ざわめきが教室を支配していた。
 すでに放課後。授業も終わり、生徒達は思い思いの時間を過ごそうと計画している。

「燐、帰るぞ」

そんな喧噪の中にあって、無愛想で不釣り合いはなはだしい声が頭上からかけられた。

「あ〜、和くん〜」

黒鞘 燐は、親しい関係にある声に反応して首を逸らし、にっこりと笑った。どうやら、視線が合ったことが嬉しいらしい。

「…………なぁ、首疲れないか?」

しばしの無言の時間が過ぎゆき、たまりかねたように林 和広は尋ねた。燐は、そのままの姿勢でにこにこと笑顔で居続けている。

「えっとぉ〜疲れたかなぁ〜?」
「んじゃ、なんでそのまんまなんだ?」
「和くんがそこにいるからだよ〜」

非常に機嫌良さそうに、燐は答えた。……付き合って一年と少しになるが、たまに恋人である燐の行動原理が分からなくなる和広だった。

「とりあえず、帰るぞ」

溜息をつきつつ、和広は用件を伝えた。だが、燐はやはりそのままの体勢で、表情を曇らせた。

「ごめん〜部活があるからダメなの〜」
「部活? 確か、今日は休みじゃなかったか?」

和広の記憶では、燐の所属する薙刀部の活動は月・火・木のはずだ。
 ちなみに、試合前だからと言って別の日に練習することのない部活だ。というより、それをする必要がないと言った方が正しい。量より質という部活の方針が見事に生かしきられているため、文句無しに強いのだ。

「普段はねぇ〜。でも〜この時期は争奪戦があるから〜」
「ああ、なるほど。そういや、もう時期だったな。こっちは関係ないからすっかり忘れてた」

争奪戦。
 5月の中頃に行われる恒例行事だ。正式には部活動オリエンテーションとなっており、部活の新入生勧誘会なのだが……実は、大半の部活にとってはそれだけでは済まされない。
 と言うのも、この争奪戦の結果如何によって、使える部室のグレードが大幅に変わってくるためだ。
 その決定要素は二つ。
 どれだけ部員がいるか、と争奪戦において周囲へのアピールができているか、だ。
 これを、生徒・教師・事務員の三方面から選ばれた公認団体管理運営委員会――通称、管理会のメンバーが厳正に管理・判定し、部室の割り当てを行う。
 実を言えば、この際に過去の実績などは一切関係ない。争奪戦内において全てが決定するのだ。
 逆に言えば、争奪戦での成果が良ければ、たとえ部員がその時に一人であっても良い部室を割り当ててもらえるというわけだ。燐の部活がわざわざ練習日を増やしてまで争奪戦に臨もうとするのには、ここら辺が理由だったりする。
 では、なぜそこまで部室ごときに神経を注ぐかというと、あまりにも開きがある部室の状態に原因があった。
 部室のグレードは
AFまであり、Aグレードはよもや学生寮2室分と間違えそうなくらい設備がいい。逆に、下のFは物置小屋にしか見えない部屋となる。
 この学園において、部活動はたとえどんなものであってもほぼ間違いなく認められる。それは、たいていにおいて学園が欲する戦闘力の向上に結びつくからだ。
 ようするに、戦闘力の向上に結びつかない部活の設立を申請しない限り、その設立に条件はない。 
 そのため、ほとんど学園の部活は乱立――と言っても、管理会がきちんと把握しているのでこの言葉は当てはまらないかもしれない――しているので、少し油断すればすぐに部活のグレードが下がり、下手をすれば20人の部員を抱えているのに部室無し、などという状況に陥る可能性があるからだ。
 ある意味、このオリエンテーションは新入生の勧誘よりもこの部室の取り合いがメインとも言える。まぁ、だからこそ通称で争奪戦、などと言われているのだが。

「和くんの部活は〜指定部だもんねぇ〜。いいなぁ〜無条件で優遇だもん〜」
「あのな、その分、こっちは普段の活動と成果がないとならないんだよ。これはこれで結構、プレッシャーがあるんだぞ?」

ほとんどの部活にとって重要な意味を持つ争奪戦だが、実はそれに関わらない部活というのもいくつか存在する。
 指定部と呼ばれる特殊な部活だ。
 学園において部活動はある意味治外法権的な状態となっている。
 部には、管理会に活動の報告書を提出する義務がある。だが、新年度に申請した活動日数の半分以上と同等数の報告書を提出しさえすれば予算も下りてくるし、潰されることもない。ようするに、いつ活動しても問題はないのだ。
 だが、指定部はそうはいかない。形式的には部活動となっているが、実質的には管理会に組み込まれており、学園中枢組織と同義だ。つまるところ、学園中枢部の一端である管理会の直轄組織となっているのである。
 こちらは指定日にきちんと部活を行い、成果を上げなければならない。部活動には必ず管理会のメンバーが視察を行うし、詳しい報告書をその日に提出する絶対義務が課せられている。
 それだけの制約がある指定部だが、そのかわりに、待遇は破格と言ってもいいくらいだろう。
 予算は普通の部活の5倍〜10倍は出てくるし、臨時の部費もかなり楽に出てくる。部室はもちろんグレードAが無条件に割り振られている。
 その上、場合によっては授業を部活が理由で休んだとしても公欠扱いになったりする。科目によっては、部活動の成果によって試験が免除されることもあるくらいだ。
 だが、それ故に実力と成果がものを言うシビアな世界になるし、指定部であるという重みに負けて退部する者も後を絶たない。破格の待遇だけに入部者は非常に多いが、やめていく者もまた多いのだ。

「へぇ〜あんたでもプレッシャーなんて感じるんだ」

まるで珍種を目撃したかのような口調が、横手からかけられた。視線を巡らせば、思った通り、そこには見知った顔があった。

「鴻。お前、俺をなんだと思ってるんだ?」

じろり、と鋭い視線を向けて、責めるように言う和広。だが、鴻 美佳は微塵も気にしてはいなかった。

「いや、いつも飄々としてるから、てっきり魔法に関しては部活の方でもなんの問題もないかと思ってたのよ」

和広が所属するのは、魔法研究部。読んで字のごとく、魔法の研究を行う部活である。学園発足当時から、生徒の視点で魔法の研究を行っており、現在の魔法体系を完成させるのに一役買ったという由緒正しい伝統ある部活である。
 今現在も指定部の名に恥じないともっぱらの噂で、新式の魔法を次々と編み出している。細かい仕様は異なれど、ここで開発された魔法を基盤としている魔法を使用する生徒も少なくない。
 場合によっては、魔法を教わりに来た生徒個人のために調整した魔法式を教えることもあるくらいで、この部活にいる3年は、魔法だけならすでに教師レベルにある魔法のスペシャリスト達と言えるだろう。2年の部員も、自分が使うだけならばスペシャリストであり、へたな3年よりも使いこなせる。
 そして、その中でも期待の星として名高いのが、和広である。すでに2年生ながら、魔法研究部の上位に食い込んでいる。
 いや、魔法の知識とバリエーションで言えばすでに最上位と言っても過言ではない。魔法のみの撃ち合いでも、肩を並べるのは本当に数人だろう。さすがに、純粋な戦闘数――つまり、経験の差だけは補えないが。
 そんな和広を見て、プレッシャーなど感じていない、と思うのも無理からぬ事だろう。

「なかなか簡単にはいかないんだよ、新しい魔法を作りだすってのは。まぁ、簡略化くらいならあまり苦労せずにできるが」
「……和広、いっぺん首絞めていい?」

心底から飄々とした口調でさらりと言われた発言に、美佳は半分本気で殺意を覚えた。
 魔法の簡略化とは、基本的に発動までの時間を短縮することを言う。魔法は本来、一定の手順を踏んで初めて発動するもので、それを短縮するのは非常に難しい。
 だが、魔法の体系が確立してきた現在では、まぁ、それもできなくはない。……あくまで、本人が使う分にはだが。
 和広が言う簡略化とは、きちんと訓練を受けた生徒の比率として10人中6人以上が使えるようにすることを言う。魔法を使う際には、術者それぞれの癖がどうしても出てしまう。その癖によって威力が変わったり、効果範囲が変わったりと様々な影響が現れるのだ。これを、相性の良し悪しと呼んでいる。
 簡略化の作業ができる高度魔法は、相性で使えない人間が出てきてしまうものであり、それ故に高度魔法となっているわけだ。
 だが、魔法研究会の生徒はそれらを簡略化し、他人が使えるように改良してしまう。もちろん、もともとは魔法と相性がいい術者が使って初めてまっとうな効果を発揮するものだけに、完全版には及ばないものだ。
 だが、それでも高度魔法であることには変わらないわけだから、ランクの低い魔法より効果は高い。
 確かに、すでに出来上がっている魔法を改良するわけだから、一から魔法を造り上げるよりは簡単だろうが……高度な知識と技術がなければ、到底成しえない所業だ。
 そもそも相性の要素は千差万別であり、それら全てを考慮した上で過半数が使えるように改良するなど、エリートが集まった学園の中でも最上級生のごく一部ができるかできないかという行為なのである。それを、和広は2年の始まり――正確には、1年の終わり――にはすでに行っているのである。これこそ、天性の才能のたまものだろう。

「うにゃっ!?」

突如、燐がすっとんきょうな声を上げて机に突っ伏した。

「ど、どうしたのよ、燐?」
「く、首がぁ……つったのぉ〜」

涙混じりっぽい声で、燐は訴えた。

「……なんでまた?」
「……首を上に逸らしたまま、今度はお前が来たからそのまま少し左にずらして固定してたからだ」

しごくもっともな美佳の疑問に、和広はやや疲れたような声色で答えた。

「……ねぇ、あんたの彼女って、どういう思考回路してんの?」
「…………俺に聞くな。お前の方が付き合い長いだろうが」

お互いの横目がかみ合った。そして、同時に溜息をつく和広と美佳だった。

「えう〜痛いよぉ〜」

そんな二人を尻目に、燐はひたすら痛みに耐えていた。





「この野郎! どこに目ぇつけて歩いてんだ!?」

突如、校舎の一角に怒鳴り声が響いた。声を発したのは、かなりがたいの良い、刈り上げの男。

「うるせぇ! そっちがもたもた歩いてるからだろ!?」

相対するのは、やや痩せっぽっちの目つきが鋭い男。こちらも、やはりいらだちを隠そうともしない口調である。

「野郎……良い度胸じゃねーか」
「そっちこそ……」

荒い声が静まり、剣呑な雰囲気を持つ抑えた声が発せられた。
 そして、それぞれが構えた。片方は格闘。片方は魔法。
 学園の生徒は、例外なく高い戦闘力を持っている。武器の携帯こそ禁止されているものの、戦闘力そのものが高いのだから、あまり意味はないかもしれない。
 学園の入学には厳しい思想検査もある。と言っても、思想の変化などは常につきまとう問題なので、当然ながら影で争いなどが起こることもあるが、やはりこんな直接的な争いはほとんど起こらない。
 彼らも、自分達が持っている力がどれだけのものであるかというのはだいたい分かっているのため、争いが起こるのは、せいぜいが1年の時。それも、ごく初期のみだ。それを越してからの、対策処置が施されていない場所での争いは命の危険を数十倍にも高めてしまう。
 だが、この時期だけは例外だった。
 無所属の生徒は、部活に入っている人間がこの時期、どれだけ危険な存在であるかを知っている。そのため、厄介事を避けるようになる。一年生などは、2年以上との力の差を前もって教えられているので、そもそも争おうとしない。
 だが、部活の命運がかかっていると言っても過言ではない争奪戦前になると……部活動同士では衝突する。これでもかと言うほどに衝突する。下手をすると、この時期に部活が潰れてしまうくらいだ。
 よって、こういった争いがかあちこちで起こってしまう。

「《加速》!」

刈り上げの男が、短く吠えた。
 体育科の生徒が好んで使う一時的に運動能力――特に、脚力を上げる魔法《加速》。発動させることも難しくなく、ほぼ瞬間的に発動するため、体育科のように肉弾戦を得意とする者が一撃必殺を狙って使うことが多い。
 だが、細目の男はそれを読んでいたようだ。横飛びで刈り上げの男が放った拳をよけた。

「燃えろ!」

そして、細目の男が、一瞬にして中空に陣を描き……魔法を放った。
刈り上げの男が体を向けた瞬間にそれは発動。刈り上げの男の足下にぼうっと赤い陣が浮かび上がった。

「くっ!?」

慌てて飛び退こうとした刈り上げの男。だが、陣はそれよりも一瞬早く炎を吐き出した。

「くあっ!?」

ごろごろと地面に転がって、燃えている衣服の火を消そうとする刈り上げの男。細目の男は、さらに追い打ちをかけようというのか、中空に陣を描き始めた。





「あ〜こんなところにいたぁっ!」

どばたぁんっ、と扉を開け放ち、ぜぇぜぇ、と息を切らしつつじろりと睨むように屋上を見渡した少女。
 そして、目的の人物を見つけると、そんな叫びを上げた。
 ショートカットでややはね気味の赤毛。どこか憎めない愛嬌を持つ眉目。そして、全身から漂うなんとも活発そうな雰囲気。
 雅 彩という名をもつ少女だ。

「ああ、なんだ。あんたか・・・」

なんとなく気だるげに応じのたのは、和広だった。あからさまに、目には「うるせぇのが来たよ」ってな雰囲気がまとわりついていた。

「ああ、なんだ・・・じゃなぁぃ!」

肩を怒らせて、少女は声を荒げた。めらめらと闘志というか殺気というかが目で燃えている。……少々、やばそうな雰囲気だ。

「きちんと依頼された仕事はこなしてよ! あたしらの管理区域広いんだからね!? 二人でやらないと死人が出ちゃうんだよ!?」
「別にいいだろ、出たって。ここじゃ、死人なんて珍しくもな……っと」

飄々と言い放とうとした和広の言葉は、風すら切り裂くような速度で飛んできた短刀に遮られた。

「あのねぇ〜そういう問題じゃないでしょ〜?」

口元には笑顔を浮かべつつ、目は完全に据わっている。

「君がどんな条件で引き受けたのかは知らないけど、引き受けたからにはきちんと責任を果たしてもらわないとこっちも困るわけ。っていうか、そんなんでよく管理会から話が来たわね?」
「選考基準なんか知らん。だいたい、脅しでくるようなやつらがもってきた仕事なんざ、まじめにやるわけないだろうが」

和広と彩。和広は言うに及ばず、彩も学園ではかなり名の知られた生徒だ。というか、どっちも有名・有能な生徒だ。
 和広は魔法全般で異様ともいえる才を発揮している。
 また、彩は、飛行魔法を開発し、その魔法を利用した飛行装置を発明・利用している。《魂天翼》という名を与えられたその装置は、現在彩しか使いこなせないものの、潜在的ポテンシャルは高いとして注目を浴びている。
 そんな二人の現在の肩書きは「公認団体管理運営委員会所属臨時治安維持員」。
 読んで字のごとく、争奪戦前後の治安を守る臨時の役員というわけだ。
 普段は争いの起こらない学園だが、この時期は争いが異常なまでに多くなるため、常任の管理会役員だけでは手が足りない。そこで、部活に所属していない、もしくは指定部の生徒の中で成績の優秀な者に手伝ってもらうようになっているというわけだ。
 二人がああだこうだとわめきあっているのは、つまるところきちんと依頼されたのに、和広がこんなところでさぼっていることに関してというわけだ。

「……まぁ、それはいいとしてだ。こんなところでさぼってていいのか?」

和広が、フェンスにもたれかかり、下を眺めるようにしながら言った。

「君に言われたくないよ! そもそも、君がさぼってるからこんなところにいるんだよ!?」

和広の物言いに、青筋を額に浮かべて彩は言う。確かに、和広がこんなところにいなければ、今頃は下で右へ左へ奔走しているところだろう。

「いや、そうじゃなくてだな……下でなにやら騒ぎが起こってるんだが」

「えぇっ!?」

和広にそう言われて、彩はだだだとフェンスに駆け寄り、おっこちんばかりに身を乗り出して下を注視した。

「きゃぁ〜なんかすごい騒ぎになってるぅ〜」

身を乗り出したまま、彩は器用に頭を抱えた。
 4階建ての建物の屋上から下を見てみると、男女二十数人が入り乱れての乱闘状態になっている。しかも、魔法は打ち放題、男女誰かまわず殴る蹴るで、ほとんど戦争のミニチュア版だ。

「えーっと、あれは……舞踏魔導会の連中か。それとあっちは、ナックル・ガイアだな。なかなか厄介な連中が争ってるみたいだなぁ」
「そんな感心してる場合じゃないでしょ!? 早く止めないとホントに死人が出ちゃうよ!」

落ち着き払って冷静に観察してる和広に、彩は非難の声をぶつけた。
 それも無理はない。今争っている二つの部活は、かなり戦闘能力の高い部活なのだから。
 舞踏魔導会とは、文字通り舞踏の中に魔法を組み合わせたものを行う部活だ。もともと、舞踏魔導とは、舞踏の中に魔法を組み込んで視覚的要素を良くしたり、通常ではできないパフォーマンスを魔法の補助で行うということで、舞踏の発展として成り立った分野である。
 だが、それは同時に戦闘術としての発展をも伴ったのである。魔法の絶妙なコントロールと肉体的な能力が要求される舞踏魔導は、別名舞闘術とも言われ、接近戦において非常に強力な戦闘力を見せるのだ。
 その戦闘能力に関してはすでに認知の高いところであって、学園内でもその使い手は軽視できない生徒として見られている。
 そして、もう片方のナックル・ガイア。
 これは、学園内でも有数の武闘派集団として名高い。体育科の生徒しか所属を許されず、ただでさえ全身凶器といわれている体育科の生徒の悪名(?)をさらに高めているのは、ひとえにこの部活が原因といっても過言ではない。
 そんな学園きっての部活同士が争っているのだ。このまま放っておけば死人が出るのは確実と言ってもいい。というより、よくまだ死人が出ていないものだ。

「……とは言っても、そっちがなんとかする以外にないだろう? 体育科の生徒でもない限り、この高さから飛び降りて無事には済まないんだから」

たとえ魔法の能力が強くとも、普通よりは頑丈でも、結局のところ和広は肉体的には超人ではない。4階などから飛び降りれば、よっぽど運がよくなければ死ぬ。回避する手段はあるが、結局、ダメージを負ってしまうことに変わりはない。
 ようするに、あの連中をすぐに止める手段はないということだ。魔法を打ち込んで止めたところで、争奪戦間近では5分ともたないだろう。……まぁ、殺すつもりでかかれば話は別だが。

「あ〜もう、冷静に事態を把握して適切に判断してるだけに腹が立つなぁ、君は!」

ぷしゅ〜っと頭から湯気でも出しそうな雰囲気で怒る彩だが、和広にはほとんど効果はない。ひらひらと手を振りながら、階段へと足を向けた。

「俺に文句言ってる暇があるんだったら、とっとと降りた方が良いと思うぜ。時間が経てば立つほど、一番心配してる死者の出る可能性が高くなるんだから」
「う〜……! きちんと下来て手助けしなかったら、燐ちゃんにあることないこと言いつけてやるからね!」

そう悪態をついて、彩はフェンスに足をかけた。

「分かったよ」

和広の返事がほぼ同時に届いた。
 そして、彩はそれを確認したのかしないのか……フェンスから、たんと軽やかな足取りで飛び立った。





「あなた達! そこまでにしなさいっ!」

自由落下に身を任せつつ、彩は凛と声を張り上げた。物理的な力こそ持たなかったものの、それでも注視を促すには十分な声量だった。
 まるで電池の切れたおもちゃのようにぴたりと動きを止め、声のした方――上空へと視線を投げかける男女二十数名。

「天駆ける純白の翼よ」

その視線が持つ無言の問いかけにに答えるかのように、彩はふわりと言葉を紡いだ。
 その直後、彩の背中辺りで白い光が破裂し、その破裂に促されるかのように半透明な純白の翼が一対、その姿を広げた。
 同時に、自由落下の速度が瞬間的に収まり、まるで羽毛のような落下になる。
 彩は、ことさらに誇示するかのように大きく広げた翼をゆったりとはためかせながら降下してくる。
 狙ったのかどうかは定かではないが……女神降臨を思わせるその情景は、二十数名の心を掌握し、争いを継続する意欲を失わせてしまった。 
 超常現象を日常的に目の当たりにしている学園の生徒と言えど、人間が空を飛ぶということを目にした者は稀であり、彼らは未知の体験にある種の感動すら覚えていた。
 それほどまでにその翼は美しく優雅だったのだ。
 彩は多くの目に見守られる中で地面に降り立つと、ばさりと翼を一つ打ち鳴らした。

「私は、公認団体管理運営委員会所属臨時治安維持員の雅 彩。このD−3区画の治安維持を担当する者です」

そして、一言一句詰まることなくはっきりとそう告げた。
 とたんに、今まで彫像のような静寂に包まれていた生徒達がざわめきを起こし始めた。

「静かにして下さい! いったい、この騒ぎの原因は何ですか?」

彩の鋭い糾弾に答える者は誰もいない。
 それもそのはずだ。この争いが起こった原因は単純な怒り。明確な理由もなく、まして目的などがあるわけでもない。特に、後から加わった者は、ほとんど流れに引きずられたようなものだ。
 理由ある争いならば、治安維持を目的とする管理会役員も目をつぶろうというものだが、そうでないとなれば放置しておくわけにはいかない。
 無秩序な力の放出は学園の秩序を乱し、ひいては無秩序な外部への力の漏洩となりかねない。学園の中央組織が、定められた状況下以外での力の使用などを厳しく制限しているのはそういった理由があるからだ。
 そして、管理会役員の中でもこの時期に選ばれる臨時治安維持員は、その人間性と実力の厳しい選定によって選ばれ、高度な独立裁量権を持っている。もし、理由のなく力を振り回したと知れれば、良くて廃部。悪ければ、全員がなんらかの処罰を受けることになるだろう。

「……その沈黙は、正当な理由無しと見て良いのですね?」

最後通告。これに答えがなければ、明日にはなんらかの形で処分が下るだろう。

「うぉぉぉぉッ!」
「せいッ!!」

輪の中から、二人の生徒が抜け出してきた。
 一人は手刀に炎を纏わせた舞踏魔導会の生徒。一人は、拳を握りしめたナックル・ガイア。
 その突飛な行動とあまりに早い動きに、誰もが呆然と立ちつくすしかできない。彩に攻撃を加えることが、いったいいかなる事態に結びつくか分かっているにもかかわらず。
 二人の攻撃が届く瞬間、彩はたん、と軽く地を蹴った。翼の揚力が手伝い、2階程度までを一動作で飛び上がった。

「ふっ!」

舞踏魔導会の生徒が、空ぶった手刀を振り上げた。
 すると、まとわりついていた炎がその手を放れ、まるで蛇が宙に飛び上がるかのように彩へと牙を剥く。

「『烈風閃(れっぷうせん)』!」

彩が、炎の蛇に向かって十字に交差させた手刀を払う。すると、手刀は蛇を斜めに斬り裂く二本の軌跡を描いた。 
 そして、秩序を失った炎は、結果として空中に溶け込むように霧散した。

「シュッ!」

だが、攻撃はそれで終わりではなかった。
 ナックル・ガイアの生徒が、いつの間にか飛び上がっており、彩の脇腹辺りに鋭い突きを放ってきたのだ。

「つっ……!?」

思わぬところからの攻撃に、たまらず彩は体勢を崩した。
 地面に激突する寸前に体制を立て直し、何とか両足で着地する。
 そして、彩は驚愕に体を凍らせた。いや、それは彩だけではない。その場にいた全員が、驚愕に凍り付いてしまった。

「『氷鎖縛陣(ひょうさばくじん)』……」

誰かが、震える声で呟くように言った。
 氷鎖縛陣――範囲内にいるものの一切の足を凍り付かせ、動きを封じる陣だ。氷という、水分を元にしている存在が動きを封じる物質となるため、この陣は非常に簡単かつ察知されずに発動させることができる。そして、その分、魔法的能力が高ければ高いだけ直接的に封印力が高まるわけである。
 しかも、陣が存在し続ける限りこの陣は対象を凍り付かせようとするため、たとえ氷を割って脱出しようにも、瞬時に修復されてしまう。
 つまり、陣を破壊するか術者を倒すか以外にこの陣から脱出する術はない。

「あなた方……覚悟はできているんでしょうね?」

凍り付かされた足とは対照的に、彩の怒りに火がついた。
 ここまで来れば、明らかな抵抗意志とみなす以外にない。組織に所属する以上は組織の一員としての行動を、という教義を掲げている学園は、部活動という自由活動中であろうとも、団体責任が問われる。
 学園にいる以上、常に自分の行動が周囲に及ぼす影響というものを考えて行動しなければならない。それは、学園にいる者に課せられる義務だ。
 すなわち、この行動が部全体の進退を決める事態になり、なおかつ騒動の張本人は処罰されると言う事を覚悟しての行動か、ということを彩は問い掛けたのだ。たとえ何らかの理由があっても、ここまでくれば情状酌量の余地はない。
 彩は、実力的処分に打って出ることを決めた。

「まぁ、そういきり立つこともないだろう」

何らかの形で行動に移ろうとしていた彩の機先を制す形で、和広が現れた。

「き、君! 遅いよ!」
「これでも全速力で来たんだがな」

とてもそうとは思えない、落ち着いた声で和広は言い返した。

「まだ、処分すると決めるのは早い。どう考えても、この陣はおかしいからな」

和広の言葉に、場にざわめきが起こった。

「いや、陣そのものはおかしくない。問題は、この陣が張られてるってことだ。……どっちも、こんな陣形魔法なんか使う必要性がないんだよ。直接攻撃が得意な連中なんだから」

和広の言葉に、彩は思うところがあるらしい。明らかに、表情が変わった。

「この陣は、中にいる存在を全て足止めするもの……直接攻撃系の人間が使ってもほとんど意味がない!」
「その通り。まぁ、可能性の問題として陣形魔法を使えたとしよう。だが、この陣を張る意味がない。そんなことをしても、不利になるだけだからな。ようするに……この陣を張った人間は、部外者って事になる。この時期は多いらしいからな……『潰し』が」

潰し――争奪戦前になって対象の部に入部し、なんらかの形で騒ぎを起こさせて(あるいは起こし)活動を制限する、または廃部に追い込む行為のことを言う。
 当然ながらこの行為は管理会から強く禁止されている。だが、それを欺いてまで行う輩は多いという。

「じゃ、じゃぁ、うちの部員が潰しを……?」

恐れおののいた口調で、口を開いた者がいる。恐らく、舞踏魔導会の生徒だろう。
 体育科の生徒しかいないナックル・ガイアには陣形魔法を使える人間はいないはずだ。そうなれば、科の入り交じっている舞踏魔導会ということになる。

「俺の見立てじゃ……潰し合いをさせたかったんだと思うんだがな。今、二人ほど逃げていった」
「ええっ!?」
「言っておくが、追うのは無理だぞ。身体能力はあっちの方が上だ」

和広が、右手の方向を見た。それを、彩が追う。
 二人の目には、二人の生徒の逃げ去る背中が映っていた。
 そして、その背中が見えなくなったところで陣が消滅した。

「……どうするのよっ!」

自由になった途端、彩はすさまじい勢いで和広に駆け寄り、詰め寄った。

「さてな……とにかく、上に報告だけはしておいた方がいいだろ」

それを飄々と受け流し、そう言い放つ和広。

「あの……俺達はどうなるんでしょうか?」

そんな二人に、恐る恐るといった感じで二人の生徒――恐らく、舞踏魔導会とナックル・ガイアの部長だろう――が近寄ってきた。引け腰で、怯える小動物を思わせる雰囲気だ。
 自分達の部に『潰し』を目的としていた人間が存在し、それを事が起こっても察知できなかったとなれば、監督不行届か職務怠慢と言われて処分されても仕方がない。

「おい」 
「分かってるわよ」

和広の鋭い視線に、彩は少々膨れつつも同意した。

「犯人と思われる人物達は逃走。……事実を確かめる術はありません。よって、この場合に問われるであろう監督不行届と職務怠慢、部員による一定相互観察義務の怠慢は不問にします。……しかし、魔法を使っての乱闘を不問にすることはできません」

周囲に、ざわめきが広がっていく。魔法を使っての乱闘――これは、決して軽い罪ではない。かなり重い処罰が下されるだろう。

「……ですが、それがどういった理由により起こったものか。部活潰しの可能性がある以上、同様に事実を確かめる術はありません。よって、舞踏魔導会とナックル・ガイア両部活を明日までの活動停止処分とします。よろしいですか? 林 和広臨時治安維持員?」 
 「問題無しと判断します」

和広の承認を確かめ、彩は言葉を続けた。

「現在は、放課後。部活動中であった皆さんは、この時点で校舎敷地内に留まる事を許されません。速やかに校舎敷地内より退散してください」
「分かりました」
「了解です」

部長の二人がそう言ったことを確認して、彩と和広はその場を去った。





一つ花火が上がる。すると、それに対抗するかのように二つの花火が上がる。その繰り返し。やがて、花火が尽きると今度は魔法の炎が上がり出す。
 争奪戦当日は、ほぼ完全に無秩序状態だった。すでに、全ての動きを封じることなどできはしない。そもそも、そこで動きを封じてしまっては、争奪戦の意味そのものがないのだから。
 それだけに、管理会本部はド修羅場も良いところだった。
 とにかく、外部内部を問わずにもたらされるのは凶報ばかり。管理会役員達は文字通り頭と体をフル回転、体力知力の全てをもって対応にあたっている。

「ほら、そっち! 処理追いついてないぞ!」
「これ以上は速度上がりません!」
「上げるんだよバカヤロー!」
「資料は! コピー追いついてんの!?」
「コピー機が火ぃ吹きかけてます!」
「吹かせとていいから早くコピーしてよッ!」
A−5区画で部活同士の乱闘騒ぎ! 鎮静化には成功したので、救護班を回して欲しいそうです!」
「乱闘やったやつらで動けるのを救護班にしちまえ!」
K−1区画で治安維持員が負傷! 暴走が止まらないそうです!」
「負傷くらいでガタガタ抜かすな! 死ぬ気で止めろタコって伝えとけッ!」

実に頼もしい連中である。
 争奪戦が行われている最中、この本部から怒声が消えることは無い。それは、争奪戦史上続いてきた現象である。





そして、統括部分がそんな状態なのだから……当然、そのしわ寄せは各治安維持員にももたらされるわけだ。

D−3ツー、すぐにC−1に行ってくれ!』
「待てよ、おい。こっちの騒ぎが収まって……」

本部からの通信に、和広はたまらず反論した。

『いいから行け! んなもん、一人いりゃ十分だ!』
「お、おい!?」

なおも和広は呼びかけるが、当然ながら向こうから返事など返ってくるわけがない。

「ちっ、ったく……雅! 本部からの指示だ。俺は移動する!」
「はぁっ!? ちょ、こっちの騒ぎは……」
「一人でなんとかしろだそうだ!!」

すでに和広もやけくそ状態だ。声を張り上げて本部からの指示を伝えた。

「ま、待ちなさいよ〜!!」







そんなこんなで、争奪戦終了後の夜。

こういう組織に付き物の打ち上げは、この管理会でもしっかりと開かれていた。
 しかし……この争奪戦に備えて動いていた本部、数日前からとは言え、かなりハードな連日を過ごしていた臨時治安維持員。直接間接、事前・事後という疲労の種類は違えど、疲労困憊なのは変わらない。
 ……というより、死屍累々と言う言葉の方がしっくりくる。打ち上げ会場は、さながら合戦上跡の様相を呈していた。

「お疲れ〜……」

彩は、ふらふらとした足取りで和広に近づき、よれよれとグラスを差し出してきた。

「おお……」

こちらもよれよれとした動作で、彩のグラスにグラスを合わせた。
 まるで二人の疲労に呼応したかのようななんとも頼りない硝子音が鳴った。

「あたしさぁ……思うんだけど、なんでこんな死屍累々とした人間で打ち上げなんかするんだろう?」

もう、すでに言葉が成り立っていない。だが、それに気付くような回転を、和広の頭もしていなかった。

「事後処理があるからだろ……とりあえず、全員の無事を確かめるって」

どこをどうみたらこれが無事なのだろうかと思わないでもないが……とりあえず、全員が参加していると言うことなので、打ち上げの意味はあるようだ。

「……あたし、もう来年は絶対に争奪戦には関わらないことにする」
「大丈夫だ。どうせ、来年もやらされる……」

和広の不吉な言葉が、虚しく辺りを抜けていった。

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