役獣が現れる。鳥、猿、象、猫、蜥蜴などなど……種類も能力も違う使役獣が、まるで美佳の精神状態を汲んだかのように剣呑な雰囲気を醸し出している。

「ちょっ、美佳!?」

慌てて薫が美佳を見て……言葉の一切を飲み込んだ。

「この子達を動物呼ばわりするなんて許せない」

地獄の底から響いてくるような、そんな恐怖心を煽られずにはいられない声音。しかし、顔には天使の如き笑顔を浮かべている……普段は笑顔を見せても、奔放な感じなのだが。

そのギャップが、ことさらに恐怖心を煽りまくってくる。

「……」

それを見て、ちょこっとだけ自分の台詞を後悔している健吾だが、そんな事を口に出すつもりなど毛頭ない。

年下で格下相手に気圧されるなど、曲がりなりにも今期は上位入りを期待されている身としては、プライドにかけて認めるわけにはいかない。

そして、それ以上に負けるわけにはいかないのだ。

「むぅ……」

そう改めて認識し、健吾は体中に力を巡らせた。

そう、負けるわけにはいかないのだ。ここで負けてしまえば、全てをかなぐり捨て、血ヘドを吐いて、死に物狂いで駆け上がってきたものが無駄になる。

今自分を支えている全てのものが、瓦礫のごとく無駄になるのだ。

「ぐぅぅ……」

だが、いくら力を入れようとも、まるでそれに比例するかのように重力は増していく。

「無駄よ、グリーの力はそんなやり方じゃ振り切れないもの」

「それは……どうかな」

健吾が、一歩足を踏み出した。

「まさか……!?」

笑顔を崩し、美佳は驚愕の表情で足下を見た。そこには、体を丸めるようにして震えているグリーがいた。

「グリー! 力を解きなさい!!」

焦燥に駆られながら、美佳はグリーに言った。だが、グリーはふるふると首を横に振った。

「いいから早く解きなさい! こんな戦いで死んでもしょうがないでしょ!!」

語気荒く、美佳は畳みかける。グリーは、その剣幕に、そしてその裏に秘められた優しさを感じ取り、力を解いた。

「序列戦をバカにするな」

重力から解放された健吾が、鋭い視線を向けて言った。

「私にとっては、この子達の方が大切なの。私が使役獣を使いこなせるようにしているのは、誰かにだけ負担をさせたくないから。状況によって最善の使役獣を使えるように、ってね」

「それがバカにしていると言うんだ。最も得意とするものによって自分を押し上げ、それを頼りに生きていく。それで危険を伴おうと、自らの選んだ道を信じて切り抜けていくことこそが大切なことだ」

相容れない主張は、互いに殺気となってぶつかり合う。

「美佳、そんなに眉間に皺寄せてると、若い内から小皺に悩まされるよ?」

ぽんぽん、と薫が美佳の頭を軽く叩いた。

「それに、美佳にだけ負担がいかないように、僕がいるはずなんだけどね」

「……。言ってくれるじゃない。そういう台詞は、もう少し彼氏としての自覚と甲斐性を持ってから言ってよね」

棘のある台詞だが、それに反して美佳の表情は和やかなものとなっていた。緊張が解けたわけではないが、気負いや怒りと言った感情が削がれている。

「酷いなぁ〜。これでも努力はしてるんだよ?」

それを見て、薫は美佳の台詞と共に苦笑した。

「しゅっ!」

と、焦れた感のある健吾が、鋭く踏み込んできた。

薫は、健吾が踏み込みと同時に放ってきた突きを、左手の甲で弾く。そのまま懐に潜り込み、数度拳を叩きつけた。

そして、すぐさま距離をとる。

だが、健吾は距離をとるつもりなど無い様子で、すぐさま薫が作った空間を詰めてきた。

「なっ!?」

薫が、驚愕とこれから来るであろう衝撃備えてに身を固くする。

「うおっ!?」

と、健吾は足下から急に地面の感触が無くなったことに、驚きの声を漏らす。それと同時に、上へ向かう感触を全身で味わっていた。

大きく強制的に浮遊させられた健吾は、バランスと共に距離を取り、楓の隣へと見事に着地した。

「い、今のは……?」

しかし、事態を把握できているようではなく、呆然とした呟きを漏らした。

「重力を上に操ったみたいですね」

「そんな芸当が……!?」

飄々とした楓の言葉に、健吾は信じられないとばかりに声を張り上げた。

重力を操る事を得意とする生徒は稀とは言え存在する。だが、重力とは本来上から下へ向かって働く力だ。それをねじ曲げるなど、常識で考えれば不可能だ。

「出来る使役獣もいるでしょうね。それに、今のは……重力を直接操るというよりは、重力の方向性を操ったみたいですし」

「方向性……だと?」

「ええ。今かかっているプラス1の重力を0を経てマイナス1にしたわけではなく、プラス1を上下入れ替えた……恐らく、重力に限定した空間の操作。そうですよね?」

穏やかな笑みを浮かべながら、楓は美佳に視線を向けてきた。

「はぁ……。なんでそんな簡単に見破っちゃうんですか? ばれないように、一瞬しかやってないんですけど」

大きく溜息をつき、美佳が髪を掻き上げた。だが、その表情に悲愴の色はない。

「薫、後どれくらいいける?」

「通常の出力で5分が限度。でも、それじゃ負けるね。出力を最大まで上げれば、2分。勝ちの確率はこれで半々かな。現状なら、ね」

「賭けの要素が強いわね。……ま、しょうがないか。目標1分半。行くわよ!」

「オーケー!」

だん、と薫が地を蹴った。そして、一瞬で楓と健吾との間を詰めた。それと同時に美佳の台詞が上がる。

「グリー! 出力最大!!」

「なっ!?」

先ほどまでとは明らかに違う薫の動きに、健吾が驚愕の声を上げる。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

薫の口から裂帛の咆哮が上がる。

「くっ!」

薫が放つ拳を避けようと、健吾は体を捻る。

だが、突如として体が重くなり、動きが阻害される。

驚きの声を上げる間こそあれ、健吾の土手っ腹に薫の拳がめり込んだ。

「があ……」

健吾の目が、苦悶に見開かれる。薫はそこで追撃をかけず、わずかに後ろへ飛ぶ。

そして、着地と同時に健吾の顔に蹴りを放った。

健吾の体が、衝撃に吹き飛ぶ。

「『雷槍被弾』!」

わずかに遅れて、楓が魔法を放った。黄色い槍が中空に現れ、楓の手の動きに従って、薫へ飛翔する。

薫は、蹴りを放った体勢から足を戻している最中で、避けることは出来ない。

しかし、命中の瞬間、槍はその進行方向を突如変えた。

「なっ!?」

楓が、かろうじて自分の方へと向かってきた槍をかわす。槍は楓の背後にある結界に当たり、弾けた。

「ひゅッ!」

原因を探るよりも早く、薫が呼気を吐き出し、楓に向かって後ろ回し蹴りを放ってきた。

それを、かろうじて腕で止める楓。

「ぐっ……!」

だが、その重さは並ではなく、一瞬の停滞の後、楓の体は宙に浮かび、そのまま数メートルを吹き飛んだ。

「サラマンダー!」

楓が吹き飛ぶと同時に、美佳が使役獣の一つに声を飛ばす。

直後、赤い小型のトカゲが喉を逸らした。そして、その体の数倍はあろうかという火球を中空に造り出す。

「行け!」

美佳の声と共に、サラマンダーは逸らしていた喉を勢い良く戻す。すると、火球は真っ直ぐに楓へと向かっていった。

「ひゅぅぅぅ……はぁっ!」

そして、薫はサラマンダーが火球を飛ばすのと同時に健吾へと接近し、拳を放った。だが、これは余裕でかわされる。

カウンター気味に放たれた、横腹を狙っての拳を、薫は膝を曲げて高さを合わせ、肘で逸らす。そのまま肘を伸ばし、地面に手を着けて激突を避ける。

刹那、手の平を起点として体を回転させる。

「うおっ!?」

不安定な体勢から足払いをかけられた健吾は、為す術も無く体を傾がせる。

だが、薫の神懸かり的な連撃は止まらない。

回転の勢いを利用して腕立てのような体勢に移り、ブレイクダンスのように、足払いをかけた足とは反対の足を跳ね上げる。

薫の踵が、見事に健吾の脇腹に突き刺さった。

「ぐふっ……」

苦悶の呻きが健吾の口から漏れた。

その直後、どごん、という鈍い音と共にとてつもない熱風が辺りを縦横無尽に吹き荒れた。

薫は、その熱風の勢いを的確に利用して立ち上がり、体勢を整える。

そして、油断無く注意を払ったまま、美佳の近くへと後退した。

「うく……」

直後、楓が呻きと共に起きあがった。ほぼ同時に、健吾も体を起こしている。

「二年の分際で……やってくれんじゃねぇか」

敵意、殺意、憎悪……負の感情を全て入り混ぜたかのような健吾の声。そして、視線。それは、既に常軌を逸している。

「俺は……お前らみたいなヤツらに負けるわけにはいかないんだよ……」

そう言って、健吾は素早く指を動かし、陣を描いた。

「陣の理を以て 鎖の崩壊を招く」

そして、唱うように呪文を紡ぎ始めた。陣は、まるで何かに操られているかのように、滑るような滑らかさで面を地面と平行にした。

すると、薫と美佳、そして使役獣全てを内に含む陣がぼうっと地面に浮かんだ。それは、大きさこそ違えど、健吾が描いたものと寸分違わぬものだった。

「ちょっ、これ何!?」

ぐるぐると陣が回転し始めたのを見て、美佳が引きつったような声を上げた。

「我が力を以て 具現を導かん」

そう唱え、健吾は目の前でぐるぐると回転している陣の下に手を添えた。

すると、陣が今度は縦回転を始めた。その速度は高速を更に上回っており、複雑な幾何学模様が、回転によって立体の図柄であるかのような様相を現した。

そして、速度が最高潮に達し、もはや回転している事実を目で確かめられなくなった時――突如として、その中にいる全てのものの表面に、黒い線が浮かび上がり始めた。

黒い線は、徐々に全身へと広がっていく。

「それは!? やめて下さい! 失格になりますよ!!」

その正体に思い至った楓が叫びを上げるが、健吾は全く聞いていない。

「シルフ!」

美佳が声を飛ばす。直後、風が唸りを上げた。

だが、風の刃は回転している陣に――いや、その境界に弾かれ、霧散する。

すでに、向こう側とこちら側――陣が作った境界によって、その二つは完全に別世界として区切られているのだ。

その様を見て、健吾が面白そうに顔を歪めた。そして、口を開く。

「秩序ある力となりて我が前に立ちふさがりしものを滅……」

滅ぼせ、と完結させようとしたところで、数個の影が健吾めがけて攻撃を放った。全てが素手の攻撃だが、その全てが急所を突いている。

健吾は目を見開き、がくりと前に倒れた。それと同時に、陣が崩壊し、その中にいたもの達に浮かんでいた黒い線が溶けるように消えていった。

「ったく、とんでもないな。序列戦でSランクを放とうとするなんて」

「間一髪ですね、ほんと」

「おーい、誰かこいつ拘束してどっか放り込んどいてぇな。もう平気やさかい」

口々に安堵の声を漏らす闖入者達。

それは、序列戦のために特別編成された、教師達による警護チームの一つだ。規定違反を見つけた場合、その対処に当たることを目的とするチームである。

今回は、序列戦規定第三条にある『学園規定におけるSランク技能の使用の一切を禁ずる』という規定に違反したために、乱入してきたのだ。

「危なかったな。もう少しで、分子レベルから崩壊してるところだったぞ」

警護チームの一人が、そう声をかけてきた。

「分子レベルって……」

「さっき、お前らの体に浮かんだ黒い線は、体の結合線――その、中心的な部分だ。さっきのは、それを崩壊させる陣だったってわけさ。体の結合が崩れれば、それは連鎖的に広がっていき、最終的には分子レベルの崩壊を引き起こす。範囲魔法の究極型、完全殲滅型Sランク魔法『連鎖壊陣』だ」

「ま、ギリギリで助かったんやさかい、素直に喜んどき。明らかな規定違反やからな、お前さんらの勝ちや。んじゃ、後は任せたで」

審判員を務める同胞にそう言ったの皮切りに、警護チームは闘技場を降りた。

「これにて、試合終了。新条 楓・真名尾 健吾ペアの序列戦規定第三条違反により、鴻 美佳・十翔 薫の勝利とします」

審判員がそう宣言すると、美佳が使役獣をすぐさま戻す。同時に、薫も継続していた力鳩強化魔法を解く。

「まさか、反則負けになるなんて思ってもみませんでしたよ。でも、逆に言えば、そうでもしなければ勝てないと真名尾君は判断したということです。胸を張って次へ進んで下さいね」

楓は、負けたというのに、妙に晴れ晴れとした表情で言ってきた。だが、反対に美佳達の表情は浮かばない。

「あの、新条先輩。私達、棄権するんで、上行って下さい」

やや間を開け、それでも戸惑いがちに美佳は言った。

「え!?」

あまりの台詞に、楓は目を見開く。そして、ちらりと薫へ視線を巡らす。薫もしっかりと頷いた。

「し、しかし……」

「もう、余力無いんですよ。かなり無理したんで、体中ガタガタで……」

「あ……」

どうやら、楓も合点がいったようである。

薫の使った魔法は、肉体を酷使するために長時間の使用は非常に危険だ。本来は、加速的な意味合いで一撃必殺を狙うための魔法なのである。

そして、使役魔法も、多数を同時に召喚し続けるというのは消費が激しく、時に命を落とす危険性をはらんでいる。その危険性をあえて無視し、複数の使役獣を、タイムラグ無しで使用するために同時召喚を行ったのだろう。

二人が行った方法は、短期決戦を行うには効果的だが、もつれ込んでしまうとだんだんとその代償が体を蝕んでいく。恐らく、二人は立っているので精一杯なのだろう。

「……これがただの負けなら、委員会の審査待ちで上に行けるかもしれませんね。でも、今回のはどう考えても無理でしょう。仮に進めたとしても、私は自分達の責任を忘れてまで這いつくばるような恥知らずじゃありませんよ」

楓は、真剣な眼差しでそう述べた。

「……それでは、鴻 美佳・十翔 薫ペアはここで棄権、ということで良いですね?」

「はい」

「構いません」

美佳と薫は、揃って答えた。

 

 

「それでは、これより序列戦本戦、三回戦第一試合を始める」

審判員が、腕を上げて高らかに宣言した。

途端に、辺りに緊張が走った。特に、和広と燐、そして荒瀬 誠の間には、プラズマでも発生していると言わんばかりに緊張度が高い。

「始めっ!」

審判員が腕を振り下ろした。

「『雷槍被弾』!」

間を置かず、和広が先手を打った。得意の雷槍被弾を飛ばす。

だが、誠は悠々とその射線上から体を外した。

そこへ、燐が飛び込んでいた。避けられる事など、端から予想していたことなのだ。

「はぁぁぁッ!」

飛び込んでの薙刀による横薙ぎの一閃。それを、誠は手の平をかざすことで受け止めた。

だが、燐は驚いて身を固めたりしない。燐の目は、その手の平に小さな陣が浮かんでいる事をしっかりと見ている。

同時に、燐は攻撃を止めもしなかった。

すぐさま薙刀を引きつけ、体を横に滑らし、石突きを誠の脇に叩き込む。だが、誠は、即座に横に飛んだ。

しかし、それでも避けきれずに石突きが脇に当たる。ダメージはほとんど無い。

「『雷槍被弾』!」

直後に和広の声が響き、着地点に槍が飛んできた。

「くっ!?」

誠が小さく驚きの声を上げ、陣を浮かび上がらせた手の平を槍に向ける。

槍は陣に当たり、ばじりと電撃特有の音を響かせて弾ける。

「あぐっ!?」

直撃こそ免れた誠だったが、その威力全てを殺しきることは出来ず、電撃を喰らってしまった。

びくん、と一度だけ、誠の体がこらえきれずに痙攣した。

「お見事ね。大分成長したみたいじゃない、林君、黒鞘さん」

一瞬だけ体をよろけさせた誠が、そう言って嬉しげな表情を浮かべた。

「その言葉、そっくりお返しします、荒瀬先輩。学園の麒麟児と言われた実力は健在どころか、ますます磨きがかかってるみたいですね」

和広も、そう言って嬉しげな――いや、こちらは皮肉げな表情を浮かべた。

「今年はぁ去年みたいにはいきませんよぉ」

燐は、相変わらず間延びした、それでいて緊張した面持ちでそう返した。

荒瀬 誠は、魔法において百年に一度と言われる才の持ち主で、その実力は天才と称してもなおあまりあるくらいだ。

そんな誠は、女性の身ながら1年の内から一人で序列戦に参加しており、順調に好成績を修めている。去年など、十位入りしたほどだ。

今年は、目下ナンバー1候補と言われ、ダントツの注目を浴びている。実は和広と燐が去年、本戦でボロ負けした相手というのが、この誠だったりする。

今回の試合は、和広と燐にとってはリベンジに当たり、誠にしてみれば、もう油断の出来ない、一枚の壁となって立ちはだかるまでに成長した者との再戦に当たる。

どちらにとっても、非常に意味のある戦いと言えるだろう。

「ええ、今ので去年とは大違いだって事、よく分かったわ。お互い、楽しい試合になりそうね」

そう言って誠はポケットに手を入れた。

「?」

和広と燐が、揃って怪訝な顔をした。

そんな二人の視線の元、誠は髪留めのゴムを取り出した。そして、その艶やかで長い髪を慣れた手つきで結んだ。

「荒瀬先輩が……髪の毛結んだぁ」

燐が、口をぽかんと開けて驚きを露わにした。

「全く……光栄だな」

そして、和広はやや面食らった感じながら、嬉しそうな表情を浮かべた。

荒瀬 誠は、その実力から滅多なことでは余裕を無くさない。だが、ひとたび本気になれば、そのトレードマークとも言える髪の毛を結び、その現れとする。

誠が髪を結ぶということは、相手を本気で戦うべき相手と認めたことに他ならないのだ。

「私もこんな所で負けるわけにはいかないからね。全力で相手させてもらうわ」

そう言った瞬間、誠が地を蹴った。

「なっ!?」

誠は、瞬き一つの間に燐の懐へと潜り込んでいた。そして、燐が驚愕に身を固めて反応できずにいる間にその襟と袖を掴み、体を反転させた。

「はっ!」

誠の短い呼気と共に、ふわりと燐の足が地面から離れる。そして、背負った形になる燐を、和広めがけて投げ飛ばした。

「きゃぁっ!」

「燐!」

和広が、前に出て燐を受け止めた。

「『水月乱刃(すいげつらんじん)』!」

誠は一切の間を与えるつもりが無いらしく、すぐさま魔法を放った。

燐を受け止め無防備な和広の周囲に、十数個の水で出来た半月が浮かび上がる。それらは、四方八方から和広と燐に襲いかかった。

「あぐっ……」

「きゃぁっ!」

衝撃に、和広が燐を取り落とす。燐は何とか受け身を取るも、狙い澄ましたかのように半月が燐にも襲いかかってきた。

避けることも迎撃することも叶わぬ和広と燐は、急所を何とか庇うのが精一杯だ。一度に留まらず、半月は鳥のように旋回し、幾度となく和広と燐を襲う。

「空の理を以て 風を紡ぐ。『昇巻飛翔(しょうかんひしょう)』!」

和広が、腕を振り上げた。

すると、そこをめがけて周囲の空気が集まり、そして上昇していく。その流れはすぐさま大きくなり、一つの竜巻となる。

和広と燐の周囲を飛翔する半月は、その流れに巻き込まれ、遥か上空へと飛んでいく。

数秒で収まった竜巻の後には、全身に切り傷を作り立つ和広と、同じく全身に切り傷を作り膝立ちする燐だけがいた。

と、無駄口を叩くこともなく、燐はその体勢から地面を蹴って立ち上がり、誠へ向けて走り出した。

「『炎軌刃(えんきじん)』!」

燐がそう叫ぶと、薙刀の刃が炎を纏った。

下からすくい上げるように、燐は斬撃を放つ。すると、炎は尾を引くように伸びながら、刃の流れに従って誠に迫る。

誠は、地面を蹴って横に大きく飛んだ。

「むぅぅぅぅ!」

燐は、その動きに合わせて体を向け、力任せに刃の進行方向を変え、振り下ろす一撃へと変えた。

「くっ!」

着地した瞬間、誠は片足で更に横へと飛ぶ。だが、その跳躍は十分な距離を取れるものではなかった。

炎を纏った薙刀が、迫ってくる。

「!」

誠は、咄嗟に体を捻り、次いで両手をつきだした。突き出した両手の平には、体の幅を隠してあまりある陣が浮かんでいる。

その陣に、薙刀が叩きつけられた。

「ぐふっ!」

誠が、背中から伝わってくる衝撃に声を漏らした。直撃こそ避けたものの、その勢いに押され、背中から叩きつけられたのだ。

だが、陣は揺らぎもせず、燐もそこから追撃をかけることは叶わない。

「水の理を以て 氷を紡ぐ。『氷球降針(ひょうきゅうこうしん)』!」

和広が、魔法を発動させた。

誠の真上に直径20センチはあろうかという球体が出現した。誠は、その魔法に思い至り、すぐさまその下から逃げようとする。

だが、燐は薙刀に込める力を一切削ごうとはしない。それどころか、陣ごと誠を押しつぶさんと更に力を込めてくる。

さすがに、そうなってくると誠も力を緩めるわけにはいかない。対抗し、押し返す力を更に強くする。

そんな刹那のやりとりの間に、球体の下部が鋭く盛り上がった。そして、重力に引っ張られるようにずるずると球体から伸びていく。それはあたかも、つつらが急速にできているかのようである。

そして、それが次々に現れては同じように伸びていき……やがて、耐えきれなくなったようにばらばらと落下し始めた。

つららは、重力によって加速され、誠めがけて落下していく。

と、つららの落下範囲内にいた燐が、自らにつららが接触する寸前、たん、と背後に飛んだ。

直後、誠が魔法陣を解除し、地面を転がった。

だが、燐がギリギリまで引きつけたため、完全に避けることは叶わなかった。

「あぐっ……」

一本のつららが、誠の腕に突き刺さった。

だが、誠は顔をしかめながらも更に体を移動させる。まだ、落下範囲から逃げ切っていないのだ。

そして、範囲から完全に抜けたところですぐさま起きあがった。

「一発か……」

和広が小さく舌打ちした。

やはり倒せるとは思っていなかったが、もう少しはダメージが与えられると目論んでいたのだ。

「『万止盾陣(ばんしじゅんじん)』の性能を逆に利用して動きを封じてくるなんてね……驚いたわ」

傷口を押さえながら、誠は不敵に笑った。

「あのタイミングでそこまで避けるんですからね……ほんと、化け物ですか? あなたは」

「その化け物と互角に戦ってるそっちも、十分に化け物じゃないかしら?」

和広と誠の視線が絡みつき、火花が散る。

と、そこに銀閃が割り込んだ。

誠は、咄嗟に体を沈める。その頭上すれずれを、薙刀の刃が通り抜けた。

誠は、すぐさま膝を伸ばすと同時に、腕をしならせた。

「かは……っ」

燐の胴に、誠の突きは見事に入った。

「燐!」

和広が叫びを上げ、走り出した。

「和く……ダメ……」

燐が、振り絞るように声を発した。

「遅いわ」

だが、誠はそう宣告する。

それと同時に、燐をギリギリ円周上に巻き込む範囲での陣が地面に浮かび上がった。

「なっ!? しま……!」

自分の足下に浮かび上がった陣を見て、和広が己の迂闊さを呪った。

だが、行動を起こす暇も与えられず、次の瞬間、その陣から大量の風が吹き昇った。

「きゃぁぁぁぁっ!」

「うわぁぁぁぁぁぁっ!」

かまいたちを伴った竜巻が、陣一杯の大きさで上昇していく。その中に、和広と燐は巻き込まれてしまった。

数秒後、竜巻は唐突に消滅した。

「……あ、まずいわね、これ」

視線を上げ、竜巻の行く末を見守っていた誠が、ぽつりと呟いた。その視線の先には、遥か上空で小さくなっている二つの影がある。

その影は、動くことなくぐんぐんと落下してくる。

「空の理を以て 風を紡ぐ。『風場蹴跳(ふうばしゅうやく)』」

誠は、しばらくの間、影の落下を見守り、そして魔法を唱えた。

そして、たん、と軽く地面を蹴った。だが、その軽い蹴り方とは裏腹に、誠の体は弾丸のように急速に上昇していく。

そして、落下してくる和広と燐をそれぞれの手で掴んだ。

思った通り、和広と燐は完全に気絶している。

(ま、これだけ斬られてあれだけ急上昇させられれば、私でも危ないし、無理も無いか)

二人の、更に酷くなった全身の切り傷を見て、誠はそう思った。

やがて、誠の体の上昇が止み、落下が始まった。

そして、すたん、と軽快に地面に降り立った。

「う……」

二人を降ろすと、和広がうめき声を上げて目を開いた。

「気が付いた?」

「……」

自分を見下ろす誠の姿を見て、和広が一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた。

しかし、直後に自らの身に起こったことと結果を思い出し、そして合点がいった。

みるみるうちに、表情が苦々しいものへと変わっていく。

「勝者、荒瀬 誠!」

そして、審判員の宣言が、それを何よりも肯定していた。

誠の勝利という予想通りの結果と、和広と燐の大健闘という予想以上の結果に、周囲から大歓声が上がる。

誠は、そんな大歓声の中、勝利への喜びも、敗者への慰めも何も言わず、静かに歩き始めた。

 

 

ワァァァァッ!!

 

「あ……どっかの試合、終わったみたいね」

疲れ切った表情の美佳が、大歓声を耳にしてぽつりと呟いた。

「それは良いんだけどさ……美佳、お願いだからどいてくれない?」

と、その声に、美佳の下から返答があった。薫が、美佳の下敷きにされているのである。

「あーごめん、もーちょっとこのままでいさせて。体動かないし」

「いや、だからってね……なんでわざわざ僕の上にいる必要があるの?」

うつぶせになって地面に倒れている薫の上に、美佳はうつぶせで折り重なっている。その上、口は動いていても体はほとんど動いてないわけだから、端から見てると、まるで死体が折り重なっているように見える。

「良いじゃない、役得なんだし。大きいとは言わないまでも、標準はあるんだから」

「あ、いや、それはそう……だからそうじゃなくて…………」

「やっぱり、薫も男の子だね。ほら、ほら」

力無く、それでもからかいの口調で言いながら、美佳は体をもぞもぞと動かす。

「だ、だからやめ……」

あっと言う間に薫が、意識したせいで余計に過敏になった、背中を伝わる柔らかい感触に顔を赤く染める。

「お前ら……何やってんだ?」

と、そんな微笑ましくもはた迷惑なやりとりをしている二人に、心底から呆れかえった声がかけられた。

「あ、その声……和広君?」

薫が、背中から意識を外そうと、声の方に注意を向けた。

「ああ、今終わった」

「……燐は?」

美佳が、こういうときは真っ先に声をかけてくるはずの声が無いことに、訝しげな声をかけた。

「ああ、大丈夫だ……。まだ、気絶したままだが」

「気絶……って、燐が!? ……ああぁぁッ!?」

「ぎゃぁぁぁぁ、美佳、動かないでぇぇぇぇ」

あまりの言葉に驚いて体を動かそうとした美佳が、体中から上がる軋みに悲鳴を上げた。そして、その二次災害を薫が被った。

「気絶なら、10数秒だが俺もしてた。まさか、魔法でやられるとは思わなかった。……まんまといっぱいくわされたよ」

淡々とした口調の中にある感情を、美佳は読みとれなかった。だが、例え面と向かっていたとしても、美佳は和広の中にある感情を察することはできまい。

だから、美佳は一言だけ確認した。

「ひょっとして、荒瀬先輩だったの……? 相手」

「ああ」

和広からは簡潔な答えしか返ってこなかった。だが、それだけで美佳は全てを察することが出来た。

「でも、まさか和広君と黒鞘さんが……」

しかし、薫はやはり信じられないらしい。

「鴻、燐を頼む。傷そのものはほとんど治ってるから、後で医務室に連れていってやってくれ」

「あ、うん、良いけど……でも、私達、まだしばらく動けないよ? あんたが連れていった方が良くない?」

「そうしたいのはやまやまだが……燐がいくら軽いとは言え、これ以上は無理そうなんだ。かなり出血したせいか、力がほとんど入らない」

「あ、そうなの。うん、分かった」

「んじゃ、寝かせておくから頼む」

美佳の了解を取り付け、和広はその横に寝かせようと、支えていた燐を降ろそうとする。

「うっ……」

だが、全くもって体に力が入らないらしく、膝を僅かに曲げただけで、がくりと体勢を崩してしまった。

「ぐっ……」

「あぐ……」

そして、運が悪いことに、ちょうど美佳と薫の上に燐が倒れ込んでしまった。

「……すまん、もう、本気で限界らしい。目の前が揺れてやがる……」

そう言って、和広はこめかみを押さえながらなんとか立ち上がる。

「このまま医務室行く…………」

「ちょっ、待ちなさいよ、せめて燐をどけてから……」

和広の言葉に、美佳が慌てて静止をかける。

しかし、和広はすでにそんな言葉など耳に入らないらしく、酷く危なっかしい様子でふらふらとしながら、医務室へ向かって歩き始めた。

「こら、和広、マジでどけてから行きなさいよーーーーーーーー!」

美佳の必死の叫びも、虚しく響きわたるだけだった。

 

 

月の明るい草むら。

ふいに、さくり、と草を踏みしめる音が背後で鳴った。

「……隣か」

背中を向けているにも関わらず、和広はその足音が誰の物であるのか、一切の疑いも無く言った。

「うん〜」

そして、嬉しそうな燐の声が答えた。と、同時に和広の背中に飛びついてきた。

「ん〜〜」

そして、そのままの体勢で、燐は自らの頬を和広の頬にすり寄せる。その表情は、心から幸せ、と言ってはばからないほど、至福に満ちていた。

「おいおい……」

その、ある意味思いがけない燐の行動に、和広は苦笑を通り越して、思わず呆れた声を出してしまう。しかし、燐はそんな和広の言葉など全く意にかえそうとはしない。こういう時、燐は本当に人の話を聞かない。これが他人の目があるところなら問答無用ではがすのだが、今は人気もない。和広は、燐の好きにさせることにした。

やがて満足がいったのか、燐は頬ずりをやめ、和広の隣に腰を降ろした。

「体はもう大丈夫なのか?」

「うん〜。ゆっくり寝てぇご飯食べたからぁもう大丈夫だよ〜」

「そうか」

燐の相変わらずいつもと変わらない間延びした声に、和広の表情が安心に緩む。

「あ、これぇ〜」

そう言って、燐は和広に小さな包みを差し出した。

受け取り、和広が怪訝そうに首を傾げる。

「なんだ、これ」

「おにぎりだよ〜。和くん、ご飯食べてないでしょ〜? 少しでも食べておかないと〜倒れちゃうよ〜?」

「……食べてたらどうするつもりだったんだ?」

「大丈夫だよ〜。和くん、こういうときにぃご飯食べられる程神経太くないもん〜」

にっこりと笑顔を浮かべながら、燐は言い切った。その様子に、和広は思わず苦笑する。

「燐、お前、それ墓穴掘ってるって分かって言ってるか?」

「へ?」

「自分が神経図太いって言ってるんだぞ?」

「あ……」

和広の指摘に、思わず「あ」の状態に口を開いて固まってしまう燐。

「あ、でもでもぉ、そんなことないよ〜。今回のことだってぇきちんと責任感じてるしぃ……」

「うん? なんで燐が責任感じるんだ?」

包みを開きながら、燐の言葉に和広はきょとん、と聞き返す。

「だってぇ……わたしがもっと注意してればぁ勝てたかもしれないのにぃ……」

俯いた燐の口から出てくる言葉は、どんどんと尻つぼみになっていく。

あの戦いを思い起こしてみて、燐は燐なりに強く責任を感じているのだろう。

そんな様子を見てとった和広は、ほおばったおにぎりを飲み込み、言った。

「それはどうだかな。本気だ何だと言いながら、荒瀬先輩、まだまだやれそうだったしな……。正直言って、俺にはもうほとんど手なんか無かったし。どうせ、あれをしのいだり、ああならなかったとしても、別の方法でやられてただろうよ」

それは、和広の確信だった。

実際、序列戦に出てくる人間は、隠し玉の一つや二つは持っているものだ。だが、誠はそう見えるものを何一つとして出してない。ほとんどが前に使ったことがある魔法であった。

それに関して言えば和広達も同じだが、こちらは単純に隠し玉を出す前にやられたというのが正しい。

「でもぉ……和くんにとって序列戦は大切なものなのに…………」

だが、燐はそんな和広の言葉でも納得できなかった。

先の展開はどうあれ、結果として自分が原因で負けたことに変わりはないのだ。結局、勝ちが薄い以上、どちらかの責任で負けるわけだから、自分を責めても仕方のないことだと分かってはいるのだが、それでも簡単に納得できるものでもない。

それが、和広にとって重要な意味を持つものであればなおさらだ。

「なぁ、燐。俺が、なんで夏休み、あんな補習に付き合ったと思う?」

燐の考えていることを察した和広が、そんなことを問い掛けた。

「え?」

「やろうと思えば、あんな補習やらなくても、単位はたぶんなんとかなっただろうな。これでも、教員には顔が利くんだ。ま、ある種の反則なのは確かだが……序列戦のためなら、なりふり構ってる余裕なんて無いしな」

「うん……」

「でも、なんかそれって違うな、って漠然と思ってたんだ。明確な答えは、大分後になってから出てきた。燐、言ったよな? いつ死ぬか分からない、だから楽しい思い出が欲しい、って。それ言われた瞬間、思ったんだ。『ああ、俺も燐といたいんだ。戦いの中でじゃなくて、普通の世界で燐といたいんだ』ってな。俺は、学園の生徒である黒鞘 燐を好きになったんじゃない。いつも俺の隣にいてくれる黒鞘 燐を好きになったんだからな。負けたのは悔しい。でも、今の俺には、そんな勝ち負けより、燐の方が大切なんだ。燐が無事で、笑顔でいてくれることが、大切なんだよ」

「和くん……」

その言葉に、燐の目尻に涙が浮かぶ。和広はそれを見て、こつりと燐をつついた。

「こらこら、泣く奴があるか」

「えへへ、ごめん。なんか、わたしって和くんに励まされてばっかりだね」

涙を拭いながら、燐はようやく心から笑顔を見せた。

「そんなことはない。俺は言葉でしかこういうことができない人間だ。けど、燐はそれを雰囲気で出来る。燐は知らないのかもしれないが、俺はいつも励ましてもらってるんだよ」

そう言って、和広はわしゃわしゃと燐の頭を撫でた。くすぐったそうに、燐が肩をすくめて満面の笑みを浮かべる。

煌々と輝く月が、そんな二人を淡く照らし続けていた。

 

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