景色が、森に乱立する木々が、視界に入っては出ていく。
 息は乱れていない。去年、敗退寸前に追い込まれる原因ともなった体力面は、確実に訓練の成果が出ている。

「そろそろ、出てくる頃だな。油断するなよ、燐」
「うん〜」

 自身の成長を確認しながら走っていた林 和広は、併走する黒鞘 燐に声をかけた。さすがの燐の声にも緊迫感が混じっている。

ぐおぉぉぉ!!

 突如、目の前に熊が現れた。
 だが、それはただの熊ではない。発達した筋肉は屈強な鎧となり、武器となる。そして、その左腕は、まるで甲羅のようなもので覆われている。金属のような反射をするその腕は、何物をも弾く防具であり、武器。

ぶおんっ!!

 風を切り裂く低い音が辺りを駆け抜ける。和広と燐は、それぞれ左右に跳び、一撃を避けた。
 からぶった腕は勢いを殺すことなく振り下ろされ、地面をえぐりとる。すさまじい衝撃音とともに、土塊が吹き荒れた。

「空の理を以て 雷を紡ぐ。『雷槍飛弾(らいそうひだん)』!」

 着地と同時に、和広の詠唱魔法が発動した。『呪』を唱えると、掲げた手の平の上に、握り拳大の球体が浮かび上がる。そして、『意』を唱えると同時に手を振り下ろすと、球体が熊に向かって飛翔した。
 その直後、『意』に則って、その姿を一条の槍へと変化させた。
 熊が、燐と和広のどちらを狙うべきか考えているその一瞬のうちに、槍は目標に到達、突き刺さり、弾けとんだ。

ぐるぉぁぁぁっ!!

 空間が叫びにきしみをあげる。

「『灼刃(しゃくじん)』!」

 熊の叫びが終わる前に、燐が叫んだ。次いで、神速の踏み込みで開いた空間を埋め、得物の間合いに入る。

「裂!」

 横薙ぎに薙刀が振るわれた。赤い線が、軌跡となって浮かび上がる。それは、熊の胴体を上下に両断するように真っ直ぐ流れていた。
 次の瞬間、二人は熊の背中に回っていた。しかし、それは追撃を加えるためではない。なぜなら、二人はそのまま前方へ駆けている― 熊の背中から遠ざかっているのだから。

ずどん

 二人の速度が、襲撃前に戻った頃。重い音が響いた。二人には、見なくてもそれが何の音か分かっていた。
 それは、熊の上半身が地面を打った音。すなわち、絶命の証拠だ。

「今年は、大丈夫そうだね〜」
「去年と同じミスはしない。今年は、あんな無様な――拾った勝ちなどで本戦には進まない」

 ぎりりと、奥歯を噛みしめる和広。去年の苦々しい記憶が、心の中で決意という炎を燃やしている。
 去年、燐と和広は今年と同じようにペアを組んでいた。頭角は現していたが、それでも一人で出るにはまだまだ厳しい。だが、十分に参加資格はあった。それをむざむざ捨てるのは勿体ないということで、担任が薦めてきたのだ。最初は誰ともうち解けていなかった和広だったが、ある時を境に、燐とだけはいくらかうち解けてきたのを感じた担任の処置だった。
 だが、予選とはいえ、この序列戦を勝ち抜くのは非常に厳しく、二人は初めて体験する『実戦』に圧倒されっぱなしだった。
 その結果、冷静さを欠いた和広がスタミナ切れになり、モンスターに大怪我を追わされてしまう。ギリギリの状態でなんとか自走して粘り、最後の最後に前のペアがスピードダウンしたため、追い越してなんとか本戦には残れた。だが、根本的な力が違いすぎた。怪我を治に足りるだけの期間は与えられていたが……怪我など、問題にはならばかった。結果は、1回戦敗退――しかも、一撃でというさんざんなものだった。

「今年は……今年は、必ずのし上がってみせる」

 吐き出される激情。だが、それが去年とほとんど変わらない状況を作り出している。

「和くん。焦っちゃダメ。大丈夫。私がいるから」

 だが、去年とは違う。構図は同じだが……決定的なまでに精神面が違う。お互いがお互いを助け、支える関係だから。

「そうだったな。お前も、無茶はするなよ」
「うん〜」

 改めて感じる、自分達の間にある信頼関係― 去年はなかった。
 だが、今年は違う。能力的にも精神的にも――二人はおおいに成長し、再びこの場に戻ってきたのだから。


「第一通過者、林 和広・黒鞘 燐ペア。第二通過者、両国 朝美・千鳥 誠司ペア」

 審判員が、高らかに宣言する。

「両国先輩と千鳥か。ほぼ同時刻……。厄介だな」
「どうして?」

 和広の苦々しい声に、燐は小首を傾げてみせた。

「体育科同士の組み合わせは、バランスが一見悪いようだが、ペアの相性が良ければ数倍の力を発揮できるんだよ」
 肉弾戦専門の体育科は、身体能力が他科に比べて異様なまでに高い。連携を組んで一撃必殺で突撃されると、他科の人間では対抗しようがない。ペアの相性によっては、無敵となりうるのだ。
 だが、それでも、先行して通過できる自信はあった。それは、このペアが基本的に三年の両国 朝美に頼っているからだった。
 千鳥 誠司も、決して弱くはない。だが、三年と比べてしまうとどうしても見劣りしてしまい、自衛が多くなってしまう。そのため、一つ一つの関門を抜けるために時間がかかるのは必定と言える。ルートの被りによって直接対決にさえならなければ、総合戦闘力で勝っている自分達の方が遥かに速く進むことが出来るので、かち合うことなく突破できると予想していたのだ。

「正直、この時間差は予想外だった。どっちが原因かは分からないが……思った以上にポテンシャルが高いらしい。ゴール付近で、ぶつかる可能性が高いぞ」
「でもぉ……」
「分かってる。スピードに任せた一撃必殺は俺達には通じない。だが、肉体能力そのものが高い。それは、肝に銘じておかないと危険だ」

 この二人は、両方をバランス良くこなす文学科の生徒としては異例と言える。
 和広は魔法に、燐は肉弾戦に極端とも言える強さを発揮する。どちらも、それぞれの科に行って十分通じるほどの実力者だ。そして、それぞれが別方面をも扱うことが出来る。
 そのため、あらゆる状況に対応できるのだ。両方をまんべんなくこなすのではなく、専門を特化させ、その弱点部を補うように他方をスキルアップさせる。
 そうした人間が、和広と燐のように別方面同士で組むと、体育科同士のペアよりも脅威となるのだ。

「まぁ、そこら辺は後でだな。……次のエリアだ」

 和広が、足を止めた。ほぼ同時に、燐が足を止める。
 彼らの目の前には、切り立った壁があった。といっても、一枚岩というわけではなく、岩が積み重なった小山と言った方が正しいかもしれない。

「うーん。高いねぇ〜。一足飛びみたいにはいかないかなぁ〜」
「無理だな。やろうと思っても、撃沈される」

 和広は、敏感に魔物の気配を感じ取っていた。岩の陰の至る所に、魔物が虎視眈々と潜んでいる。さすがに、そばを通る度に攻撃を喰らっていては、進むどころではない。

「どうするのぉ〜?」
「一体一体倒していくのも面倒だな。かといって、全部倒すのもきつい……。燐、少しの間、頼むぞ」
「りょーかい」

 和広が、腕を腹の前で交差した。それと同時に、体内の気が活性化され、辺りに放出される。その影響を受け、服の裾や髪が煽られる。

「陣の理を以て 裏為る風雷を招く」

 唱えながら、交差したままの腕をゆっくりと胸の前に持ってくる。
 次いで、円を描くように腕を外側に回し、手のひらを下に向けるように腰の辺りへ持ってくる。

「我が力を触媒とし 扉を開かん」

 足下に、和広の肩幅一杯くらいまでの魔法陣がぼうっと浮かび上がる。

きしゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!

 肌でなにが起ころうとしているのかを感じ取ったのか、魔物が2匹、和広めがけて飛び降りてきた。
和広をぼうっと見ていた燐が、その気配を感じ取り、瞬時に反応した。

「旋風(せんぷう)!」

 薙刀が、斜めの楕円を描いた。
 跳ね上がった第一閃が左の魔物の左脇腹から右肩までを斬り裂き、返す第二閃が右の魔物を袈裟がきにした。

「秩序ある力となりて 我が前に立ちふさがりしものを滅ぼせ」

 すーっと、和広が腕を真っ直ぐ前に突き出す。魔法陣が、まるで手にくっついているかのように動き、和広の前に固定される。

「『龍滅・烈神(りゅうめつ・れっしん)』!」

 ぽうっと魔法陣が一瞬輝いたかと思うと、次の瞬間には、魔法陣から膨大な力が放出された。
 それは、あたかも龍のような形を取り、岩山に突撃していった。

ドゴガァァァァァァァァァァァァァッ!!

 まるで、爆発音のような衝撃音が響く。その威力はすさまじく、びりびりと辺りの空間を震わせている。衝撃は、周囲の空間を容赦なく煽る。砂埃が舞い上がり、木々が歪む。土塊が舞い、風が二人の服や髪を容赦なくばたつかせる。和広も燐も、その衝撃に吹き飛ばされぬよう足に力を入れた。
 それが収まったときには、和広の前に障害物はなくなっていた。すでに消滅した魔法陣の大きさぴったりの空洞が開いている。
 雷と風の化身・天竜の力を行使する、最高のSランク魔法。陣形魔法と使役魔法、そして詠唱魔法という、現存する全形態の魔法を高レベルで行使できるという条件を満たしてなお、修得が困難と言われる魔法だ。陣形魔法の実力が効果範囲を、使役魔法の実力が制御を、詠唱魔法の実力が魔法そのものの発動を司っている。

「行くぞ」

 そう言って、和広は走り出した。燐も、後に続く。

「大丈夫〜? あんな大技使って」
「威力は最大時の十分の一に押さえてあるし、貫通力を重視した打ち方だから、消費もそこまで激しくない。十分いける」

 龍滅・烈神を含むSランクは、かつては神々が扱う魔法とされ、その威力はお互いを一撃で消滅に至らせるとまで言われた。やがて、魔法は人間に伝わり、Sランクは奥技となって神官達が扱うものとなった。しかし、神々に劣る人間が使うようになった魔法はキャパシティの問題からその威力を格段に下げる形になった。
 だが、それでもSランク魔法が最大の威力を誇るものであることに変わりはない。そして、あれだけの威力を示しながらもそれは和広が放てる最大時の十分の一でしかない。これは、和広の魔法素質がそれだけ高いことを意味している。

「第一通過者、林 和広・黒鞘 燐!」

 高らかな宣言が起こる。しかし、二人は気にした風でもなく走り続ける。

「……ふむ。どうやら、あそこでだいぶ稼げたみたいだな」
「そうだねぇ〜。標準の三分の一くらいの時間で抜けたことになるんじゃないかなぁ〜?」

 先ほどと比べて、後ろとの差が広がっている。この調子で行けば、他のペアと戦わずに済むだろう。それは、手の内を晒す機会を出来る限り減らすことに繋がり、本戦で有利にことを運べる可能性が出てくることになる。

「落とす〜? 次から、結構レベルアップするし〜」

 二人は、今、全力疾走に近い速度で走っている。まだまだ余裕はあるが、あまり過信は出来ない。

「…………いや、まだ大丈夫だ。次のエリアを越えてからでも十分だ」

 しばしの沈黙の後、和広はきっぱりと告げた。確実に体力アップはしているし、無駄な体力を使ってないことを考えれば、ここでのスピードダウンはかえって無駄になる。

「りょうかい〜」

いくらか余裕が出てきたのか、燐の口調は軽いものになっていた。


「広場かなぁ〜?」
「広場……だな」

 珍しく、二人は立ち止まっていた。スピードを重視して進んできた二人にしては、意外な行動だ……が、それだけ、余裕のある戸惑いと言える。
それは、モニター越しに、たとえ別の視点からであっても同じ物を見ている観客も同じだった。先ほどまでとは違った、戸惑いを含んだざわめきに取って代わられている。
 彼らの前には、広場が広がっていた。とは言っても、整備された広場というわけではなく、単純になにもない空間で、結構な広さがある。中心から見れば、200m四方といったところか。
 怪しい気配も感じないし、何かが仕掛けられているわけでもなさそう……そう、つまりは単なる広場。
 しかし、ただの広場が序列戦に使われるわけがない。なんらかの障害になるべきもののはずだ。それは、モニター越しに見ている経験者にも分かっているし、もちろん、被害者(?)である和広と燐もだ。
 二人の戸惑いは、序列戦・予選のある特性からもたらされている。それを説明する前に、序列戦・予選の簡単な説明をしておく。
 序列戦・予選は、特殊な装置を用いて創造・固定した異次元を使う。そして、そこにコースを設定し、抽選によって各リーグに割り振られた生徒が、スタートからゴールまでの順位を競うというものだ。
 スタートラインからどうやってゴールに行くかは完全な自由。求められるのは、途中にある関門をくぐり抜け、ゴールにたどり着くこと。それだけだ。他の参加者を邪魔するのも― 明らかに殺すことを目的としない限り― 許される。
 戦いにおいて『運も実力の内』と言われるように、この序列戦・予選でも運は非常に重要な役割を果たす。リーグごとにコースが違い、どのリーグに割り振られるかは完全にランダムで決定されるのだ。
 各リーグは様々な様相を呈しており、その環境・障害も多彩だ。だが、リーグに設置されるコースや障害は変更されない。通常、最大でも一人三回しか序列戦を体験しない以上、リーグの数そのものが多く、する意味もないのだ。つまり、調べようと思えば、どのリーグがどういった構成なのかを調べることもできる。
 二人のいるSリーグは、開始までに時間があった。当然、過去のデータを参照し、完璧とはいかないまでも対策を練ってきた。しかし、彼らの戸惑いは予想外― というよりは、全く予想していなかったという感じが強い。そう、こんな障害は、過去のデータにはなかったのだ。

「どうしよう……?」
「こういう場合は、どこか魔物が潜んでいるというのがセオリーだが…………そんな場所はないな。こんな視界のきく中で気配を探れないほどの強力な魔物を出すとも思えんし……」

 そして、この予選におけるもう一つの特徴。それは、魔物のレベルが比較的低いと言うことだ。いや、より正確に言うと、レベルが高くとも大量殲滅や一撃必殺の手段を持つ魔物がいないことだ。
 これは、予選による死亡者を減らすための処置といえる。さらに、各所に教官がそれと分からぬように待機しており、万が一の際には助けにはいることになっているのだ。
 当然、そうなれば失格だが、そのおかげで死を免れた生徒もかなりいる。去年の和広・燐のように、参加資格は得られても実戦経験に乏しいペアは、実戦という舞台に立ったときに力を発揮できないことが多い。そういった、未熟な可能性を散らすことをできるかぎり避けるための、いわば防波堤的なものと言える。
 そして、和広と燐はいくどとなく実戦に出ており、気配を探るのに長けている。序列戦で出てくる程度の魔物であれば、眠っていても反応できるだろう。

「とりあえず、進むしかないだろうな。ここを回避するのも手だが……周りにあるの、たぶん、毒草だろう。あまり、歓迎したいものではない。それに、ここで避ければ……今までやってきたことが無駄になる。情報にだけ頼って進む、とは言われたくないだろう?」
「……くすっ。そうだねぇ〜」

 会話からも分かるとおり、実はこの二人、困難な道を選んで通ってきたのだ。
 困難な道とは、すなわち最短距離。一番最初に倒した魔物も、並のペアならかろうじて勝利できるだろう、というくらいの力を持っていた。二番目の山は、簡単な魔法を使い、集団による連携を得意とする魔物の巣となっており、本来であれば非常に時間のかかる場所だったのだ。
 そういった道をわざと選んだのには、ひとえに『外』へのアピールを狙ってのことだった。そのルートを、最速に近い順位で越えれば、それはすなわちリーグでも群を抜いているというのを直接的に分からせることになるからだ。
 もっとも、いくら情報があったからといって、これだけの時間で通れるわけではない。実力という前提があっての話だ。普通であれば、情報を手に入れたらより簡単なルートを探り当てる。

「それじゃぁ〜私から行くねぇ〜」

 すたすたすたと、なんの警戒もなく広場に足を踏み入れる燐。和広は、なにが起こっても対応できるように、体を適度に弛緩させて辺りに注意を配る。
 やがて、燐が広場の中央まで進んだ。

「なんにも〜いないよぉ〜?」

 そこで燐はくるりと振り返り、和広にぶんぶんと手を振ってみせる。

「妙だな……? 本当に、なにもないのか……?」

 考えすぎということもありえる。深読みさせ、迂回させることを狙っているのかもしれない。
 しかし、万が一と言うことを考えて、警戒だけはしながら燐のそばまで来た。やはり、気配もなければ罠もない。

「とりあえず、止まっていてもしょうがない。先へ行くぞ」
「うん〜」

 そう言って、燐がくるりと振り返り歩を進めた。

「!?」
「!」

 そこで、二人は気付いた。自分達が、とんでもない状況に陥ったことを。

「……閉じこめられたぁ?」
「だな」
「強力だねぇ〜」
「そうでなければ、学園の教師は務まらない。それに、補助装置を使ってるだろう。これくらいできて当然だ」
「そうだねぇ」

 広場の四方に、結界が発生していた。間違いなく、捕獲用の結界。それも、非常に強力だ。
 この異次元そのものを含めて、罠なども全て、学園教師の魔法によって作られている。補助装置を使い複数人で行ってはいるが、一般生徒が100人束になってもこれと同じ物を作ることは出来ない。
 学園の教師は、まず、内外問わず優秀な人間が候補として集められる。そこで学園が独自に行っている研修プログラムをこなした者が、初めて学園の教師たる資格を得るのだ。しかも、その研修を終えられるのは、集まった人間の十分の一以下― 一回の選抜で五人を越えることは滅多にない― と言われている。
 それを通っている教師に教わるのだからこそ、学園の生徒は強力な力を得ることが出来るのだ。

「でもぉ〜こんな罠、あったぁ?」
「俺の記憶が正しければ、ないな」
「私達、運悪いのかなぁ〜?」

 燐が、悲しげに呟く。

「燐の日頃の行いが悪いからだ、ぞっ!」

 和広と燐が、同時に左右に飛んだ。

ずがぁぁぁぁぁっ!!

 突如、二人がいた辺りが爆発した。噴火と言った方が正しいかもしれない。地面が、上方向に向かって吹き飛んだのだ。

「ぶぅ〜。私、日頃の行いは悪くないもん」

 燐が、悲しげなそれでいて拗ねたように言う。その声は爆発音にかき消されて、和広には届かなかったが。

「『雷槍飛弾』!」

 着地と同時に、和広の魔法が発動した。
 標的は、今の爆発の元凶― 地中から現れた、茶色の鱗に覆われた二足歩行型の翼龍だ。高さ3m、頭から尻尾までの長さは7mくらいといったところか。龍にしては、小型と言える。

バチィッ!

 本来、突き刺さるはずの雷槍は、その鱗に当たった瞬間に、電撃特有の音を放ち弾けた。

「なっ!?」
「はぁぁぁぁぁッ! 裂破(れっぱ)!」

 和広の驚愕が収まりきらぬうちに、燐の間合いを詰めてからの斬撃が入った。上段から振り下ろされる、遠心力を利用した俊速の斬撃だ。

がきん!

「きゃうっ!」

 妙に鈍い音を立てて、斬撃が鱗で受け止められた。必殺の速度が、まるまる燐の腕に電撃のようなしびれを与える。
 それでも、薙刀を落とさないのは、やはり燐も戦士の一人と言うことだろうか。

「ぐるるるるる」

 低いうなり声が発せられた。龍にとっては小枝でひっかいたほどにもダメージになっていないようだ。和広の魔法が当たった場所も、燐の斬撃が当たった場所も、傷らしい傷はない。

「和く〜ん。固いよぉ〜」
「バカっ、焦るな!」

 燐が上げた声の中に、危険な色が混じっていることを敏感に感じた和広が怒鳴りつけた。

「で、でも……きゃぁっ!?」
「燐!?」

 ぶおんという重い風切り音を伴って、龍の尻尾が燐を凪いだ。
 完全に虚をつかれた燐は、無防備に喰らい、吹き飛ばされ、地面を滑った。

「くおっ!」

 和広は、倒れるように地面にはいつくばった。瞬前まで和広の胴体があったところを、さらに勢いをつけた尻尾が通り過ぎた。

「燐! とりあえず離れろ!」

 慌てて距離を取りながら、声を張り上げる。言われるまでもなく、燐は距離を取っていた。
 だが、先ほどの打撃が効いているのか、右腕がだらんと下がっている。しかし、折れている風ではないので、一時的に力が入らないだけだろう。

「『魔反鏡(まはんきょう)』!」

 龍がこちらを向いて、くわっと口を開けた瞬間、和広は咄嗟に腕を交差させ、魔法を唱えた。
 和広の体全体を覆うように不可視の結界が現れるのと、龍のブレスが届くのとはほぼ同時だった。

(くっ……! 一撃必殺系じゃねーか! どうなってんだよ!?)

 本来は、攻撃そのものを跳ね返す結界だが、跳ね返すことは出来ず、防ぐのが限度だ。無詠唱とはいえ、大抵の攻撃は防げる。たとえ、跳ね返せなくても。だが、今は確実に押されている。
 簡単に詠唱魔法を説明しよう。
 詠唱魔法は、有詠唱と無詠唱の二系統に分かれる。詠唱魔法において、基本の動きは二つ。『呪』を唱え、『意』を唱えること。呪とは、魔法を使うという宣言であると同時に、どの系統(属性)を支配するかという宣言になる。これは、『理を以て紡ぐ』という言葉で行われる。続いて唱える意とは、支配した系統を変質させることにあたる。これは、そのまま魔法名として使われることが大半だ。
 この、呪の行程を省き、意の行程だけで行うのが、無詠唱。使い慣れた魔法やランクの低い魔法であれば、実力のある使い手にかかれば無詠唱で行うことが出来る。
 しかし、それを有唱法で行った場合と無詠唱で行った場合は、その効果に明らかな差が出てくる。つまり、よほど切迫しているか、実力に差がなければやってもあまり意味が無いというのが正直なところと言えよう。
 しかし、効果が現れるまでに詠唱をする分のタイムラグが存在する以上、無詠唱でどれだけ強力な魔法が使えるか、というのは戦闘能力を測る上で重要な基準となり得る。
 和広は、高ランク魔法のほとんどを使いこなせるということに加え、無詠唱でのその能力の高さが知れ渡っていた(もちろん、有詠唱での能力が前提となるが)。本来、序列戦の予選で出てくるような魔物相手に後れをとることなど、あり得ないのだ― たとえ、無詠唱であっても。

(あいつ、滅茶苦茶固い。傷一つ付けられなかった……さて、どうするか)

 額に、脂汗が浮かんでくる。無詠唱とはいえ、雷槍被弾は和広が主力として使う魔法だ。有詠唱ともなれば、一般の生徒10人が共同でかけた結界すらも打ち破る。無詠唱でも、かなりの威力を持っている。その魔法で傷一つ付けられなかったというのは、それだけ相手の防御力が高いということだ。そうそう打ち破れるものではない。

「水の理を以て 氷を紡ぐ。陣と交わりてあらゆるものを封じよ。『雪閉陣(せつへいじん)』」

 燐の魔法が発動した。魔法陣が龍の足下に現れる。
 次の瞬間、魔法陣から猛烈な吹雪の噴出が起こった。魔法陣が起こす結界に遮られ、ブレスが止まった。
 本来、詠唱魔法は長時間使うには不向きな魔法だ。主に命中の瞬間にダメージが発生し、そのまま消滅する形態が多いことからも、そのことが分かる。だが、陣と組み合わせて使うと、効果範囲を広げたり持続時間を長くし、なおかつ陣を描く行程を簡略化できる。
詠唱が不必要な陣形魔法は、その分、非常に行程が複雑で時間がかかる。だが、詠唱魔法にはないメリットがあるため、詠唱と併せて使う技術が生まれたのだ。
 今回、燐が使ったのは陣形魔法を主軸とする結界型魔法。中にいるものを吹雪によって攻撃・凍結させる。
 和広が、瞬時に結界を解除して直線上から逃れ、そのまま燐のそばへと走り寄っていった。

ぎゃおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!

「あうっ!?」

 和広が到着するのとほぼ同時に、龍の咆哮があがった。それに、燐の叫びが重なった。

「……まじかよ」
「なんか、すごくまずくないぃ?」

 なんと、龍が咆哮で結界を破ったのだ。燐の叫びは、その反動によって衝撃が返ってきたためだ。
 陣形魔法は、燐が不得手とする魔法だ。だが、それでも一般生徒並の技術は持っており、予選程度の魔物が、咆哮によって発生する衝撃などで打ち破れるものではない。それはすなわち、この龍が防御能力だけでなく、基本的な攻撃力にも長けていることを示している。
先ほどのブレスもそうだが、とことん予選のセオリーから外れた魔物だ。
 重鈍な足音を響かせながら、龍がゆっくりと体ごと振り返る。

「ど、どうしよう? やっぱり、先生達に来てもらおうか?」
「だから、焦るな。お前の持ち味は冷静さだろう?」
「で、でも、でも、でも……」

 燐が、おろおろとしている。
 燐は、非常に能力が高い。それは誰もが認めるところだ。しかし、燐は精神的に若干だが不安定な嫌いがある。原則ペア行動の学園では和広とペアを組んでいるために、戦闘や任務で致命的な状況に陥ることはないが、こうなってしまうと、燐は正常な判断力を失ってしまう。

「確かに、こいつは強い。だが、それはあくまで予選で出てくるには、というだけだ。俺達なら、十分勝てる。予選で手の内を明かしてしまうのは痛いが、それで本戦に出られなかったら本末転倒だ」
「う、うん……」
「大丈夫だ。去年とは違う、そうだろ?」

 ぽんと、和広は燐の頭に手を乗せる。

「うん」

 不思議と、それだけで落ち着けた。燐の目に、冷静な判断力が戻る。

「やるからには、外の連中の度肝を抜いてやろうぜ」
「くすっ。それだったらぁさっきのSランクで十分だよ〜」

ゴウッ!

 龍が、勢いよく翼を広げた。風が起こり、砂埃を舞い上げる。その様は、龍の名にふさわしい、荘厳とした雰囲気だ。

ドウッ!!

 一動作で龍が空中に浮き上がり、二人に向かって突撃してきた。
 二人は、左右に散って突撃をかわす。直後、龍は急激に方向転換し、和広の方向へと弧を描くように軌道をとる。

「『雷槍被弾』!」

 強固な鱗で覆われた龍が高速で体当たりを仕掛けてくる――その威力は、想像を絶するものがある。そんなものを真正面から受け止めるほど、愚かではない。
 横へと飛びながら、和広の無詠唱が発動する。

バチンッ!

 先ほどと同じく、鱗に弾かれた。

「ちっ! 狙いがつかん!!」

 思わず、舌打ちをする。
 和広は、ただ一カ所、鱗に包まれていない部分――すなわち、目を狙ったのだ。しかし、魔法は普通、当たれば即威力を発揮する。そのため、あまり射撃性というのは重視されておらず、和広も例に漏れずそのクチだった。しかも、和広はただ当てればそれだけで大ダメージを与えることも可能で、一点を狙う精密射撃は得意ではない。

(本戦への課題は、射撃性と詠唱速度だな)

 頭の一部では、冷静に今のことを分析している。和広にとって、ここはただの通過点でしかないのだ。

「ひゅうぅぅぅぅっ……断走閃(だんそうせん)!」

 和広を仕留め損なった龍が、そのまま円を描くように上昇し、宙返りで方向を修正して燐の方へと急降下で迫ってきた。
燐はそれをギリギリで見切り、すれ違うようにかわした。体を沈め、羽と胴体とのわずかな隙間を狙って。
 そして、すれ違う瞬間に薙刀を振るう。気を刃に纏わせ、撫でるように体の表面を切り裂く技だ。大した膂力も必要なく、相手との相対速度を利用するために反動も少ない。相手のスピードが高ければ高いほど、その鋭さは増す。自力で防御を破れない今の状況においては、有効な手段と言えよう。
 冷静な見極めが必要となる高度な技だが、燐は事も無げに使いこなす。今も、その軌跡は一直線で、完全に決まったことを示している。これは、燐が冷静な判断力を取り戻した証拠に他ならない。

「やったか?」

 龍は、急降下から反転、上昇に移っている。だが、相対速度が大きいほど傷を負っていることに気付かないというのは、今までに何度も目撃している。龍の速度はかなりのものだ。傷がまだ開いていないと言うのもあり得る。

「ダメっ!」

 燐が、悲痛ともいえる叫びを上げる。

「あれすら弾くってのかよ……」

 さすがの和広も、呆れるしかなかった。

(魔法も直接もダメ……。こいつは、ただ固いわけじゃないな)

 なんとなく思っていたが、今ので確定的となった。あの技は、固いから柔らかいからという次元で防御できるものではない。
ということは、もっと別の『何か』があるに違いない。

(だが、探ってる時間はない。こうなったら、あれしかないか……。あまり好きじゃないんだがなぁ……)

 和広は、内心で深く溜息をついた。



 和広は、雷槍被弾を二十数発放っていた。燐も、打撃を諦め魔法に切り替えている。
 すでに、戦闘が始まって十数分が経過していたが、二人の攻撃が無駄に終わっている以外の変化はない。

(このままだと、じり貧だな。時間的にも辛い……。できれば燐にこんなことはやらせたくなかったが、仕方がないな)

 燐も和広も、無限に魔法を打てるわけではない。このままなし崩し的に機会を待つよりは、こちらから動く以外になさそうだ。

「燐! 手段は任せる。そいつにブレスを打たせろ!」
「えっ? ……あっ! りょーかい!!」

 どんなに強固な外皮を持っていようとも、中まであるわけではない。この魔物の弱点は、ブレスを打つときにできるわずかな時間だ。
 だが、こちらを侮っているのかそれとも弱点であることを分かっているのか――あの一度以外、龍はブレスを放ってはこなかった。
 これは、案外ありふれている方法だ。燐も、和広の一言ですぐに気が付いた。

(とは言ったものの〜……どうしよう〜?)

 だが、燐とてそう簡単にできることではない。両方に対して耐性があるのなら、と思って魔法を宿して斬りかかってみたものの、結果は言わずもがな。燐の根本的な手の内は、全て無効果だ。もっとも、和広とてそうなのだが。

「うーん…………鬱陶しければ、吐くかなぁ〜?」

 ぽつりと呟き、とりあえず実行してみることにした。

「水の理を以て 氷を紡ぐ。陣と交わりて扉となれ。『氷舞胡蝶陣(ひょうぶこちょうじん)』!」

 燐の眼前に、半径1m弱の魔法陣が浮かび上がった。
 次いで、ぽうと青白く光り、そこから白く輝く蝶が現れた。その蝶は、止まることなく魔法陣から現れる。
 そして、現れた順に龍へとひらひら飛んでいく。
 その様子を、龍はじっと見ていた。表情がないので分からないが、ひょっとしたら唖然としているのかもしれない。
 最初の蝶が、龍に接触した。
 次の瞬間、蝶が弾け、氷の粉となった。本来は、接触した物体を凍り付かせることが出来るのだが――ただ氷塵が舞うだけで、効果はない。
 だが、それでも蝶達は次々と龍に接触し、氷塵をまき散らしていく。
 やがて、龍が顔をぶるんぶるんと上下左右に振り始めた。それでも、蝶はひらひらとまとわりつき、氷塵をばらまいていく。

(…………成功?)

 はっきりと言ってしまえば、成功するなどとは微塵も思っていなかった。龍の速さならば蝶を振り切るなど造作もないことだし、なにより、効果そのものがないのだから。
 しかし、龍はまとわりついてくる蝶を振り払おうと首をぶるんぶるん四方に振っている。
 そして、ついに……

「よくやったぞ、燐!」

 和広が、そう叫ぶなり燐の横を猛スピードで走り抜けた。
 龍は、ついに口を開けた。
 和広は、燐の背後で神経を研ぎ澄まして龍を観察していたのだ。口がわずかに開いたのを見たところで、駆け出したのだった。
 くわっと龍が完全に口を開けたところで、和広が跳躍した。周りにいる蝶が和広の体に当たり凍り付かせようとするが、和広の勢いは変わらない。

「空の理を以て 雷を紡ぐ。『雷槍飛弾・旋弾(らいそうひだん・せんだん)』!」

 和広の右握り拳の周りに数個の光点が浮かび上がり、それぞれが槍の形を取る。大きさは、通常の半分程度。

「吹き飛べぇぇぇぇぇぇッ!!」

 裂帛の咆哮と共に、右腕全てを龍の口に突っ込む。それと同時に、突き刺さった槍が全て弾け飛んだ。
 龍の頭部が刹那の後に吹き飛んだ。
 直接叩き込んだせいで反動を浴びた和広だったが、なんとか自分の足で地面に着地した。弾けた拍子に自分でもダメージを喰らったのか、右腕がずたずたになっているが、無事である。

ズドン……

 数瞬の沈黙が流れ、重鈍な音が響いた。

「勝ち……だな」

 それから更に数秒をおいて、ようやく和広がそう口にした。

「勝ったんだぁ……」

 ぺたんと、燐はその場に座り込んでしまう。さすがに、緊張の糸が切れたらしい。

「燐、休んでる暇はないぞ。結界も解けたみたいだ。あと一息」

 首だけを巡らし、激励する。
 燐は、のろのろと立ち上がり、頷いてみせた。燐が和広の隣に歩み寄り、肩を並べて歩き始める。
 そして、どちらともなく、その足並みを早めた。



 悲喜こもごもが辺りに溢れ返っている。予選落ちした者、予選を通過した者を始めとして、知り合いをねぎらう者の声や教師が慌ただしく次の予選の準備や連絡などを行っている。
 邪魔にならない壁に寄りかかりながら、和広はぼんやりとその様を眺めていた。その隣には、ぽや〜とした燐がいる。

「なぁ、燐。あんな陣、あったか?」

 先ほどから気になっていたことだった。とりあえず、詠唱と陣形を組み合わせたものも含めて、基本的な陣は全て頭に入っている。
 だが、燐が使った陣は、全く見たことないものだった。

「うぅん〜。あれは私が作ったんだよ〜」

 首をふるふると振りながら、とろんとした声で答える。かなり疲れているらしい。

「ほぉ〜。確か、陣形は苦手だったよな。よく作れたもんだ。あんなのが出てくるとは夢にも思わなかったぞ」
「だってぇ〜。あの陣はぁほとんど使う用途がないもん〜」
「まぁ、確かにそうだな」

 確かに、効果はある。一つ一つは大したことはないが、燐の魔力が続く限り無限に出てくるのだ。一度たじろいで動きが止まってしまえば、あとは凍るのを待つだけだ。
 しかし、普通の蝶並の速さしかないのでは、避けられて無防備なところを攻撃されるのがオチだ。そうそう使える陣ではない。

「和くんこそ〜新しい魔法でしょ〜?」
「新しいというわけじゃない。前々から使えた。ただ、集中に時間がかかるから使いづらいだけだ。あれ一発を打つよりも普通のを数発打った方が効率がいい」

 槍の各々の長さは半分だが、威力は通常の倍近くまで凝縮して高めてある。短くすることで飛行速度も高めてある。
 しかし、その分魔力の集中に時間がかかるし、個々のコントロールが難しくなる。特に、精密性があまり高くない和広にしてみれば、数発のうち一発しか当たらないと言うこともあり得る。
 それならば、威力が低くとも短時間で、なおかつコントロールのきく通常の方が扱いやすい。

「あ〜いたいた! 全くぅ〜んなところでうずくまってたら、見つけらんないじゃない!」

 と、人並みをかき分けながら美佳が声を張り上げてきた。相変わらず、元気そうだ。

「あ〜〜美佳ちゃんだぁ〜」

 へにょへにょ〜と手を振る燐。声も動作も、いつも以上にのろのろとしている。

「あんた……いくら直後だからって、んな気の抜けたような声と動作で対応しないでよ」

 近寄ってくるなり、思いっきり脱力したように文句を言う美佳。

「って、そんなことはどうでも良いのよ! あんた達、大活躍だったらしいじゃない。なんか、予選じゃ絶対出てこない上に結構レベルの高い魔物倒したんだって? 先輩達でも、中位序列以上じゃないと倒せないくらいの」
「……そうなのか?」
「け、結構、噂になってるよ、二人のこと。それだけの魔物を、相手にしたこともそうだけど、それを無事に倒して、五位なんだから」

 やや遅れてきた薫が、そう答えた。

「そうなのか……。んなことに気配ってる余裕無かったからな……」
「そうだねぇ……もう、疲れちゃったし〜。…………あれぇ? 薫くん、どうしたの〜?」

 燐が、疑問を口にした。よく見れば、薫の顔が真っ青になっている。足下もいくらかおぼつかない様子だ。

「ああ、酔ったのよ」
「「……は?」」

 和広と燐の声が重なった。
 美佳と薫は、和広・燐と同時スタートの別リーグだった。つまり、美佳も薫も予選を終えて少し経ったところなのだろう。

「いやね、時間短縮〜と思ってロージに頑張ってもらったんだけど……ちょっと、はしゃぎ過ぎちゃったみたいで」

 ロージとは、美佳が普段から一緒に行動している小型の白い犬のことだ。美佳の頭の上が定位置らしく、今も、美佳の頭の上にのっかっている。
 ロージは、具象使役獣と呼ばれる存在で、実際の生き物に呼び出した精霊を憑依させる使役魔法で作られた。ロージはその体を巨大化させ、超高速で走ることが出来る。また、魔法などを使うことはできないが、高度な戦闘能力と自我を有している。

「……それで、酔ったというわけか?」
「そ」
「それってぇ……」

 ちらりと、和広へ視線を向ける燐。

「そうだな……」

 燐が言いたいことを正確に察した和広が、相づちを打つ。

「はえ? なになに??」
「……幸せな奴だな」

 呆れたように和広が呟き、溜息をつく。

「ちょっとぉ〜なによそれぇ〜」

 ぷくぅっと頬を膨らませる美佳。

「何だか眠くなってきちゃったぁ……」

 そう言って、燐がこつんと和広の肩に頭を乗せた。そして、誰が止める間もなく、すぅすぅと寝息を立て始めた。

「やれやれ……俺だって疲れてるんだがなぁ」
「まぁ、男子の務めでしょう?」

 笑顔を作って、薫が言ってきた。そうだな、と答え和広は燐をおぶる。

「先に戻ってる」

 それだけ言って、ゆっくりとした足取りで帰宅の途についた。

「ちょ、ちょっと! 私の質問に答えてからにしなさいよ〜〜〜〜」

 美佳から離れていく和広には、その声がだんだんとフェードアウトしていくように聞こえていた。

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